UA-135459055-1

信仰の系譜

逆境に生きる

信仰の系譜

結婚する時だって、あなたから、自分は作家になるんだ、貧乏生活は覚悟 していてほしいといわれて、それでいいと思って結婚しました。 おれは必ず芥川賞をと それがあなたのログセでした。あなたが事業をやっている間じゅう、失敗した時はも とより、成功している時だって、ハラハラし通しでした。自分にないものを一生懸命やっ ているあなたが気の毒に思えたり、腹が立ったりでしたが、あなたの性格で、やるだけや らなければ気がすまないのだから、いつか気がつくだろうと思って見ていました。お父さ んとお母さん、それに子どもたちの面倒はわたくしがみますから、悪いことでない限り、 あなたの思う通りに何んでもおやりなさい。ただし、わたくしの収入は当てにしないでく 「ださいね」

そこで、わたくしは、もっていた本や背広などを売り、四万八千円余つくった。そうし 横浜の生麦の裏長屋を一軒借りた。 六畳と三畳とお勝手という間取りであった。いま はもうこの家は残っていないと思うが、もしまだ存在しているのなら、阿含宗の発祥の地 として保存しておきたい気持である。

この長屋は、表通りから入るのに、肩幅ぐらいの狭い路地を通らねばならないから、雨 が降っても傘がさせなかったほどである。

とにかく、そこでわたくしは、それまで趣味としてやってきた運命学、それに改めて本 格的に取り組み、人びとのために役立てようと決意した。

因縁解脱の基本は何かといえば、人のためになる、人に喜んでもらう、世の中のためになる、いうならば、自分が徳を積むということであると思った。 いまの自分に人のために 何ができるかと考えると、何もない。 しかし、ただ一つあるとすれば、運命学の知識があ る。これだけは絶対に人に負けないだけの自信があった。一つ、この力を発揮して、人び とに因縁の何たるかを教えてあげて、悪い因縁を切るための信仰へ道を開いてあげよう。 人に尽す道はこれしかないと思った。

その当時のわたくしの信仰というと、準胝観音をご本尊とする観音信仰であった。 なぜ、この信仰をもつにいたったかといえば、仕事に大失敗した時、わたくしは、自殺 を決意したことがあった。

道楽したり、怠けたりしたわけではないのに、トラブルが重なり、大きな負債を背負っ てしまった。債権者に連日責められる羽目となった。

そこで、二、三日、自分の行く末をじっくり考えてみたいと思い、父が戦争中に据えて いた田圃の中の工場跡へバッグ一つ提げて出かけていった。

二、三日考えているうちに、もう生きているのが面倒になり、いっそ死んでしまえ、と いう心境に陥ってしまった。いわば、死神がついたということであろう。

死神がつくということがどういうことなのか、この時わたくしははじめてわかったような気がした。 だんだん視野が狭くなってきて、目の前が暗くなる。 そのうちに、目の前十 センチくらいしか見えなくなってしまって、死ぬこと以外は何も考えなくなってしまう。 どうやって問題を解決するか、などというようなことには、もう頭が回らないというか、 考える気力もなくなって、死ぬしかないという気分に陥り、あとは、どうやって死のうか と、そればかりを考えるようになる。 そうなると、もう死ぬ方法も鉄道自殺など面倒にな り、とにかく手近にあるもので、パッと死にたくなる。

そんな状態になっているうちに、明け方になり、いよいよ首を吊ろうという気になった。 そして、寝ころがったまま、あのあたりに縄をかけて、などと考えながら天井を見上げ ていたところ、棚が目につき、その棚から何か小さなものがちょいとはみ出しているのが 見えた。ふと好奇心がわいて、 「あれ、何んだろうな」と思って、ひょいと立ってみた。 これが転機となって、死神がはなれたのであろう。このことがなかったら、わたくしは確 実に首を吊っていたと思う。それまでは、思考が完全に停止し、死んだ後、誰が困るかと か、そういった死ぬこと以外の、ほかのことは何んにも考えなくなっていた。

とにかく、立ち上がってそこに見たのは真新しい小さな経巻であった。幅二、三センチ、 長さ五、六センチ、厚み一センチ弱の小さなものであった。

この工場を引き払って、もう三年にもなるのに、どうしてこの棚に経巻が置き去りにな っていたのかと、 いぶかしく思いながら、ふと父から以前聞いたある話を思い出した。 父の取引先に中村語郎さんという方がおられた。父は陸軍から引き取った払下げ品の一部を製紙原料として、この中村さんの会社に納めていた。

中村さんは製紙原料問屋としては当時日本一といわれた人であったが、道楽もだいぶし たらしく、若い頃から苦労がたえず、一時は「おけらの語郎」とさえいわれた人であった。 そのどん底の時に、前途に希望を失った中村さんは「いっそ死んでしまおう」と、冬の木 枯しが吹き荒ぶ時季に、洗い晒しの浴衣一枚を着て、近くの川へ出かけた。橋の上から身 投げしようとしたところ、いまや飛び込もうとした寸前に、通りかかった人に、「お待ち なさい」と呼びとめられ、

「あなたは死ぬつもりでしょう」

といわれた。

「いや、死ぬつもりじゃない」

「ウソをいいなさい」

「いやあ、実はお察しの通りです。しかし、お情けだから黙ってこのまま死なせて下さい」 といった押し問答の末、

とにかく、わたくしのところへまずいらっしゃい。それから死んでも遅くないでしょう」 と、その場はひとまずその人の勧めにしたがい、立派な家に連れてゆかれた。ご飯を食 べさせてもらいながら、事情を話したところ、その人は、

「実はわたくしもその昔、自殺しようと思ったことがあった。 その時、やはりある人に

呼び止められて、「あなたは神仏に対する正しい理解がないから、そういうことになるのです」と諭され、少しのお金とともにお経をくれた。それで自分も死ぬのを止め、信仰を もって一生懸命に働いた結果、こうしていっぱしの商売人になった」 と、自分の過去を、中村さんに話して聞かせた。

それ以来、その人は、自分を救ってくれた人への恩返しのつもりで、その時手渡された ものと同じ経巻をたくさんつくって、多くの人に布施しているということであった。

この話を聞かされた中村さんは、大いに勇気づけられ、その経巻と、とりあえず飢えを しのげる程度のお金をいただいて、その人の家を去った。 その後、一生懸命に働いて、つ いには、日本一といわれる製紙原料問屋を築いたというのである。

