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గార్జునుడు、チベット語: ཀླུ་སྒྲུབ、klu sgrub、タイ語: นาคารชุนะ)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナ[注釈 1]の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。

గార్జునుడుチベット語: ཀླུ་སྒྲུབklu sgrubタイ語: นาคารชุนะ)は、2世紀に生まれたインド仏教である。龍樹とは、サンスクリットナーガールジュナ[注釈 1]の漢訳名で、日本では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。

 

 

この「空」の理論の大成は、龍樹の『中論』などの著作によって果たされた。なお、伝統的に龍樹の著作とされるもののうち、『中論(頌)』以外に近代仏教学において龍樹の真作であるとの見解の一致が得られている作品はない。

龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていることを論証している。この因果関係を釈迦は「縁起」として説明している。(龍樹は、釈迦が縁起を説いたことを『中論』の最初の帰敬偈において、賛嘆している。)

さらに、因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」(=自性)はないことを明かしている。これによって、すべての存在は無自性であり、「」であると論証している。このことから、龍樹の「空」は「無自性空」とも呼ばれる。

この空の思想は、真理を

  1. 概念を離れた真実の世界(第一義諦paramārtha satya)と、
  2. 言語や概念によって認識された仮定の世界(世俗諦saṃvṛti-satya)

という二つの真理に分ける。言葉では表現できないこの世のありのままの姿は、第一義諦であり、概念でとらえられた世界や、言葉で表現された釈迦の教えなどは、世俗諦であるとするため、この説は二諦説と呼ばれる

 

 

天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い後宮にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り、もし宮廷から逃走することができたならば出家しようと決心した。

事実、逃走に成功した龍樹は山上の塔を訪ね受戒出家した。小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は、更なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた。これを学んだ後、彼はインド中を遍歴し、仏教・非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全でないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた。

しかしマハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ、龍樹を海底の龍宮に連れて行って諸々の大乗仏典を授けた。龍樹は 90 日かけてこれを読破し、深い意味を悟った。

龍樹は龍によって南インドへと返され、国王を教化するため自ら応募して将軍となり、瞬く間に軍隊を整備した。王は喜び「一体お前は何者なのか」と尋ねると、龍樹は「自分は全知者である」と答え、王はそれを証明させるため「今、神々は何をしているのか」と尋ねたところ、龍樹は神通力を以って神々と悪魔阿修羅)の戦闘の様子を王に見せた。これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した。

そのころ1人のバラモンがいて、王の反対を押し切り龍樹と討論を開始した。バラモンは術により宮廷に大池を化作し、千葉の蓮華の上に座り、岸にいる龍樹を畜生のようだと罵った。それに対し龍樹は六牙の白象を化作し池に入り、鼻でバラモンを地上に投げ出し彼を屈服させた。

またその時、小乗の仏教者がいて、常に龍樹を憎んでいた。龍樹は彼に「お前は私が長生きするのはうれしくないだろう」と尋ねると、彼は「そのとおりだ」と答えた。龍樹はその後、静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出てこないため、弟子が扉を破り部屋に入ると、彼はすでに息絶えていた。

龍樹の死後 100 年、南インドの人たちは廟を建て、龍樹を仏陀と同じように崇めていたという。

梵字

ボロン

 

一字金輪仏頂 (いちじきんりんぶっちょう)、梵名エーカークシャローシュニーシャチャクラ (एकाक्षरोष्णीषचक्र [ekākṣaroṣṇīṣacakra [

一字金輪仏頂 (いちじきんりんぶっちょう)、梵名エーカークシャローシュニーシャチャクラ (एकाक्षरोष्णीषचक्र [ekākṣaroṣṇīṣacakra [1])は仏頂尊の一尊。深い瞑想の境地に至った如来が説いた一字の真言ボロン(भ्रूं [bhrūṃ])を神格化したものである。一字とは梵字一文字で表せるボロンを真言とすることに由来する。金輪とは転輪聖王のうち最も優れた金輪王を意味し、仏頂尊の霊験が極めて優れたことを譬えたもの。そのため一字金輪曼荼羅では、転輪聖王が従えるという七つの宝(金輪、如意宝珠、女宝、馬宝、象宝、主蔵宝、主兵神宝)が、一字金輪仏頂と共に描かれる。所依の経典により、如来形の釈迦金輪(しゃかきんりん)と大日金輪(だいにちきんりん)の二つの姿が説かれる。

