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記憶に深くかかわる「海馬

記憶に深くかかわる「海馬

 

 

 

記憶に深くかかわる「海馬」

目や耳などの感覚器から入ってきた情報は、脳の奥深くにある「海馬」という部位で一時的に保管されますが、そのほとんどは消え去ります(忘却)。
しかし、くり返し思い浮かべたり口に出したりすることによってかたちづくられた情報だけが、大脳皮質へ送られ、そこに刻みこまれるのです。

記憶は、保たれる時間によって「短期記憶」と「長期記憶」に分けられます。海馬の容量は小さいのですが、大脳皮質は大容量。海馬にとどまるだけの情報は、数秒から1分ほどの短い記憶(短期記憶)で、大脳皮質に送られた情報は、数分から年単位におよぶ長期記憶となります。

記憶は眠っているあいだに転送されるようで、そのプロセスが夢となってあらわれるのではないかとも考えられています。

記憶に深くかかわる「海馬」

 

密教  三鈷

密教(みっきょう)は、仏教の一派であり、主に中国・日本・チベットなどで発展しました。密教は、仏教の教えを秘密の形式で伝えるために「密」と呼ばれる言葉が使われています。密教は、仏教の教えや修行方法を体系化し、儀式や呪文、マントラ、仏像などの具体的な手法を用いて、修行者が直接仏性を体験することを目指します。

密教は、仏教の基本的な教えである四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)や八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)に基づいていますが、それに加えて独自の教えや実践方法があります。密教では、仏や菩薩、天部、明王などの様々な存在に対して信仰や崇拝を行い、彼らの力を借りて悟りの境地に到達しようとします。

三鈷(さんこ)は、密教において重要な象徴的な道具です。三鈷は、仏教の三宝である仏(ぶつ)、法(ほう)、僧(そう)を表します。仏は教えを示す智慧の象徴であり、法は教えそのものを表し、僧は教えを実践する修行者を指します。三鈷は、それぞれの象徴的な意味を持ちながら、密教の儀式や修行において用いられます。

絶望の淵からひとを救う守護仏の力  The power of the guardian Buddha to save people from the depths of despair

 

 

どのようにして動かしたのか? 霊的精神感応である

明らかに、霊障のホトケは、特定の個人と、或る種の精神感応があるとわたくしは思うのだ。霊障のホトケの、その精神感応によって、その個人はつよい影響を受け、 動かされてしまう。この「他の存在」つまり霊障のホトケが元凶なのであるから、こ れを消滅させなければ、なにをやってもだめなことは当然である。

では、どうやって、その「他の存在」を消滅させるのか? 守護仏を本尊とするシ カの成仏法のみが、これをなすことができるのである。

そして、つぎに、守護仏をまつった宝塔をいただいて、本人が毎日、因縁解脱の 行をするのである。

これにより、本人の深層意識の奥にひそむ特殊な祖先の欲求・葛藤が消滅してゆく のである。その結果、「衝動」もまた消えて、生じなくなる。

そういうと、どうしてなのか? どうして守護仏の宝塔に、そういう力があるの か?と質問するひとがすくなくない。

それは、守護仏にはそういう力があり、だから守護仏なのだ、と答えるしかないの であるが、それだけではなっとくできないひともあるかもしれない。 わたくしは、こ う思うのである。

バイブレーション

守護仏は、生身の仏であるから、特殊な波動を放射している。 霊的な波動であるから、霊波、といってよい。真言密教では、これを、「金色の大光明」と表現している。(如意宝珠法・本尊観)

これは、純粋最高の霊波である。ひとの深層意識、無意識の意識層に浸透する力を 持っている。これを、かりにわかりやすく「ブラスの波動・聖なる波動」 とよぼう。 一方、霊障のホトケを持っているひとは、その無意識の意識層に、霊障のホトケの 怨念(ソンデイのいう祖先の特殊な欲求・葛藤をうけている。これは「マイナスの 波動・邪悪の波動」である。 さきに、わたくしは、フロイトの学説を紹介した。

無意識の意識は、自分の知らない他人の意志によって動かされる。

 