そして、その中村さんもまた、助けてくれた人と同じ道を歩みたいと、一生に何十万巻 かの観音経を布施することを念願された。

ある時、中村さんは父に向かって、

「あなたは何百人もの人を使って陸軍の大きな機械相手の仕事をされているが、非常に危 険な仕事でしょうから、一つこれをお守り代わりにみなさんに差し上げてください」

ということで、この観音経を父に一千巻布施してくださったとのことである。先に述べ た通り、父は、自分の入れた臨時人夫を指揮して二十四時間作業の機械相手の仕事をして いたのである。

父は特に信仰というものはなかったが、尊敬している人格者の中村さんのお話であった から、素直にありがたくいただき、全員に配った。それが少し余っていたと思われる。 不

思議なことに、その一巻が偶然棚にころがっていたわけである。どう考えてもそんなとこ ろにあるわけはないのだが、事実あったのである。いまでも不思議に思っている。

このお経には考えてみると、一つの系譜というものがある。 この巻の布によって、 中村さん、中村さんを助けた人、そしてまたその人を救った人等々、みな自殺を思いとど まらせている。いままた、自殺寸前のわたくしがこれを手にした。 これは本当にただ事で はない。これは自分を救おうという何か大きな目に見えない意志が働いているのではない この意志に従うべきではないか、その時そう思った。

その刹那、パーッと考えが変わった。ちょうど太陽が昇る瞬間に、間に光が射すかのよ うに、あるいは夜が朝に変わるかのように、心が生き生きと晴れやかになっていった。 「死ぬのをやめよう」 「生きよう」と、わたくしは自分自身に誓った。そして、この観音経 によって、わたくしが本当に救われたならば、中村語郎さんと同様に、わたくしもこのお 布施しようと決心した。

ちょうどその時、山の向こうに朝日が昇ろうとしていた。わたくしは、その太陽に向か って合掌した。そして、声を出して誓ったのである。「どうか私に再起の力をあたえて下 さい。もしも、このお経の中に書いてある通り、私が救われたならば、私は生涯にこのお 経を百万巻布施いたします」と。

その後、三年間、わたくしは死にもの狂いで働き、当時の借金は全部返済してしまった のである。

観音慈恵会の設立

そこで、このお経の功徳が大変なものであることがわかったので、どのようにして、そ れを多くの人びとに布施するかということを考えた。 要するに、この時考えたことは、う んと儲けてお寺に寄付するとか、この観音経をもとにして何かのグループを結成し、自分 がスポンサーになって、有能な有徳の士に中心になってもらい、その功徳を広めようとい うことであった。

観音経に感謝し、誓願も立てていたが、まさか自分自身が宗教家になろうとは、その頃 は夢にも思っていなかった。

いま、阿含宗の信徒に授けている勤行式は、その経巻をそのまま模したものである。

ぎょう

そうした諸々の経緯を経て、 生麦に出てきたわけであるが、その前後から、完全に治っ ていたと思っていた身体がまた悪くなり、要注意の状態になったが、行で死ぬなら本望だ という気持もあって、どんどん荒行を実行した。

一方、運命学のほうは、アマチュアではあったが、相当勉強もし、多くの人たちの運命 を実際に見るという経験も積んだ。 したがってすごく当たると、一部ではかなり評判にな っていたので、ちょっと宣伝でもすれば、昔の友人や仕事の関係者などいくらでも集まっ てきたと思う。しかし、そういう生き方、やり方では、過去の因縁を切ることにはならな

いと考え、徹底して誰にも知らせなかった。過去とまったく絶縁することが因縁を切る第 一歩であると思った。 過去の引っかかりで収入を得たり、飯を食っていたのでは過去の業 消えぬと思ったのだ。

このような次第で、わたくしは、生まれ変わったつもりで、自分自身が救われた観音経 にもとづき、準胝観世音菩薩をご本尊として、観音慈恵会をはじめた次第である。

それまでにわたくしは、仏教の本格的な勉強をしたことがない。だから、自分自身でも 坊主になったつもりもなければ、宗教家になったつもりもなく、一介の求道者として歩み はじめたのである。この求道生活によって、一人でも多くの人が救われることが、わたく 自身の罪障消滅になり、因縁解脱につながるのだ、という固い信念があった。 わたくしは、自分の力で、人を救うなどという大それた気持をもったことは一度もない。 自分が救われ、 中村語郎さんが救われ、そのまた前の人が救われたという、この救われる 一つの系譜というか、その救いの流れの中に、人を入れてあげることによって、人を救う ことができるのではないか、あるいはその救いの流れに入るきっかけをつくってあげるだ けでも、わたくしの役割を果たすことができるのではないか、それで、人が救われるとし たら、その功徳がわたくしにきて、因縁が一つ一つ切れていくであろう。そう思って、昭

和二十九年の秋口に観音慈恵会をはじめたわけである。

きっかけが、観音の慈しみと恵みであったから、会の名称を観音慈恵会とし、至極簡単

に名前をつけたわけである。

世界平和 world peace

ウクライナは現在、紛争の中にあります。2022年から2023年にかけて、ロシアとの武力衝突が発生し、ウクライナは戦争状態に置かれています。この紛争は、ウクライナの東部地域での独立を求める分離主義者とウクライナ政府との間で起きています。

ロシアの介入により、ウクライナは大きな被害を受けています。戦闘による犠牲者や負傷者が多数出ており、住民の生活は深刻な影響を受けています。さらに、インフラの破壊、人道的危機、避難民の増加などの問題も発生しています。

国際社会はこの紛争を注視しており、多くの国がウクライナを支援しています。制裁措置や外交努力など、さまざまな手段が取られていますが、戦争の終結にはまだ至っていません。ウクライナの平和と安定を回復するための努力が続いていますが、紛争の解決には時間と多くの困難が伴うでしょう。

 

ChatGPT

In the midst of the war, Ukraine is facing significant challenges. Since 2014, Ukraine has been embroiled in a conflict with Russia, particularly in the eastern regions of the country. This conflict has resulted in a devastating toll on Ukraine and its people.

The war in Ukraine has led to a high number of casualties, both among military personnel and civilians. It has caused significant damage to infrastructure, including homes, schools, hospitals, and basic utilities. Many people have been displaced from their homes, becoming internally displaced persons (IDPs) or seeking refuge in neighboring countries.