釈迦金輪編集

釈迦金輪は、釈迦如来所変の仏頂尊とされる。 三昧耶形は八輻輪(8本のスポークのある輪宝)。種子はボロン(bhrūṃ)。その姿は、実際の造形例では螺髪の通常の如来形で赤い衣服を纏う。印相は定印にしてその両手の上に輪宝を乗せ、須弥山の上の月輪(全身を取り囲む白い光背)または日輪(赤い月輪)の中に座しているものが多い。また、光背の周縁に輪宝を巡らせてある場合もある。一方『陀羅尼集経第一』(大正新脩大蔵経No.901)には「体色は金色で七宝冠を戴き全身から光を放つ。印を結んで七宝で飾られた蓮の花の上に結跏趺坐する。座っている蓮華の下に輪宝、さらにその下に宝池がある」と記されている。

釈迦金輪はその輪宝で九曜等の天体神を折伏するとされ、宿曜道では凶星のもたらす災いを避ける修法の本尊として重視される。

大日金輪編集

一字金輪曼荼羅
中央の大日金輪を、仏眼仏母と 転輪聖王の七種の宝が囲む。

大日金輪は、大日如来所変の仏頂尊とされ、金剛界大日如来が胎蔵界日輪三昧という瞑想の境地に入って唱えた「ボロン」の神格化とされる。

三昧耶形は十二輻輪。種子は釈迦金輪と同じくボロン(bhrūṃ)。

その姿は、全身を五智宝冠等の装身具で飾り、印相は智拳印。七匹の獅子の支える白蓮華の上に座す。その姿は金剛界大日如来に酷似するが、大日如来が月輪の中に座すのに対し、大日金輪は日輪(赤い月輪)の中に座すのが特徴である。また、日輪の周縁に輪宝が配される場合もある。

大日金輪は、天台宗では蘇悉地法の本尊として金剛界・胎蔵界大日如来に並ぶ尊格とする。

また仏眼仏母と表裏一体の存在とも考えられ、金剛界大日如来が胎蔵界日輪三昧の境地にある姿が大日金輪、胎蔵界大日如来が金剛界月輪三昧にある姿が仏眼仏母であるとする。

また、一字金輪仏頂が折伏、仏眼仏母が摂受によって衆生を教化するという意味でも表裏一体である。 一字金輪仏頂の曼荼羅に仏眼仏母、仏眼仏母の曼荼羅に一字金輪仏頂を配して修法を行うのも、両者の補完関係を期待してのものである。つまり、一字金輪仏頂の霊験の輪宝によって倒された悪神は、真実の眼を開く仏眼仏母によって善神として蘇るのだという。

なお、一字金輪仏頂を本尊とする修法はあまりに強力であり、その壇から五百由旬四方の場所で行われている他の修法は全て無効化されてしまうとされた。そのため、真言宗では東寺の長者のみが修することを許されていたという。

一字金輪仏頂」とは、仏教における密教の用語であり、日本の密教や真言宗などで用いられる特別な仏頂尊の名前です。一字金輪仏頂は、三尊法の一つで、日本の密教においては主に不動明王の身体表現とされます。

「梵名エーカークシャローシュニーシャチャクラ」とは、サンスクリットで「ekākṣaroṣṇīṣacakra」と表記される言葉で、一字金輪仏頂の梵名です。サンスクリットは、古代インドの古典的な言語であり、仏教の経典や密教の用語が多く使われています

 

金剛界曼荼羅     .降三世会

成身会の諸尊のうち金剛薩埵が降三世明王(忿怒形)の姿をとり諸尊とともに衆生を仏道へと教化する集会図。

 