霊障をうけているひとは、一種の催眠状態である。というのは、無意識の意識から 衝動によって動かされているからだ。フロイトは、無意識の意識は他人の意志によ って動かされるといっているが、わたくしは、むしろ「動かされやすい」と考えてい る。催眠状態に入っているひとは、暗示 (つまり他からのはたらきかけ)に非常に動 かされやすいのである。ときには、動かされることを期待している状態のことさえあ るのである。つまり、霊障のホトケからの衝動・精神感応に非常に動かされやすいの だ。催眠状態のひとは、このように、波動に非常に動かされやすいのである。 それ は、「マイナスの波動・邪悪の波動」でも「プラスの波動聖なる波動」でも、おな じことである。

 

守護仏宝塔の前で、できるだけ無我になって―というのは、表面意識のはたらき をなくして、無意識の意識層をひらく、ということである――そして、勤行をするの である。

無心無我になれさえすれば、べつに勤行しなくてもよいのだが、それは難事であ るから、勤行という無我になる様式をおこなうわけである。

この勤行により、金色の大光明” (霊波)を、わが無意識の意識層に浸透させるの である。 成仏法によって、元凶である霊障のホトケは消滅したが、無意識に残る抑あつ・葛藤は、後遺症としてふかい精神傷痕となっている。 守護仏の聖なる霊波でこれ を消滅させ、さらにこれを浄化し、高揚させるのである。

絶望の淵からひとを救う守護仏の力

わたくしは、成仏法を修して、浅田家にかかわる四体の霊障のホトケを解脱成仏さ せた。非常につよい怨恨のホトケであった。三回の修法を必要としたのである。 英子君は鑑別所にいるので、宝塔の勤行は、お母さんが代わりにすることになっ た。 これを、代行、あるいは身代りの行ともいう。

 

How did it work? Spiritual telepathy

Clearly, I think that psychic hotokes have some kind of emotional connection with specific individuals. The individual is strongly influenced and moved by the psychopathy of the psychic hotoke. Since this “other existence”, that is, the psychic disorder, is the root cause, it is natural that nothing can be done unless this is extinguished.

Then, how can we extinguish that “other being”?This can only be done by the method of attaining Buddhahood in which the guardian Buddha is the principal object of worship.

Next, he received a treasure pagoda enshrining a guardian Buddha, and the person himself performed the practice of liberation every day.

As a result, the special desires and conflicts of his ancestors hidden in the depths of his consciousness disappear. As a result, the “impulse” also disappears and ceases to arise.

Many people ask why this is so?

He has no choice but to answer that the Guardian Buddha has such a power, and that is why it is the Guardian Buddha, but there may be some people who cannot accept that alone. This is what I think.

vibration

Since the Guardian Buddha is a living Buddha, it radiates a special vibration. Since it is a spiritual wave, it can be called a spiritual wave. In Shingon Esoteric Buddhism, this is expressed as ‘Golden Great Light’. (Nyoihojuho/Honzonkan)

This is the purest spiritual wave. It has the power to penetrate into people’s deep consciousness and unconscious consciousness. Let’s call this “brass wave/sacred wave” for easy understanding. On the other hand, a person with a spiritual disability has, in their unconscious layer of consciousness, the resentment of the spiritual disability (the special desires and conflicts of their ancestors, as Sonday calls it). “The Waves of”. Earlier, I introduced Freud’s theory.

The unconscious consciousness is driven by the will of others whom we do not know.

 

A psychic person is in a kind of hypnotic state. For it is driven by impulses from the unconscious consciousness. Freud said that the unconscious consciousness is moved by the will of others, but I think that it is rather “easy to be moved”. A person in a hypnotic state is very susceptible to suggestion (that is to say, coercion from others). Sometimes he even mentions the state of expecting to be moved. In other words, he is very susceptible to impulses and psychopathy from the spiritually disturbed Hotoke. A hypnotized person is thus very susceptible to vibrations. It’s the same thing with “minus wave/evil wave” and “plus wave sacred wave”.

 

In front of the guardian stupa, he becomes as unselfish as possible–that is, to eliminate the function of superficial consciousness and open the layer of unconscious consciousness–and he is the one who does the devotional.