The war has also resulted in a humanitarian crisis, with limited access to essential supplies such as food, water, and healthcare. The ongoing conflict has made it difficult for humanitarian organizations to provide assistance to those in need. Additionally, there have been reports of human rights violations and atrocities committed by both sides of the conflict.

The international community has been closely monitoring the situation in Ukraine and has condemned the aggression and territorial violations. Diplomatic efforts have been made to seek a peaceful resolution, but progress has been slow. Economic sanctions have been imposed on Russia, aiming to pressure them into ceasing hostilities and respecting Ukraine’s sovereignty.

The people of Ukraine have shown resilience in the face of adversity, with many individuals and organizations working tirelessly to provide support and aid to those affected by the war. The path to peace and stability in Ukraine remains uncertain, but efforts to find a peaceful resolution and rebuild the country are ongoing.

阿弥陀如来

阿弥陀如来

命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

不動明王(ふどうみょうおう)

不動明王(ふどうみょうおう、: अचलनाथacalanātha[2])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。

 

不動明王

破壊と再生を司り、悪を滅する

不動明王(ふどうみょうおう)とは?

語源は「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てます。その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。

 

大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。不動明王の脇侍として八大童子のうちの矜迦羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)などと呼ばれています。

ご利益

除災招福、戦勝、悪魔退散、修行者守護、厄除災難、国家安泰、現世利益のご利益があるとされる。また、酉年生まれ守り本尊です。酉年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

不動明王(ふどうみょうおう)の像容

背の低い、ちょっと太めの童子型の造形が多く、怒りの表情をしています。目は天地眼(てんちげん)といって右目を天に向けて左目を地に向けていますよ。口は牙上下出といって右の牙を上に出して左の牙を下に出しています。炎の光背を背にし、手には剣と羂索(けんじゃく)を持っています。剣は大日如来の智慧の鋭さを表現しています。羂索とは煩悩を縛り悪の心を改心させる捕縛用の縄のことです。

守護仏とはどういう仏か? What kind of Buddha is the guardian Buddha?

 

 

仏教の仏舎利(ぶっしゃり)は、仏教徒にとって非常に重要な寺院や仏教寺院における聖なる遺物です。仏舎利は、釈迦(しゃか)仏の遺骨や遺物、あるいはその一部を指すことが一般的です。

釈迦仏が入滅(にゅうじゅう)した後、彼の遺骨は細かく砕かれ、多くの仏舎利が作られました。これらの仏舎利は、仏教の教えを広めるために異なる地域に分布され、多くの寺院に安置されました。

仏舎利は、信仰の対象として大切にされ、仏教徒はそれに敬意を払います。寺院や仏教寺院では、仏舎利を保管するための特別な舎利堂が建てられ、信者はそこで参拝や供養を行います。また、仏舎利は仏教の信仰の中で、功徳を得るために寄進や寄贈されることもあります。

仏舎利は、信仰心の象徴としてだけでなく、仏教の歴史や伝統の一部としても重要視されています。一部の仏舎利は、歴史的な価値や美術的価値を持ち、美術品としても評価されています。

仏教の仏舎利は、信者にとっては聖なる存在であり、信仰の対象として大切にされています。それらは、仏教の教えや価値観を具体的に表すものとして、多くの人々にとって心の支えとなっています。

 


その宗旨における信仰の絶対対象である仏を「本尊」と呼びます。阿含宗の本尊は、釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃり)」です。
阿含宗では、これを「真正仏舎利尊(しんせいぶっしゃりそん)」と呼んでいます。
仏教徒にとって、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまのご聖骨である真正仏舎利は「生いける釈迦」そのものであり、仏教では唯一最高の本尊です。
想像や概念上の仏ではなく、木像や図像の仏でもなく、ブッダとして実在した釈迦の聖骨であり、仏教における最高の本尊です。

Buddhist relics are sacred relics in temples and Buddhist temples of great importance to Buddhists. Butsushari generally refers to the remains or relics of Shakyamuni Buddha, or parts thereof.

After Shakyamuni Buddha passed away, his bones were broken into small pieces and many Buddha ashes were made. These Buddha relics were distributed in different regions and enshrined in many temples to spread the teachings of Buddhism.

Buddha relics are treasured as objects of faith, and Buddhists pay respect to them. In temples and Buddhist temples, special reliquary halls are built to store the relics of the Buddha, and devotees visit and hold memorial services there. In addition, Buddhist relics are sometimes donated or donated to obtain merit in the Buddhist faith.

Buddha’s ashes are considered important not only as a symbol of faith, but also as part of the history and tradition of Buddhism. Some Buddhist relics have historical and artistic value, and are also valued as works of art.

Buddhist reliquary is a sacred existence for believers and is valued as an object of faith. They serve as emotional support for many people as they concretely represent the teachings and values of Buddhism.

 

Buddha
The Buddha, which is the absolute object of faith in that sect, is called the ‘honzon’. The principal image of the Agon sect is the “Shinjinshari”, which has been deeply revered by Buddhists since ancient times as a sacred object in which the Holy Spirit of Shakyamuni resides.
In the Agon sect, this is called “Shinsei Bussharison”.
For Buddhists, the Gautama Buddha, which is the sacred bones of Buddha, is the “living Buddha” itself, and is the only and highest principal image of Buddha in Buddhism.
It is not an imaginary or conceptual Buddha, nor a wooden or iconographic Buddha, but the sacred bones of Shakyamuni who actually existed as Buddha, and is the supreme principal image of Buddhism.

