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デカルト 主体としての自己(精神)とその存在を定式化

 

 

分別は、人間のもつあらゆるものの中でも、もっとも平等に分け与えられている。というのも、

だれでもみんな、自分には分別がじゅうぶんに備わっていると思っているし、その他のものについてはなかなか満足しない人だって、分別についてだけは、

手持ち以上にほしいなんて願わないのがふつうだからだ。そしてこれは、正しいものを判断し、真実とまちがいとを識別する能力、つまりいみじくも分別や理性と呼ばれるものが万人に平等だという証拠だと考えるべきなのであって、

この点でみんながまちがっているということは、あまりありそうにない。

 

 

ルネ・デカルトRené Descartes1596年3月31日 – 1650年2月11日)は、フランス生まれの哲学者数学者合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。

 

考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上で最も有名な命題の一つである。そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。

ただし、デカルトはそのすべてを信仰も根ざして考えており、著書『方法序説』においても神の存在証明を哲学的にしようと試みてさえいる。

初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識 (bon sens) はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。

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