●成身会と同じ37尊のうち金剛薩埵に代えて降三世明王を配し、大日如来の智慧によっても教化できない衆生を忿怒の形相の尊によって降伏する集会。

●多くの尊は(胸の前で拳を結んだ両手を交差する)忿怒拳を結んでいる。

●金剛薩埵が降三世明王に姿を替え、ヒンドゥーの神のシヴァやウマ―后を調伏し仏教の護法神にしている

 

 

密教の金剛界曼荼羅は、密教仏教における重要な曼荼羅(仏教的な絵画や図像)の一つです。金剛界曼荼羅は、大日如来(ごだいにょらい)と呼ばれる仏の姿を中心に配置された円形の曼荼羅です。

降三世会(ごさんぜえ)は、密教の修法の一つであり、金剛界曼荼羅を中心に行われる儀式です。この儀式は、仏教の教えに基づき、悟りや解脱を目指す修行者が行います。

降三世会では、修行者が金剛界曼荼羅を観想し、仏の姿や各種の仏教的な神聖な存在と一体化することを目指します。観想の過程で、修行者は自己の執着や煩悩を超越し、智慧や慈悲の心を発展させることを意図しています。

また、降三世会では、仏教の経典や真言(しんごん)と呼ばれる特定の言葉や文句を唱えることも含まれます。これらの言葉や文句は、祈りや願望を表現し、仏の加護や悟りの力を引き出すために用いられます。

降三世会は、密教の修行者にとって非常に重要な儀式であり、悟りの境地への進展や救済を目指すために行われます。ただし、密教の実践や理解には多くの学習と指導が必要であり、個別の詳細な手順や内密な情報は密教の伝統的な教えに基づいて伝えられます。

 

 

密教

密教(みっきょう)は、仏教の一派であり、主に東アジア(中国・日本・チベットなど)で発展した宗派です。密教は、大乗仏教(マハヤーナ仏教)の中の1つの流派であり、密教の教義や修行方法は他の仏教の教えとは異なる特徴を持っています。

密教は、智慧と悟りの追求だけでなく、個人の解放や他者の利益のために力強い手段を使うことも特徴としています。密教では、密教の特殊な技法や秘密の教えを修得することによって、迅速に悟りを開くことができるとされています。

また、密教では、仏教の経典や教えに加えて、独自のテクニックや実践を含む密教のタントラ(秘密経典)が重要な教材とされています。タントラは、身体的な動作、呪文、呼吸法、視覚化、儀式など、様々な要素を組み合わせたもので、修行者が悟りを追求するための手段として使用されます。

密教の実践者は、師との関係を重視し、師弟関係を通じて密教の教えを学びます。修行者は、師の指導のもとでタントラの秘密を学び、その実践を通じて悟りを目指します。密教の修行は、一般的には厳格で長期にわたるものであり、身体的な訓練や精神的な集中力の向上に重点を置いています。

密教の目的は、個人の悟りや解放だけでなく、他者への利益や救済も含まれます。密教の修行者は、自身の成就だけでなく、他者のために祈りや儀式を行い、その人々の苦しみを軽減しようとすることも重要な要素です。

ただし、密教は独自のシンボリズムや教えを持つため、初心者にとっては理解が難しいこともあります。また、一部の密教の実践は、物理的なエネルギーの活性化や儀式的な要素を含むため、一般的な仏教とは異なる印象を持つこともあります。

なお、密教にはチベット仏教の「タントラ密教」と中国の「陰陽五行密教」など、さまざまな派生があります。それぞれの派生は独自の教義や修行方法を持ち、地域や文化によって異なる特徴があります。

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有名、僧侶は、教えて
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密教の歴史や実践者は多く存在しますが、以下にいくつかの有名な密教僧侶をご紹介します。