三重の釈迦

 

 

密教では、シャカの御遺骨、御遺身を「変化法身の釈迦」といって、生身のシャカ の本体とするのである。 遺骨、御身が生きているシャカの本体なのである。

仏の本質を緻密に芸術化し、象化して表現する点で、密教はもっともすぐれてその密教では、シャカに三重あることを説いている。これを「三重の釈迦」とい

第一重のシャカは、胎蔵界マンダラ中台にまつられている四仏の一つで

鼓雷音仏」という名前でまつられている。

 

この名前は、涅槃の智慧を、天(雷) のような法音をもって衆生にさとらせる仏という意味で、つまりシャカの説いた教法を、仏として表現したのである。

自性身の仏ともいう。

 

第二重のシャカは、胎蔵界マンダラ釈迦院のシャカで、これが、生身のシャカの本体とされる。本尊としてえがかれているのが、如来、如来舌など、生身のシャカの ゆいにつ御遺骨、御身である。

第三重のシャカは、ボードガヤの菩提樹の下でさとりをひらかれ、仏陀になられた説いている教義と関係なく、突然、仏舎利の霊験功徳が飛び出してきたりする。思う に、これは、その霊験功徳の偉大さに感激して思わずそういうかたちでほとばしり出 たものとみてよいのではなかろうか。

 

経論のほかに、奇蹟的な体験談もかず多く残されている。 それを集めたら、それだ

けで大部の書物ができあがるほどである。

それらのなかから、代表的なお経を一、二のせてみよう。

 

「宝悉地成仏陀羅尼経』唐・不空訳 (抄)

その時仏は、金剛手虚空蔵等の大菩薩に、つぎのようにおっしゃった。

「あらゆる人々と如来とは、ともに法において平等に法身である。 ところが多く

の衆生は妄執にとらわれて、相依相関に依る縁起の世界を、実存の世界と誤り考えてしまう。そのために、常に、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・・天の六のい ずれかの、貧しく賤しい家に生まれ、法に親しむ善き友には近づかず、真理を説 智慧ある人には親しまず、悪い行いを犯して迷いの世界に漂流し、さとりを得られず、永遠に迷いの世界を脱することができないのである。

私はこれらの人々をさとりに至らせるために、大宝陀羅を説こうと思う。

 

これを、法身駄都如意宝珠甘露薬王金剛精進 常住真如宝王太郎という。 末法のこの世界の人々が、仏舎利の一粒を手に入れて信仰し奉持するならば、 その人こそ本当の仏の弟子である。 なぜならば、この舎利は法身釈迦牟尼如来の 常住不変の本体だからである。

そのようにして仏舎利を持し信仰してこの大宝陀羅尼を一心に唱えれば、大 なる智慧を得て、すべてに巧みなる菩薩となることができるであろう。 また、人が、この真言をとなえ、仏性を求めて仏舎利を礼拝すれば、妊戒・盗・大妄語戒を破る四重罪と、五逆罪、仏法を誹謗した越三昧耶の罪な

どあらゆる重罪はことごとく消滅し、よき望みごとがすべて達成されるであろ

貧乏や病気に苦しみ、あるいはさまざまな不運不幸に見舞われて、地獄のよう絶望の世界をさまよう者は、前世における悪い行為を懺悔し、仏法僧の三もしも仏舎利を得たら、その浄穢を論ぜず、そのまま一心に礼拝供養せよ。 そして心の底から仏の徳を念じてやまなければ、その身そのままに仏の清浄心を得て、金剛頂に住するであろう。この人を、仏身を持する者、金剛(のさとり)をれである。

 

持するもの、宝法を持する者というのである。すなわちこの人こそ大菩薩摩訶 なのである。

『大般涅槃経』後分唐・若那跋陀羅訳

天界に住む神々と、僧侶、在家の仏教徒は、仏舎利を得たら七つの宝でできて いる瓶に盛り、これを都城の内なる道地において、七宝でできている塔を建立し 仏舎利を供養するならば、生きとし生ける一切衆生に大いなる功徳をもたら し、三界に生存する三有の苦しみを離脱し、涅槃の安楽にいたらせるであろう。 仏舎利を供養するということは、まさに生ける仏を供養することなのである。

以上のこれらの経論と、わたくし自身の得たる霊験奇蹟により、わたくしは、仏舎

利を守護仏とおよびするのである。守護仏とは、仏舎利のことなのである。 それは当然のことで、仏教の始祖たる仏陀シャカこそ、すべての仏教徒の一心の祈 りにこたえて、救いの手をさしのべてくださる守護仏なのである。

密教最極最奥の秘法-

-「駄都法」「如意宝珠法」

さて、わたくしは、さきの章で、密教が、盛大な仏舎利信仰をマンダラにとり入れ たとのべたが、密教が仏舎利信仰をとり入れたのは、マンダラだけではなかったので ある。

密教にとってもっとも重要な修法の上にもとり入れたのである。

「駄都法」 「如意宝珠法」と名づける、密教において最極最奥とされる深秘の法がそ

つまり、インドの仏教徒たちが得た霊験功徳を修法としてとり入れたわけだ。

 

Mie Buddha.

 

 

 

In esoteric Buddhism, Shaka’s bones and body are called “Shakyamuni’s body of transmutation,” and are regarded as the body of the living Shaka. Remains, you are the body of the living Shaka.

Esoteric Buddhism is the best in articulating and symbolizing the essence of Buddha, and it preaches that there are three types of Shaka. This is called “Mie no Shaka”

The first layer, Shaka, is one of the four Buddhas enshrined in the Womb Realm Mandala Chudai.

It is enshrined under the name Koraionbutsu.

 

This name means a Buddha who awakens the wisdom of Nirvana to sentient beings with a dharma sound like heaven (thunder), in other words, it expresses the Dharma taught by Shaka as a Buddha.

It is also known as the Buddha of the Self.

 

The second Shaka is the Shaka of the Womb Realm Mandala Shaka-in Temple, which is considered to be the main body of the Shaka in the flesh. The main object of worship is the remains of a living Shaka, such as Nyorai and Nyoraitongue, which are related to him.

The third-level shaka is enlightened under the bodhi tree of Bodgaya and becomes a Buddha. In my opinion, it is possible to regard this as something that burst out involuntarily in such a way as a result of being deeply moved by the greatness of the miraculous merit.

 

In addition to his treatises, there are also many accounts of his miraculous experiences. Collect it and that’s it

A large number of books can be completed in just one.

Let’s list one or two representative sutras from among them.

 

“Treasure of the Land of Buddha Dharani Sutra” Translated by Tang Fuku (excerpt)

At that time, the Buddha said to the great bodhisattvas, such as Kongote Kokuzo, as follows.

“Both all people and Tathagatas are equal Dharma Bodies in the Dharma.

The sentient beings are obsessed with delusions and mistakenly think of the world of dependent origination, which depends on interdependence, as the world of existence. For this reason, one must always be born into a poor and humble family in one of the six realms of Heaven: Hell, Hungry Ghosts, Beasts, Asuras, etc., and stay away from good friends who are familiar with the Dharma, and away from those who preach the truth and are wise. , committing bad deeds and drifting into a world of delusion, unable to attain enlightenment, and forever unable to escape from the world of delusion.

In order to bring these people to enlightenment, I will preach Daihodara.