As long as one can become selfless, there is no need to practice devotion, but since this is a difficult task, the practice of selfless devotion is practiced.

Through this devotion, the great golden light (reiha) permeates into our unconscious consciousness. The aftereffects of this are deep mental scars, which are extinguished by the sacred wave of the guardian Buddha, and then purified and uplifted.

The power of the guardian Buddha to save people from the depths of despair

I practiced the method of attaining Buddhahood and liberated the four spiritual obstacles related to the Asada family. It was a hotoke of a very strong resentment. It required three repairs. Since Eiko is in the discrimination center, her mother will be in charge of the pagoda service. This is also referred to as deputy or scapegoat line.

十六法とはどういうものか What is the Sixteen Laws?

マハーナーマよ、このように優婆塞の十六法を成就する者は、世間に得難い存在なのです」

マハーナーマはこの仏さまの説法を拝聴して大いに喜び、また仏の教法を讃歎したのちに座を 立って礼を行い、その場を去りました。

お釈迦さまのお答えを聞いた後で、 マハーナーマは「世尊よ、 優婆塞は幾の法を成就し自ら安 他を安んずるや」と質問をしました。

ここに、安んじという言葉が出てまいりますが、これは、単に心が安らかになる、ということ ではなく、成仏するという意味です。なぜならば、すべての因縁を解脱しなければ、完全に安ら かになることはできないからです。 因縁を切って初めて、本当の安心が得られるわけです。

たとえば、瞑想や坐禅によって安心が得られるという方がおりますが、瞑想や坐禅をやってい る時は迷いが消えても、因縁がそのままになっているならば、瞑想の定が解けた時にまた苦しみ が襲ってきます。ですから、真に安らかな状態というのは、すべての因縁を解脱し、成仏した状 態なのです。

そのように考えていきますと、「優婆塞は幾の法を成就し自ら安じ他を安んずるや」とは、 「優婆塞はいくつの法を成就すれば、自分を成仏させ、他の者を成仏させることができるのでし ょうか?」

という意味になります。

その質問に対して仏さまは、「若し優婆塞十六法を成就する者は、是れ優婆塞自ら安んじ他を

「安んずと名づく」とお答えになられました。 これは、

「優婆塞は十六法を成就すると、 自分を成仏させ、他人を成仏させることができるのだ」

という意味です。

 

 

それでは十六法とはどういうものか、箇条書きにしてみましょう。

1自ら正信を持つ

2他の者にも正信を持たせる

3自ら浄戒を保つ

4他の者にも浄戒を保たせる

5自ら布施の行をする

6他の者に布施の行を教える

7自ら塔寺に参詣し、もろもろの沙門から教えを聞く

他の者に塔寺に参詣してもろもろの沙門から教えを聞くことを教える

沙門から聞いた教法を自ら受持する

他の者に、沙門から聞いた教法を受持するように教える

自ら教法の深義を観察する

他の者に教法の深義を観察することを教える

自ら法に近づく

他の者に、法に近づくことを教える 自ら法を追及する

他の者に法を追及することを教えるとなります。

要するに、八法を自らが実践すると共に、他の者にも八法を勧めることが十六法であり、この 十六法を実践することによって、自分も他人も成仏させることができる、と説かれているわけで す。そして、それが優婆塞の本道だというわけです。

したがって、「一切事経』のこの部分は、

「阿含経は自分だけの悟りを考える小乗経典ではない」

ということを証明しています。

正信を広める

もし、お釈迦さまが優婆塞の八法だけを説いていたならば、やはり「阿含経」は小乗経典とい わざるを得ません。 なぜならば、八法とは自分だけの修行だからです。 八法で他人のことを考え ているのは施ぐらいのもので、他は自分の悟りのことだけを考えています。

その施にしても、自分が布施をして自分が徳を得るのですから、他の人に布施を勧め、その人 が徳を得るようにしてあげるのと比較すれば、やはり、利他の行というよりは自利の行に近くな

だからこそ、お釈迦さまは八法だけではなく十六法を説かれました。他を利益し、成仏に向か わせることを強調されたのです。このことから、お釈迦さまの教法もそれをまとめた「阿含経」 も小乗ではなく、むしろ自らを大乗といっている人たち以上に大乗である、とわたくしは考えて