  1. パドマサンバヴァ(Padmasambhava):パドマサンバヴァは、8世紀にチベットにおいて仏教を広めたとされる伝説的な存在です。彼は「蓮華生大士」とも呼ばれ、タントラの教えを伝え、仏教の保護者として重要な役割を果たしました。
  2. 空海(くうかい):空海は、9世紀の日本の僧侶であり、密教の教えを日本に伝えた人物として知られています。彼は「弘法大師」とも称され、密教修行のために中国に渡り、帰国後に密教の教えを広めました。また、真言宗の開祖としても知られています。
  3. 達磨大師(だるまたいし):達磨大師は、6世紀に中国で活動したインド出身の僧侶であり、禅宗の開祖とされています。彼はインドの禅宗の伝統を中国に伝え、禅の修行方法や教えを広めました。
  4. 高僧・法王(ダライ・ラマ):チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマは、密教の伝統を代表する存在です。ダライ・ラマは仏教の教えを広めるだけでなく、世俗的なリーダーシップや平和の推進にも取り組んでいます。

これらの僧侶は、密教の教えや修行方法を通じて多くの信仰者や修行者に影響を与えてきました。ただし、密教の歴史や実践者は非常に多岐にわたるため、上記の例はごく一部であり、他にも多くの有名な密教僧侶が存在します

世親 古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧

世親(せしん、: Vasubandhu: dbyig gnyen)は、古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある

 

 

婆薮槃豆法師伝』によれば、世親は仏滅後900年にプルシャプラ(現在のパキスタンペシャーワル)で生まれた。三人兄弟の次男で、実兄は無著(アサンガ)、実弟は説一切有部のヴィリンチヴァッサ(比隣持跋婆)。兄弟全員が世親(ヴァスバンドゥ)という名前であるが、兄は無著、弟は比隣持跋婆という別名で呼ばれるため、「世親」という名は専ら本項目で説明する次男のことを指す。

初め部派仏教説一切有部で学び、有部一の学者として高名をはせた。ところが、兄・無著の勧めによって大乗仏教に転向した。無著の死後、大乗経典の註釈、唯識論、諸大乗論の註釈などを行い、アヨーディヤーにて80歳で没した。

 

 

世親(せしん、梵: Vasubandhu)は、古代インド仏教の瑜伽行唯識学派(ヨーガーチャラ)に属する僧侶です。彼は4世紀から5世紀にかけて活動した思想家であり、インド仏教の重要な人物の一人とされています。

世親は、彼自身の著作や護法論(ヤキャン)の著者として知られています。彼の最も重要な著作の一つは「瑜伽行論(ヨーガーチャラ・バンダパラ)」であり、この著作において彼は瑜伽行と唯識(ヴィジュニャーナ)の統合を試みました。

世親は、仏教哲学の中で唯識学派(ヴィジュニャーヴァーダ)を代表する人物とされています。唯識学派は、心理学的な側面から仏教教理を研究する立場であり、心(識)と現象の関係や認識の過程に焦点を当てました。

また、世親は「阿毘達磨集論(アビダルマ・コーサ)」の注釈書を執筆しました。この注釈書は、大乗仏教の教理を解釈する上で重要な文献とされています。

世親の思想は、仏教哲学や瞑想の実践に大きな影響を与えました。彼は仏教教理をより体系的に整理し、仏教の修行者が悟りを開くための方法を提唱しました。

世親の名前は、サンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳として「世親」と呼ばれるようになりました。ただし、彼の著作が中国に伝えられた際には「天親」(てんじん)と訳されることもあります。

 