 

This is called Hoshindato Nyoi Hoju Honeydew Medicine King Kongo Shojin Joju Shinnyohou Taro. If people in this world of the Latter Day of the Dharma acquire a piece of Buddha’s ashes and believe in it and hold it, that person is a true disciple of the Buddha. This is because this reliquary is the eternal and unchanging body of the Dhamma Shakyamuni Tathagata.

If you hold the sarira in this way, believe in it, and chant this Great Hodharani with all your heart, you will gain great wisdom and become a bodhisattva who is adept at all things. In addition, if a person recites this mantra and worships the Buddha’s ashes in pursuit of the Buddha nature, he will commit the four serious offenses of violating the precepts of pregnancy, theft, and blasphemy, the five treasonous offenses, and the crime of slandering Buddhism.

May all felonies be extinguished, and all good wishes fulfilled.

Those who suffer from poverty and illness, or suffer from various misfortunes, and wander in a hellish world of despair, should repent of their bad deeds in their previous lives, and discuss the purification of the Buddha’s ashes. Instead, let us devote ourselves wholeheartedly to the worship service. And if one does not cease to meditate on the Buddha’s virtue from the bottom of one’s heart, one will acquire the Buddha’s pure mind and live at the top of Vajra. This person is the one who has the body of Buddha, the vajra (no satori).

 

Those who have it, those who have the treasure law. In other words, this person is the Great Bodhisattva Maka.

“Great Prairie Nirvana Sutra” Translated by Wakana Tang

When the gods, monks, and lay Buddhists who live in the heavens obtain the Buddha’s ashes, they place them in jars made of the Seven Treasures, and build a pagoda made of seven treasures in the inner road of the city to place the Buddha’s ashes. If it is offered, it will bring great merit to all living beings, free them from the suffering of the three beings living in the three worlds, and bring them to the comfort of nirvana. To hold a memorial service for the relics of the Buddha is to hold a memorial service for the living Buddha.

Based on these sutras and the miraculous miracles that I myself have experienced, I am able to

Tori is regarded as a guardian buddha. Guardian Buddha is the relic of Buddha. It is only natural that Buddha Shaka, the founder of Buddhism, is the guardian Buddha who answers the single-minded prayers of all Buddhists and extends a helping hand.

Esoteric Buddhism’s deepest secret method-

– “Datoho” “Nyoihojuho”

Now, in the previous chapter, I said that Esoteric Buddhism incorporated the great worship of Buddhist relics into mandalas.

It was incorporated into the most important rituals of esoteric Buddhism.

The most profound and most secret method of esoteric Buddhism, called “Dadoho” and “Nyoihojuho”

In other words, they adopted the miraculous merits obtained by Indian Buddhists as training.

 

如意宝珠立

これを発見して、これを修行し、成仏法として、ほぼ完成した。霊障を発したホ トケを成仏させ得るのは、この「釈尊の成仏法」しかないのである。

もちろん、「如 意宝珠法」自体のなかに、成仏法が入っているが、 霊障まで発しているホトケを完全 成仏させるためには、「釈尊の成仏法」を併修して、万全を期すべきだと考えたので ある。霊障が少しでもあると、福徳宝生の徳は得られず、たとえ得ても、かえって自 分をきずつけることになるからである。

そして、それは、わたくしの考えた通りの結 果を得ることになったのである。

修法のしかた

「如意宝珠立」というのである。わたくしが勝手にいっていると思われては困るの で、『密教大辞典』を見ていただこう。こうある。

略して宝珠立ともいう、所修の本尊を如意宝珠の三昧に引入れて修する法を如 意宝珠立の法という。

わたくしの場合は、すこし違うが、こういう修法のしかたが、密教にはあるのであ

さて、生身の釈迦如来である真正仏舎利を本尊に、「如意宝珠法」と「成仏法」を 併修する。この法を、わたくしは「守護仏法」と名づけたのである。

なぜかというと、この法こそ、わたくしは、全仏教徒の総守り本尊を生み出す法で あると考えたからである。

この守護仏法をもって修法し、守護仏となった仏舎利尊を宝塔に奉安して、信徒にこのご宝塔を前に、一心に祈りをささげるとき、奇蹟的霊験が生ずるのは当然であそういうと、真正仏舎利がそんなにたくさんあるのか、おかしいじゃないか、とい

なぜ奇蹟が続出するのか?

われるかもしれない。そうではないのである。 「駄都法」の口伝によると、真正仏舎 利を本尊として、仏舎利をかたどった霊石・霊木に法を修するとき、これら霊石・霊 木は、ただちに真正仏舎利と同等になるのである。(ただし、本尊はかならず真正の 仏舎利でなければならない)

信徒は、ひとりひとり、真正仏舎利をいただいて祈るのである。 本尊・法、ともに 最高のものである。奇蹟が起きてあたりまえ、

「私」がいっさいないからだ。すべて、本尊・法、ともに、仏さまの御意志によ って成ったものだからである。 どこにも、「私」がないのだ。すべて「仏意」によ って成ったのである。

奇蹟ということばを使うならば、まず第一に、阿含宗が真正仏舎利を奉戴すること になったそもそものはじまりから、奇蹟が起きていたのである。

この真正仏舎利は、さきにちょっとのべたように、スリランカ国から拝受したので あるが、これは、わたくしのほうからお願いしたのではないのである。 スリランカ国 のほうから、お申し出があったのである。 最初、わたくしは信じなかった。 いや、信 じられなかった。 一笑にふしたのである。 それまで、わたくしは、スリランカにはいかなる知己もなかったのだ。寝耳に水、 一笑にふした。 しかし、真実と知って呆然と し、次いで、狂喜した。真実と知ってからも、何度か疑った。 どうして、こういうこ とになったのだろうか? ふしぎでふしぎでならなかった。

しばらくして、その事情らしいものを耳にして、なるほどと思った。 くわしくは知 おわらないが、最初、ある思惑を持った大教団が関係し、さいごにその思惑が外れて結 局、阿含宗がいただくことになったということらしいのだ。それを聞いた刹那、 わた くしは、「仏意だ」と感じた。いろいろなことがあったようだが、その経緯に、仏さ まのご意志を感じたのである。 わが教団に真正仏舎利がおまつりされるようにとの すべて仏さまのご配慮であると思った。

第二の奇蹟は、さきにのべた小田慈舟大僧正猊下の、「如意宝珠法」伝授である。

 

守護仏とはどういう仏か?

