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、ヨーガ秘伝として伝わる”明珠の発光”を伝授しよう。
まず、火の呼吸法を適宜。
火の呼吸法が終わったら、基本姿勢をとって、心と呼吸を調える。
つぎに、眼を閉じ、眉間の、アージュニャー・チャクラの部分に心を集中す
る。心をしだいに内部に移す。
聖語「オームーオン」を心にくり返し、集中をつづける。
やがて、頭蓋の内部のアージュニャー・チャクラの部分に、半透明のピンポ
ン玉よりやや小さい球体があらわれるようになる。
それは最初、その部分に固定しているが、やがて、そこから離れて、(頭蓋の
中で)浮揚するようになる。浮揚するようになったら、それを徐々に眼寓の奥に
輪廻転生瞑想法III 266
移動させていく。眼高の奥に移動させ終わったら、眼球をぐるりと後方に旋回
させて、(心)眼を体の内部に向ける。
以後、この眼は、浮揚している球体といっしょに移動するのである。
浮揚する球体が眼高の奥に達したら、ごく静かに吸収しつつ、これを頭蓋骨
の底に移す。頭蓋骨の底に達したら、背柱の中にあるスシュムナー管にそっ
て、静かに垂直に下降させていく。そして、最後に臍と一線上にある体の中心
に到達させる。
臍の裏側に到達したら、聖語を約百唱する間そこに置き、それから、二横指
上のところに移す。ここに球を置いたら、そこに心を集中し、聖語をくり返し
心に唱える。
そうしていると、ついに、半透明であった球体が、しだいに光を発するよう
になる。
これが「パドマーマツガの発光」である。
(パドマーマツガとは、じつは「OOO」である。極秘伝のため、ここでは秘すが、賢
声明な読者であれば、お気づきであろう)
光が見えはじめたら、それをたもつために、呼吸も心もごく静かにしていな
ければならない。
もし光のほかに、花とか、葉とか、雲のようなもの、また生物の姿などがあ
らわれても、それはそのまま静かにながめておればよい。それがあらわれても
消えても、自然に、ただなにげなくながめているという気持ちで見ているこ
と、また、なにも見えなくても、強いて見たいと思ってはならない。
クンダリニー・で・Iガの第一歩は、修行者の体内にあるパドマーマツガに光
を発せしめるところからはじまるのである。
パドマーマツガがI度目ざめて発光すると、瞑想に入るやすぐにパドマーマ
ツガは光を放ちはじめる。それは、思念を強めると、光も強く放たれる。
修行者は必要に応じて、パドマーマツガを各チャクラに移動させ、光を強
め、ホルモンの分泌をうながすのである。それは、クンダリニーの覚醒にも欠
くことのできない力を持つ。
ヨーガの修行をしてある程度の力を待った者が、この定に入っている修行者
の体を見ると、発光体が修行者の体内を移動するさまを外部からはっきり見る
ことができる。それは決して修行者の観想による主観だけのものではないので
ある。神智学協会には、インドの熟達した導師による実験写真が数枚ある。
パドマーマツガの発光は、熱心な修行者で、およそI、二年かかるとされる。
求聞持聡明法
発光したパドマーマツガを、もう一度、アージュニャー・チャクラに引き戻
し、そこでさらに集中の度を強める。
光度を増したパドマーマツガを、松果腺・松果体・視床下部へと静かに移動
させていく。
これは、やさしいことのように思われるかもしれないが、そうではない。あ
る川山により、これは非常に困難な作業なのである。

その大きな理由のひとっは、大脳の中の錯綜した神経群である。この境界に
達した修行者にとって、パドマーマツガは「実在」なのである。このパドマー
マツガを、正しい「道すじ」のとおりに通過させて、誤りなく目的の場所に到
達させるのは、非常に困難な仕事である。導師の助けなく独力でこれをなしと
げることは、ほとんど不可能なこととされている。
視床下部の正しい箇所に到達すると、その瞬間、目のくらむような閃光が頭
蓋の中を走る。視神経がスパークした感じである。
クンダリニー・ヨーガの奥義書が、「このチャクラを目ざめさせると、この部
位に光明があらわれて、燦然と輝く」といっているのは、これである。
わたくしは、これが、人を天才にする「求聞持聡明法」であるとしている。
なぜならば、この閃光が走った以後、修行者の脳細胞は、それまでと一変した
はたらきを示すようになるからである。一度、見聞きしたことは、どんなこと
でも、必要に応じて記憶によみがえらせるし、独創的・天才的なアイデアが、
つぎつぎと泉の湧き出るように、尽きることを知らないようになる。むしろ、
異常といってよいほどのはたらきをするようになるのである。
サハスラーラーチャクラの真の成就は、クンダリニーの覚醒、上昇を待たね
ばならないが、この「求聞持聡明法」の成就が、その第一歩なのであろう。
このパドマーマツガの修行は、クンダリニー・ヨーガの極秘の秘伝であっ
て、これ以上のべることはできない。いくつかの口伝もあるけれども、それを
筆にすることは禁ぜられているのである。しかし、読者が、自分で工夫しなが
ら自修することのできる程度にまでは公開したつもりである。読者の懸命な工
夫・自修を切に願うものである。

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