無著(無着 むじゃく / むぢゃく、梵: Asaṅga アサンガ、

無著無着 むじゃく / むぢゃく、: Asaṅga アサンガ、: thogs med)は、インド大乗仏教唯識派の学者。生没年は不詳である[1]
かつてインド西北に位置したガンダーラ国(現在のパキスタン、ペシャーワル地方)にバラモン階級として誕生。父の名はカウシカ(Kauśika、憍尸迦)、母の名はヴィリンチ(Viriñci、比隣持)であったとされ、弟が2人おり、3人兄弟の長男であったとされる[2]。実弟の内、次男の方は説一切有部から唯識派に転向して大成した世親(ヴァスバンドゥ)。三男の方は説一切有部の阿羅漢ヴィリンチヴァッツァ(比隣持跋娑[3]Viriñcivatsa[3])。兄弟全員が世親(ヴァスバンドゥ)という名前であるが、長男はアサンガ(無著)、三男はヴィリンチヴァッツァという別名で呼ばれるため、「世親」という名は専ら次男のことを指す。初め部派仏教において出家[注 1]瞑想に基づく欲望からの離脱法を修得した。「」の教理が理解できないため自殺しようと悩んでいたとき、東方、ヴィデーハ国(現在のビハール州北部)のピンドーラ(Piṇḍola、賓頭羅)阿羅漢に出会い、ようやく部派の空観をも体得した。

しかし、これに満足できない無著は、インド中部のアヨーディヤー(現在のアウド)に赴き、大乗仏教の修行の一つである瑜伽行に努め、大乗仏教徒となった。伝説によるとこの時彼は神通力で兜率天に向かい、そこで弥勒マイトレーヤ)から大乗仏教の空思想を学んだのだという[5]。また、他の人々にも、弥勒が直接『瑜伽師地論』(『十七地経』)を説くように要請し、無著がその解説をすることにした。これが唯識思想流布の端緒とされる。彼は弥勒から日光三昧を教えられていたので、大乗の教義を容易に理解し、記憶することができたという。晩年には、大乗を誹謗する世親をアヨーディヤーに呼び寄せ、転向させた。世親は兄とともに偉大なる大乗仏教者として知られるようになった。

文殊院(もんじゅいん) 中心は文殊菩薩。手を広げ、人々に智慧を授け救う姿で描かれている。

文殊院(もんじゅいん)は、胎蔵曼荼羅の一部である両界曼荼羅(りょうかいまんだら)の上部、釈迦院の上に位置する区画(院)です。文殊院は、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を中心とした菩薩たちが配置されています。

文殊菩薩は、智慧と学問の仏であり、知恵や悟りを求める修行者にとって重要な存在です。文殊院は、そのような修行者が文殊菩薩の加護や教えを受ける場所とされています。

両界曼荼羅は、密教の修行や儀式において重要な役割を果たす曼荼羅です。曼荼羅は、仏教の宇宙観を表現した図像であり、両界曼荼羅は宇宙の二つの側面である具現界(ぐげんかい)と虚無界(こむかい)を表しています。

具現界は、私たちが日常的に経験する有形の世界を表し、釈迦(しゃか)や菩薩(ぼさつ)などの仏や神々が配置されます。一方、虚無界は、形や存在を超えた無の領域を表し、文字や記号が配置されます。

両界曼荼羅は、修行者が具現界と虚無界の相互作用を通じて悟りを得るための道具として使用されます。文殊院は、この両界曼荼羅の一部であり、修行者が智慧や悟りを深めるための場とされています。

蓮華部院

蓮華部院

胎蔵界(たいぞうかい)と蓮華部院(れんげぶいん)は、密教における概念です。

  1. 胎蔵界(たいぞうかい): 胎蔵界は、真言密教の宇宙観において、最も奥深い存在であるとされる領域です。胎蔵界は「タイゾウカイ」とも呼ばれ、全宇宙の根源であり、一切の事象が生まれる場とされます。この世界は究極の真理と悟りを体現しており、全ての仏教的存在が胎蔵界に存在していると考えられています。
  2. 蓮華部院(れんげぶいん): 蓮華部院は、密教における仏教の宇宙観の中で、物質的な世界である「生死界(しょうじかい)」に対応する概念です。蓮華部院は「レンゲブイン」とも呼ばれ、人々が日常的に経験する現実の世界を指します。この世界は苦悩と煩悩の存在する場であり、人々が悟りを求める修行の対象となる領域です。

これらの概念は、密教の哲学や修行の過程において重要な役割を果たしています。密教の教義では、胎蔵界と蓮華部院の関係性や、胎蔵界から蓮華部院への教えの伝播など、宇宙の構造と修行のあり方について深く考えられています