 

 

Nyoi Hoju Stand

I discovered this, practiced this, and almost completed it as a Buddhist law. It is only this “Shakyamuni Buddha’s law” that can make his toke, who has given off spiritual obstacles, attain Buddhahood.

Of course, the “Nyoi Hojuho” itself contains the method for attaining Buddhahood, but in order to completely attain Buddhahood even for those who are even suffering from spiritual disturbances, it is necessary to take all possible measures by simultaneously practicing the “Shakyamuni Buddha’s method for attaining Buddhahood.” I thought he was. This is because if one has even the slightest psychic disorder, one cannot obtain the virtues of happiness and good fortune, and even if one does, it will only harm oneself.

And it turned out to be exactly what I had envisioned.

How to repair

It is called ‘Nyoi Hojuryu’. I don’t want him to think that I’m saying this on my own, so let’s take a look at the “Esoteric Buddhism Encyclopedia”. There is this.

It is also called Hojuryu for short.

My case is a little different, but there is this way of training in Esoteric Buddhism.

By the way, we will practice “Nyoihojuho” and “Jobutsuho” at the same time, with the true Buddha reliquary, which is the living Shaka Nyorai, as the principal image. I named this law “Protective Buddhism”.

The reason for this is that this is the law that he believes is the one that creates the total guardian deity of all Buddhists.

It is only natural that miraculous miracles will occur when believers pray in front of this treasured pagoda, enshrining the Buddha Sharison, who has become a guardian Buddha, in a treasured pagoda. I wondered if it was strange that there were so many Buddha relics.

Why do miracles keep happening?

may be It is not so. According to oral traditions of the Dadoho, when the Buddha’s reliquary is the principal object of worship and a sacred stone or tree resembling the Buddha’s reliquary is used to perform the ritual, these relic stones or trees will immediately become equivalent to the genuine Buddha’s relic. . (However, the principal image must be a genuine Buddhist reliquary.)

Each believer receives a genuine Buddha relic and prays. Both the honzon and the Dharma are the highest. Miracles happen naturally,

Because there is no “I”. This is because both the principal image and the Dharma were created by the will of the Buddha. There is no “I” anywhere. Everything was created by the “Buddhist intention.”

If we use the word miracle, first of all, miracles have been occurring from the very beginning when the Agon sect came to enshrine genuine Buddha relics.

As I mentioned earlier, he received this genuine Buddha reliquary from Sri Lanka, but I did not ask for it. There was an offer from Sri Lanka. At first I didn’t believe it. I couldn’t believe it. I laughed at it. Until then, I had no acquaintances in Sri Lanka. I fell asleep and burst into laughter. But when he learned the truth, he was stunned, and then he was overjoyed. Even after knowing the truth, I doubted it several times. How did he end up like this?

After a while, I heard something that seemed to be the circumstances, and I thought I see. I don’t know the details, but it seems that at first it was related to a large cult with a certain purpose, but in the end, that purpose was lost, and in the end, the Agon sect was awarded. The moment I heard it, I felt that it was the Buddha’s intention. It seems that many things happened, but in the circumstances, I felt the will of the Buddha. He thought that it was all the consideration of the Buddha to have a genuine Buddha enshrined in our sect.

The second miracle is the teaching of the Nyoihoju method by His High Priest Jishū Oda, mentioned earlier.

 

What kind of Buddha is the guardian Buddha?

スサノオノミコト

ヤマタノオロチ退治の神話で知られるスサノオノミコトは、最も勇猛果敢な神として不動の人気をもつ英雄神です。

スサノオノミコトの表記は、古事記では建速須佐之男命タケハヤスサノヲノミコト、速須佐之男命、須佐之男命、日本書記では素盞嗚尊スサノオノミコト、神素盞嗚尊カムスサノオノミコト、建速素盞嗚尊等々、出雲国風土記では神須佐之袁命カムスサノオノミコト、神須佐乎命、須佐能袁命などさまざまですが、古事記、日本書記(以下、「記紀」)はスサノオノミコトを皇室祖先神・アマテラスオオミカミの弟で神速勇猛な荒ぶる神と描き、出雲国風土記は須佐すさの地に御魂を止めた穏やかで平和な須佐の長としてその姿を記

大日如来

 

だいにちにょらいサンスクリット語: Mahāvairocana[1])は、真言密教の教主であるであり、密教本尊

 

 

大日如来
すべての生き物の根本となる仏

大日如来(だいにちにょらい)とは?
大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。
ご利益
現世安穏、所願成就。また、未・申年生まれ守り本尊です。
大日如来(だいにちにょらい)の像容
本来、如来は出家後の釈迦の姿をモデルとしているため装飾品は身に付けていませんが、大日如来だけは別格で豪華な装飾品や宝冠を付けています。また、螺髪(らほつ)ではなく、髪を結い上げています。

金剛界、胎蔵界の姿でそれぞれ印の形が違います。金剛界の大日如来は、左手の人差し指を立て、その人差し指を右手で包みこむ智拳印の印相をしています。一方、胎蔵界の大日如来は、腹の前で両手の全指を伸ばして組み合わせる定印です。

脳の側座核

やる気のスイッチ「側坐核」

やる気が出ない時は、誰にでもあります。私どものEAPカウンセリングの際にも「やる気が出ないのです」とお話される方もいらっしゃいます。世の中には、活動的な方々も沢山いらっしゃいます。その方々はどのようにして「やる気」をだしているのでしょうか。

「やる気」には脳の「側坐核」と言う部位が大きく関わっています。この側坐核が「やる気のスイッチ」になっているのです。側坐核とは脳の真ん中に左右1つずつある2㎜位の部位です。この側坐核に刺激を与えるとやる気が出てきます。

専門用語で「作業興奮」と言われていますが、この時に側坐核から「報酬系ホルモン」のドーパミンが出ています。ドーパミンは出始めると、どんどん出てくることが知られています。

例えば、

学生時代に試験前なのに、ダラダラ過ごして勉強に取り組めなかったのに、ちょっとだけ机の前に座って教科書のページを開いたら思った以上に勉強していた。いやいや参加した人の集まりで参加者と少し話したら想像していたより対話ができたなどは、行動をきっかけに「作業興奮」が起こっているのです。つまりやる気がなくても、乗る気がなくても実際に行動(刺激)をすると側坐核がドーパミンを分泌してやる気になるのです。