わたくしは、「阿含経」の中で、お釈迦さまがこの十六法をお説きになっていらっしゃるから こそ、阿含宗立宗を決意しました。 もしも八法しか説かれていなければ、阿含宗という教団は 立宗できません。自分だけ悟ればいい、自分だけ成仏すればいい、という仏教を立ててもしかた がないからです。

ところが、お釈迦さまは自他共に成仏させる十六法を説いていらっしゃいます。だからこそ、 わたくしは困難な道ではありますが、阿含宗立宗に踏み切りました。 これは、大切なことですか ら、しっかりと覚えておいていただきたい。

お釈迦さまは十六法において、

「摩訶男よ、若し優婆塞、 正信を具足し、他人を建立し」

とおっしゃっておりますが、 この中の「正信」は非常に大切な意味を持っております。 この、 「正信を具足して」というのは、ただ単に仏教に対する信仰を持て、 ということではありません。 正しい信でなければいけないよ、と念を押されておられるわけです。さり気ない言葉ですが、そ の意味するところはとても深いといえます。

 

 

 

Commentary

Mahanama, a person who fulfills the 16 laws of Yubasai in this way is a rare existence in the world.”

The Mahanama was greatly pleased when he heard the Buddha’s sermon, and after praising the Buddha’s teachings, he rose from his seat, bowed, and left the place.

After listening to the Buddha’s answer, the Mahanama asked, “World Honored One, has Yuva Sai attained several Dharma and made peace with himself?”

The word annji is used here, but it does not simply mean that one’s heart becomes at peace, but it means that one attains Buddhahood. This is because you cannot attain complete peace unless you are liberated from all karma. It is only when you cut off the ties that lead to true peace of mind.

For example, there are people who say that meditation and zazen give them peace of mind. Suffering comes. Therefore, a truly peaceful state is a state of liberation from all karma and enlightenment.

If you think about it in this way, “How many Dharma are fulfilled by Yubasa, and how many dharmas will you be able to calm down yourself and others?” , is he capable of making others attain Buddhahood?”

It means that · · ·

In response to this question, the Buddha replied, “If you are able to fulfill the 16 Laws of Yubasai, then you should rest in peace with yourself.

He answered, “I will name you Anzu.” this is,

“When Yubasai fulfills the Sixteen Dharma, he can bring himself to Buddhahood and bring others to Buddhahood.”

is what it means.

 

 

 

So, let’s itemize what the Sixteen Laws are.

1 have one’s own truthfulness

2 Make Others Honest

3 Keep oneself clean

4Let Others Keep Pure Precepts

5Personally donate

6 Teach others the practice of giving

7 Pilgrimage to pagodas and hear teachings from various sammons

Teach others to visit the pagodas and hear the teachings from the various Shamons.

Accepting the Dharma learned from the Shamon

Teach others to uphold the Dharma heard from the Shamon

Observing the deep meaning of the Dharma for oneself

Teach others to observe the depth of the Dharma

approach the law

Teach others to approach the law Pursue the law yourself

It teaches others to follow the law.

In short, the 16 Laws are to practice the 8 Laws oneself and to recommend them to others. He is And that is the main path of Yubasa.

Therefore, this part of the Issai Jing is

“The Agon Sutra is not a Hinayana Sutra that considers one’s own enlightenment.”

That’s what I’m proving.

spread the truth

If Shakyamuni Buddha only preached the Eight Laws of Yubasai, he would have to say that the Agon Sutra is the Hinayana Sutra. This is because the Eight Laws are your own practice. In the Eight Dharma, he thinks about others, and he only cares about charity, and the others only think about his own enlightenment.

As for charity, since one gains virtue by giving charity, if one compares it with recommending charity to others and helping them gain virtue, it is still called the act of altruism. It’s closer to the line of self-interest than

That is why the Buddha preached not only the Eight Dharma, but also the Sixteen Dharma. Emphasis was placed on benefiting others and leading them toward enlightenment. From this, I believe that neither the Buddha’s teachings nor the Agon Sutra, which summarizes them, are Hinayana, but rather, they are more Mahayana than those who call themselves Mahayana.

I decided to establish the Agon sect because the Buddha preached these 16 laws in the Agon Sutra. If only the Eight Dharma were preached, the sect of Agon sect would not be able to establish itself. This is because there is no point in establishing Buddhism that only one person should be enlightened and only one person should attain Buddhahood.

However, Shakyamuni Buddha has preached the 16 ways to help oneself and others attain Buddhahood. That is why, although it was a difficult path, I decided to follow the Agon sect. Is this important?

In the sixteen laws, the Buddha

“Makao, if you’re a good man, build Masanobu and build someone else.”

As you say, “Masanobu” in this has a very important meaning. This “with full faith” does not simply mean having faith in Buddhism. It must be the correct faith. It’s a casual word, but it has a very deep meaning.

準胝観音をご本尊とする観音信仰 , Kannon worship with Juntei Kannon as its principal image

その当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺 を決意したことがあった。

準胝観音(じゅんざいかんのん)は、日本の仏教における観音信仰の中でも特に重要な存在です。準胝観音は、千手観音(せんじゅかんのん)とも呼ばれ、千本の腕を持ち、多くの眼を持つ観音像を指します。

準胝観音は、仏教の経典である『大日経』に記されている観音菩薩の姿とされています。この観音菩薩は、救済のために様々な姿や形態を取るとされ、その中でも千手観音は最も有名です。千手観音は、多くの手を持ち、それぞれの手で様々な行いをして救済の業をなし、また多くの眼を持ち、全ての方角を見渡して救済の対象を見つけるとされています。

観音信仰は、救済の対象となるすべての生命を慈悲深く見守り、救う存在として観音菩薩を崇拝する信仰です。観音信仰は、日本の仏教の中でも特に広く信じられており、多くの寺院や仏堂に観音像が安置されています。

準胝観音をご本尊とする観音信仰は、千手観音を中心に信仰する宗派や教団が存在します。これらの宗派や教団では、準胝観音を中心に祈りや念仏を捧げ、慈悲の心や救済の思いを深めることを重視しています。

観音信仰は、個々人の信仰心や宗派によって異なる解釈や信じ方が存在するため、詳細な情報を知りたい場合には、具体的な宗派や教団の教義や信仰体系を調べることをおすすめします。

 

Junzai Kannon is a particularly important figure among the Kannon beliefs in Japanese Buddhism. Juntei Kannon, also known as Senju Kannon, is a Kannon statue with a thousand arms and many eyes.

Juntei Kannon is the figure of Kannon Bodhisattva described in the Buddhist scripture “Dainichi Sutra”. This Kannon Bodhisattva is said to take various forms and forms for salvation, of which the Senju Kannon is the most famous. Thousand-armed Kannon has many hands, each of which performs a variety of deeds for relief work, and it is said that it has many eyes and looks in all directions to find the object of salvation.

Kannon faith is a faith that mercifully watches over all living beings who are the object of salvation and worships Kannon Bodhisattva as a saving existence. Kannon worship is one of the most widely believed beliefs in Japanese Buddhism, and many temples and Buddhist halls enshrine Kannon statues.

There are sects and sects that believe mainly in Senju Kannon. These denominations and sects emphasize the deepening of compassionate hearts and thoughts of salvation through prayers and nembutsu, centered on Juntei Kannon.

There are different interpretations and beliefs about Kannon beliefs depending on the religious beliefs and denominations of each individual, so if you want to know more detailed information, we recommend that you investigate the doctrines and belief systems of specific denominations and sects.

 

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ てしまった。債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に据えて いた田圃の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったような気がした。 だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。 そのうちに、目の前十 センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。 どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、 考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうか と、そればかりを考えるようになる。 そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒にな り、とにかく手近にあるもので、パッと死にたくなる。

そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。 そして、寝ころがったまま、あのあたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げ ていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが 見えた。ふと好奇心がわいて、 「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。 これが転機となって、死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確 実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかと か、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。

とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、 長さ五、六センチ、厚み一センチ弱の小さなものであった。

この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな っていたのかと、 いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。 父の取引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品の一部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。

中村さんは製紙原料問屋としては当時日本一といわれた人であったが、道楽もだいぶし たらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。 そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」と、冬の木 枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身 投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち なさい」と呼びとめられ、