ちなみにスマホを見てダラダラしていても、なんとなくテレビを見ている時には側坐核は活性化しません。と言うより側坐核が活性化しなくてもドーパミンが出てしまい、その状態から離れられにくくなります。だから「やる気が出たらやろう」と思っていても行動を変えないと「やる気」は出てきません。

「やる気」を出すには、まず「やる」

自分自身で「さあ、やるぞ!」と思うだけでは、ドーパミンは出てきません。周りから怒られても反発心が生まれてかえって「やる気」は萎えてしまいます。

ドーパミンを出す方法は側坐核に刺激を与えることです。つまり刺激を与えるには、具体的に動くこと、作業することです。

例えばダイエットでウォーキングを始めるとします。

「行動をする(外に出て家の周りを1周だけでOK)」

「側坐核にスイッチが入りドーパミン分泌」

「やる気が出て、もう少しだけ歩く」

「どんどんドーパミンが出てくる(作業興奮状態)」

「ちょっと近くの公園まで歩こう!」

となります。

やらなければ「やる気」は出てこない

「行動するためにやる気を出す」のではなく「やる気を出すためにとりあえずやる」という前後が逆になる事を覚えていて下さい。大切なのは、最初の1歩目。「とにかく何かやる」ということができれば、側坐核を活性化できて、ドーパミンが出てきます。たとえ1歩目は、不快で、嫌で、辛くても、勇気を持って「エイヤー」で踏み出して下さい。

寝転んでスマホを見ている状態から、ウォーキングに一気にと想像すると抵抗が大きいなら「とりあえず着替える」という行動(小さな1歩)だけでも効果があります。そこから「靴を履く」「玄関を出る」という行動につながります。

それすらも「面倒だ」という場合は、まず「立ち上がって伸びをする」とか「その場で軽く肩回しや屈伸をしてみる」とかでも良いでしょう。適度な運動が側坐核の活性化に効果があるので、体を少しでも動かすことで「よし、やるか!」という気持ちになり「やる気」が湧いてきます。

脳の側座核瞑想法  Brain nucleus accumbens meditation

やる気のスイッチ「側坐核」

やる気が出ない時は、誰にでもあります。私どものEAPカウンセリングの際にも「やる気が出ないのです」とお話される方もいらっしゃいます。世の中には、活動的な方々も沢山いらっしゃいます。その方々はどのようにして「やる気」をだしているのでしょうか。

「やる気」には脳の「側坐核」と言う部位が大きく関わっています。この側坐核が「やる気のスイッチ」になっているのです。側坐核とは脳の真ん中に左右1つずつある2㎜位の部位です。この側坐核に刺激を与えるとやる気が出てきます。

専門用語で「作業興奮」と言われていますが、この時に側坐核から「報酬系ホルモン」のドーパミンが出ています。ドーパミンは出始めると、どんどん出てくることが知られています。

例えば、

学生時代に試験前なのに、ダラダラ過ごして勉強に取り組めなかったのに、ちょっとだけ机の前に座って教科書のページを開いたら思った以上に勉強していた。いやいや参加した人の集まりで参加者と少し話したら想像していたより対話ができたなどは、行動をきっかけに「作業興奮」が起こっているのです。つまりやる気がなくても、乗る気がなくても実際に行動(刺激)をすると側坐核がドーパミンを分泌してやる気になるのです。

ちなみにスマホを見てダラダラしていても、なんとなくテレビを見ている時には側坐核は活性化しません。と言うより側坐核が活性化しなくてもドーパミンが出てしまい、その状態から離れられにくくなります。だから「やる気が出たらやろう」と思っていても行動を変えないと「やる気」は出てきません。

「やる気」を出すには、まず「やる」

自分自身で「さあ、やるぞ!」と思うだけでは、ドーパミンは出てきません。周りから怒られても反発心が生まれてかえって「やる気」は萎えてしまいます。

ドーパミンを出す方法は側坐核に刺激を与えることです。つまり刺激を与えるには、具体的に動くこと、作業することです。

例えばダイエットでウォーキングを始めるとします。

「行動をする(外に出て家の周りを1周だけでOK)」

「側坐核にスイッチが入りドーパミン分泌」

「やる気が出て、もう少しだけ歩く」

「どんどんドーパミンが出てくる(作業興奮状態)」

「ちょっと近くの公園まで歩こう!」

となります。

やらなければ「やる気」は出てこない

「行動するためにやる気を出す」のではなく「やる気を出すためにとりあえずやる」という前後が逆になる事を覚えていて下さい。大切なのは、最初の1歩目。「とにかく何かやる」ということができれば、側坐核を活性化できて、ドーパミンが出てきます。たとえ1歩目は、不快で、嫌で、辛くても、勇気を持って「エイヤー」で踏み出して下さい。

寝転んでスマホを見ている状態から、ウォーキングに一気にと想像すると抵抗が大きいなら「とりあえず着替える」という行動(小さな1歩)だけでも効果があります。そこから「靴を履く」「玄関を出る」という行動につながります。

それすらも「面倒だ」という場合は、まず「立ち上がって伸びをする」とか「その場で軽く肩回しや屈伸をしてみる」とかでも良いでしょう。適度な運動が側坐核の活性化に効果があるので、体を少しでも動かすことで「よし、やるか!」という気持ちになり「やる気」が湧いてきます。

不撓不屈 どこまでもやる気を起こさせる

脳の側座核瞑想法

さあ、やるぞ!」

ぜったいにやる!」

「なにがなんでもやりぬくぞ!」

心の中で何度もくり返し絶叫しながら、いざとなると、どうしてもやる気が起こ

らず、悩んでいる人がすくなくない。

「こんなことでどうするんだ。 みんなから置いてけぼりにされてしまうぞ」

と自分を叱咤するのだが、どうしてもやる気が起こらない。

やる気が起こらないことには、どうしようもない。 そうして、ズルズルと落伍してゆく。

 

やればやれないことはないのに、周囲から(あわれみ)の目を向けられ、

あるいは、

 

「あいつは怠けものなんだよ」

と反発され、それがまたストレスとなって、いよいよ、やる気が起こらなくな

「いったい、どうしたらいいんだ」

むかしの跡にと頭をかきむしる思いだが、どんなにあせったってやる気が起こらないんだか ら、しょうがない。

大体、人間の心は、理性と感情から成り立っており、理性がいくら、やる気を起 こさなければと思っても、感情のほうが、やる気にならなかったら、それまでであ る。その反対に、感情のほうが、どうしてもやりたいと思ったら、理性がいくらブ レーキをかけても、止めることはできない。