「あなたは死ぬつもりでしょう」

といわれた。

「いや、死ぬつもりじゃない」

「ウソをいいなさい」

「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせて下さい」 といった押し問答の末、

とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでしょう」 と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。ご飯を食 べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、

「実はわたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。 その時、やはりある人に

呼び止められて、「あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるのです」と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。それで自分も死ぬのを止め、信仰を もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」 と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。

それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された ものと同じ経巻をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。

この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。 その後、一生懸命に働いて、つ いには、日本一といわれる製紙原料問屋を築いたというのである。

そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻 かの観音経を布施することを念願された。

ある時、中村さんは父に向かって、

「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危 険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」

ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして いたのである。

父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった から、素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。 不

思議なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。

このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。 この巻の布によって、 中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。 これは本当にただ事で はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない この意志に従うべきではないか、その時そう思った。

その刹那、パーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、間に光が射すかのよ うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。 「死ぬのをやめよう」 「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経 によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお 布施しようと決心した。

ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か って合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下 さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお 経を百万巻布施いたします」と。

その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった のである。

 

At that time, my faith was the Kannon faith with Juntei Kannon as the principal image. The reason why I came to have this faith is that when I made a big mistake at work, I decided to commit suicide.

It wasn’t that I was having fun or being lazy, but the troubles piled up and I was burdened with a huge debt. I was forced to be blamed by my creditors day after day.

So, for a few days, I wanted to think about my future, so I went out with a bag to the factory that his father had set up during the war.

After thinking about it for a few days, he came to the point that he was tired of living and that he should rather die. In other words, it means that the god of death has arrived.

At this time, I felt like I understood for the first time what it means to have a Shinigami. My field of vision is getting narrower and darker in front of my eyes. Before long, I could only see about ten centimeters in front of me, and I stopped thinking about anything but dying. He lost his mind, or even had the energy to think about how to solve the problem, and felt like he was going to die. come to think. When that happens, suicide by railroad becomes troublesome, and it’s something that’s right at your fingertips that makes you want to die instantly.

While I was in such a state, it was dawn, and I finally felt like hanging myself. And while he was lying on his back, he was looking up at the ceiling, thinking about how to put a rope around that area, when he saw a shelf and saw something small sticking out of the shelf. Suddenly, my curiosity was aroused, and I thought, “What is that?” This may have been the turning point for Shinigami to leave. If it hadn’t been for this, I’m sure I would have hung myself. Until then, his thoughts had completely stopped, and he had thought of nothing else but death, such as who would be in trouble after he died.

Anyway, I stood up and saw a brand new small sutra scroll. It was small, two or three centimeters wide, five or six centimeters long, and less than one centimeter thick.

It’s been three years since the factory was vacated, and I wondered why the sutra scrolls had been left behind on this shelf. One of his father’s business partners was Mr. Shiro Nakamura. His father used some of the surplus goods he received from the army as raw materials for papermaking and supplied them to Mr. Nakamura’s company.

Mr. Nakamura was said to be the best wholesaler of paper raw materials in Japan at the time, but he also had a great deal of indulgence. rice field. At that time, Mr. Nakamura, who had lost hope for the future, decided, “I’d rather die,” and went out to a nearby river wearing only a washed yukata in the season when the cold winter was blowing. He was about to throw himself off the bridge, but just before he was about to jump, a passer-by stopped him and said, “Wait!”

“You are going to die”

It was said.

“No, I’m not going to die”

“Tell a lie”

“Well, actually, as you can imagine. However, I’m sorry, so please shut up and let me die like this.”

Anyway, come to me first. After that, it won’t be too late even if you die.” For the time being, he followed the man’s advice and was taken to a splendid house. I talked to him about the situation while he let me eat, and he said,

“Actually, a long time ago, I also thought about committing suicide.

He was stopped and told, “This is because you don’t have a correct understanding of Shinto and Buddhism.” He gave me a little money and a sutra. That’s how he stopped dying, and as a result of his faith and hard work, he became a successful merchant,” he told Mr. Nakamura about his past.

Since then, this man, intending to repay the person who saved him, had made many copies of the sutras that had been handed to him at that time, and distributed them to many people.

Upon hearing this story, Mr. Nakamura was greatly encouraged, and left the man’s house after receiving the sutra scroll and enough money to endure his hunger for the time being. After that, he worked hard and eventually established Japan’s No. 1 paper raw material wholesaler.

And Mr. Nakamura also wanted to walk the same path as the person who helped him, and he wished to disseminate hundreds of thousands of scrolls of the Kannon Sutra in his lifetime.

One day, Mr. Nakamura turned to his father and said,

“You’re working with hundreds of people working on a large machine for the army, but it’s a very dangerous job, so please give me one of these as a talisman.”

Therefore, he donated 1,000 scrolls of this Kannon Sutra to his father. As he said earlier, his father directed the temporary laborers he had hired to work with machines around the clock.

My father didn’t have a particular faith, but he was a person of character whom I respected, Mr. Nakamura. I think it was a little left over. non

Strangely enough, the first volume happened to be lying on the shelf. No matter how you look at it, there’s no way he could have been there, but it was a fact. I still wonder.

If you think about this sutra, there is a lineage. The cloth in this volume dissuades Mr. Nakamura, the person who helped Mr. Nakamura, and the person who saved him from committing suicide. Now again, I got this on the verge of suicide. This is just a matter of fact and he is not. At that time, I thought that this was not some kind of great, invisible will that was trying to save me, and that he should follow this will.

At that moment, my thoughts suddenly changed. Just at the moment when the sun rose, his mind became lively and sunny, as if a ray of light were to shine between them, or as if the night had turned into morning. “Let’s stop dying”, “Let’s live”, I vowed to myself. And if I was really saved by this Kannon Sutra, I decided to make this donation, just like Mr. Nakamura Iro.

Just then, the sun was about to rise over the mountains. I put my palms together facing the sun. Then he swore aloud. “Please give me the strength to recover. If I am saved as it is written in this sutra, I will disseminate this sutra one million times in my lifetime.”

After that, I worked frantically for three years and paid off all the debts I had at that time.

 

 

 

準脑觀音經

 

準 肢功徳衆。寂静にして、常に論すれば一切諸諸の大難能く是の人 を侵すこと無し。天上 及び人間福を受くること仏の如く等し。此の如 意珠に遇はば定んで無等等を得ん。若し我れ誓願大悲の裡一人として 二世の願を成ぜずんば我れ妄罪過の裡に堕して本覚に帰らず大悲を 捨てん。

準脑尊真言

ノウバ・サッタナン・サンミャク サンボダクチナン・タニャタ・オ

ン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ

 

 

 

Quasi-description

Junte Ikudokuto

heart

Everything. It’s okay. child

When

Seikan Daihi

Quasi-limb virtues. Keep calm and if you always discuss it, you will not be able to infringe on this person with all kinds of great difficulties. Receiving heavenly and human blessings is the same as Buddha. If you are treated like this, you will be unequaled. If I, as one of the people in the vow of great grief, do not fulfill the wish of the second generation, then I will fall into the midst of a sinful mistake and will not return to the original enlightenment and abandon the great mercy.

quasi-armored mantra

Nova Sattanaan Sammyak Sambodakchinan Tanyata O

N Sharay Shuray Juntei Sowaka

信仰の系譜

逆境に生きる

信仰の系譜

結婚する時だって、あなたから、自分は作家になるんだ、貧乏生活は覚悟 していてほしいといわれて、それでいいと思って結婚しました。 おれは必ず芥川賞をと それがあなたのログセでした。あなたが事業をやっている間じゅう、失敗した時はも とより、成功している時だって、ハラハラし通しでした。自分にないものを一生懸命やっ ているあなたが気の毒に思えたり、腹が立ったりでしたが、あなたの性格で、やるだけや らなければ気がすまないのだから、いつか気がつくだろうと思って見ていました。お父さ んとお母さん、それに子どもたちの面倒はわたくしがみますから、悪いことでない限り、 あなたの思う通りに何んでもおやりなさい。ただし、わたくしの収入は当てにしないでく 「ださいね」