だから、理性がどうジタバタしたって、感情のほうがその気になるのを待つしか ないのである。もちろん、理性のほうが、感情を説得するという努力はするが、そ れをうけ入れるかどうかは、しだいということだ。

 

 

次反式呼吸法に乗せて、パールを、次第に下方へ移動させなさい。約五回くら いの呼吸で、 関元のマニプーラ・チャクラに到達させなさい。

次 関元で、パールは二倍くらいの大きさに膨張し、しだいに光を放ち、輝きは じめる。(呼吸法五回位)

次 パールは元の形状にもどる。 (反式呼吸法つづく)

次 パールは原状にもどり、プラーナ・ルートを上昇する。 (呼吸法つづく)

次 パールは銀交に到達するが、依然、上昇をつづける。

次 「端」 「水溝」「素」 と、 チャクラ・プラーナ・ルートを上昇する。

次 「神庭」のところから、パールは、脳の中心に向かって進入してゆく。

次 パールは大脳辺縁系の「大脳基底核」に到達し、さらにその部分の「側座 核」に止まる。 (カラー口絵参照)

次この時、パールは、約一・五倍の大きさに膨張し、しだいに光を放ち、輝き はじめる。 (反式呼吸法の数は任意)

次 パールはしだいに輝きをおさめ、大きさも原状に復する。

次 呼吸法に乗って、パールはしだいに上昇し、プラーナ・ルートに入って下降 しもとの銀交にもどる。

次長出入息呼吸法

座を立つ。

呼吸法一〇回位で、呼吸をととのえながら、舌の先でパールを転がし、銀交 の中に納めてしまう。

 

闘う脳「大脳辺縁系」

人間の生のいとなみを、脳の機能の上から分類してみると、つぎのようになる。 基本的な生の具現である「生きている」 すがたは、脳幹の脊髄系が分担し、「た 「くましく」生きてゆくすがたは大脳辺縁系が分担し、「うまく」生きてゆくすがた と、われわれ人間だけが身につけている「よく」生きてゆくすがたは、新皮質が分 担している。

つまり、人間が生きてゆくということは、「たくましく」「うまく」「よく」 生きてゆくということになるのだが、この三つのものは、いうまでもなく、いずれ にも片よってはならない。この三つのものが、よく統御され、調整され、うまく

生きている-反射活動調節作用 脳幹 脊髄系

(生きてゆくたくましく一本能行動・情動行動 大脳辺縁系

適行動一うま

 新皮質系適創うま新皮質系

 

人は、 そして 社会も、安定し、幸福と平和がたもたれ ているわけで、このバランスがくずれる と、人は不幸になり、社会は不安につつ まれることになるわけである。

そこで、「やる気」が起きる、 起 きない、というのは、脳の機能のどの部 分が分担しているのだろうかと、調べて みると、これが、大脳辺縁系のテリトリ だということがわかる。

つまり、やらなければならないのに、

「やる気が起きない」というのは、「たく ましく」生きてゆく部分が不足している

ということになる。

indomitable, endlessly motivating

Brain nucleus accumbens meditation

Come on, let’s do it!”

I will definitely do it!”

“I’ll do whatever it takes!”

While screaming over and over again in my mind, when the time comes, I can’t help but feel motivated.

There are not a few people who are worried about it.

“What are you going to do with this? Everyone will leave you behind.”

I scold myself, but I can’t get motivated.

There is nothing you can do about not wanting to do something. And then, slipping and falling behind.

 

There’s nothing you can’t do if you try, but people around you look at you with mercy,

or,

 

“He’s lazy”

And it becomes stressful again, and finally I lose my motivation.

“Well, what should I do?”

He is scratching his head at the traces of the past, but no matter how much he is in a hurry, he can’t help himself.

In general, the human mind is composed of reason and emotion, and no matter how much reason thinks it has to motivate, if emotions do not motivate, then that’s all there is to it. On the other hand, if emotions really want to do something, no amount of reason can stop her.

Therefore, no matter how much his reason flutters, he has no choice but to wait for his emotions to become motivated. Reason, of course, tries to persuade emotion, but it is up to them whether they accept it or not.

 

 

 

Gradually move the pearl downwards on the next anti-breathing method. Let him reach Sekimoto’s manipura chakra with about five breaths.
At the next checkpoint, the pearl expands to about twice its size, and gradually emits light, and its brilliance begins. (5 times breathing method)
Next The pearl returns to its original shape. (Continued with anti-breathing method)
Next The pearl returns to its original state and ascends the prana root. (continued breathing method)
Next Pearl reaches Silver Exchange, but still continues to climb.
Ascend the chakra prana root with the next “edge”, “water groove”, and “element”.
Next From “Kanba”, Pearl enters the center of the brain.
The next pearl reaches the “basal ganglia” of the limbic system and stops at the “nucleus accumbens” in that part. (See color frontispiece)
At this time, the pearl expands to about 1.5 times its size and gradually emits light and begins to shine. (Any number of anti-breathing techniques)
Next The pearl gradually loses its brilliance and returns to its original size.
Riding the next breathing method, the pearl gradually rises, enters the prana route and descends back to the original silver cross.
Deputy director in-breath breathing method
take a seat.
Breathe 10 times, adjust your breathing, roll the pearl with the tip of your tongue, and put it in the silver coin.

 

 

 

Fighting brain “limbic system”

If we classify human life from the top of brain functions, it will be as follows. The spinal cord system of the brain stem is responsible for the “living” form, which is the basic embodiment of life. The neocortex is responsible for the way we live and the way we live “well” that only we humans have.

In other words, for human beings to live is to live “strongly,” “successfully,” and “well.” Needless to say, these three things cannot be categorized into any one of them. These three things are well controlled, coordinated, and well

Alive-reflex activity control action Brainstem Spinal cord system

(Sturdy and unipotent behavior, emotional behavior, limbic system)

good behavior

Neocortical system appropriate creation horse neocortical system

 

People and society are stable, happy and peaceful, and if this balance is disturbed, people will be unhappy and society will be filled with anxiety.

So, when he looked into which part of the brain function was responsible for whether “motivation” occurred or not, he found that this was the territory of the limbic system. .

I mean, I have to do

“I’m not motivated” means that “he’s good” is lacking in the part to live

It turns out that.