そこで、わたくしは、もっていた本や背広などを売り、四万八千円余つくった。そうし 横浜の生麦の裏長屋を一軒借りた。 六畳と三畳とお勝手という間取りであった。いま はもうこの家は残っていないと思うが、もしまだ存在しているのなら、阿含宗の発祥の地 として保存しておきたい気持である。

この長屋は、表通りから入るのに、肩幅ぐらいの狭い路地を通らねばならないから、雨 が降っても傘がさせなかったほどである。

とにかく、そこでわたくしは、それまで趣味としてやってきた運命学、それに改めて本 格的に取り組み、人びとのために役立てようと決意した。

因縁解脱の基本は何かといえば、人のためになる、人に喜んでもらう、世の中のためになる、いうならば、自分が徳を積むということであると思った。 いまの自分に人のために 何ができるかと考えると、何もない。 しかし、ただ一つあるとすれば、運命学の知識があ る。これだけは絶対に人に負けないだけの自信があった。一つ、この力を発揮して、人び とに因縁の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰へ道を開いてあげよう。 人に尽す道はこれしかないと思った。

その当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺 を決意したことがあった。

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ てしまった。債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に据えて いた田圃の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったような気がした。 だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。 そのうちに、目の前十 センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。 どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、 考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうか と、そればかりを考えるようになる。 そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒にな り、とにかく手近にあるもので、パッと死にたくなる。

そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。 そして、寝ころがったまま、あのあたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げ ていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが 見えた。ふと好奇心がわいて、 「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。 これが転機となって、死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確 実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかと か、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。

とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、 長さ五、六センチ、厚み一センチ弱の小さなものであった。

この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな っていたのかと、 いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。 父の取引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品の一部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。

中村さんは製紙原料問屋としては当時日本一といわれた人であったが、道楽もだいぶし たらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。 そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」と、冬の木 枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身 投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち なさい」と呼びとめられ、

「あなたは死ぬつもりでしょう」

といわれた。

「いや、死ぬつもりじゃない」

「ウソをいいなさい」

「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせて下さい」 といった押し問答の末、

とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでしょう」 と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。ご飯を食 べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、

「実はわたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。 その時、やはりある人に

呼び止められて、「あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるのです」と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。それで自分も死ぬのを止め、信仰を もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」 と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。

それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された ものと同じ経巻をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。

この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。 その後、一生懸命に働いて、つ いには、日本一といわれる製紙原料問屋を築いたというのである。

そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻 かの観音経を布施することを念願された。

ある時、中村さんは父に向かって、

「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危 険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」

ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして いたのである。

父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった から、素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。 不

思議なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。

このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。 この巻の布によって、 中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。 これは本当にただ事で はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない この意志に従うべきではないか、その時そう思った。

その刹那、パーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、間に光が射すかのよ うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。 「死ぬのをやめよう」 「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経 によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお 布施しようと決心した。

ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か って合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下 さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお 経を百万巻布施いたします」と。

その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった のである。

観音慈恵会の設立

そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、そ れを多くの人びとに布施するかということを考えた。 要するに、この時考えたことは、う んと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分 がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい うことであった。

観音経に感謝し、誓願も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃 は夢にも思っていなかった。

いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま模したものである。

ぎょう

そうした諸々の経緯を経て、 生麦に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っ ていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だ という気持もあって、どんどん荒行を実行した。

一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命 を実際に見るという経験も積んだ。 したがってすごく当たると、一部ではかなり評判にな っていたので、ちょっと宣伝でもすれば、昔の友人や仕事の関係者などいくらでも集まっ てきたと思う。しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならな

いと考え、徹底して誰にも知らせなかった。過去とまったく絶縁することが因縁を切る第 一歩であると思った。 過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業 消えぬと思ったのだ。

このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経 にもとづき、準胝観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。

それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも 坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩み はじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたく 自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。 わたくしは、自分の力で、人を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。 自分が救われ、 中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる 一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、人を救う ことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだ けでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとし たら、その功徳がわたくしにきて、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、昭

和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。

きっかけが、観音の慈しみと恵みであったから、会の名称を観音慈恵会とし、至極簡単

に名前をつけたわけである。