UA-135459055-1

Agon Shu is Original BuddhismAgon

Agon Shu is Original BuddhismAgon Shu is a Buddhist organization based on the Agama (Agon) Sutras which Shakyamuni Buddha originally preached to his disciples. Agon Buddhism is described as “Original Buddhism.” In the past, Buddhism was erroneously divided into Mahayana Buddhism and Hinayana Buddhism. This was, however, a sectarian demarcation rather than a proper classification, and the two streams of Buddhism have now been retitled as Mahayana Buddhism and Original Buddhism. Agon Shu falls under what is now called Original Buddhism.Agon Shu was established as a Buddhist organization in 1978 by Seiyu Kiriyama. Seiyu Kiriyama is the spiritual leader of the organization and is referred to as Kiriyama Kancho. Kiriyama Kancho led a Buddhist organization called Kannon Jikeikai, based on the Kannon Sutra of Mahayana Buddhism, for about thirty years, until the founding of Agon Shu in 1978.You may ask why Kiriyama Kancho dissolved the former Buddhist organization of Kannon Jikeikai and established Agon Shu? Kiriyama Kancho gives three reasons:

随眠という名の無意識層 

随眠という名の無意識層

第三章

欲求不満と危惧に対してはげしい怒りを発する心である。

 瞑は、わが心に背く事あれば(それが)善事にても必ず怒る心なり。(唯識大意)

 三、無明上凝ともいう。

 無智のこと。愚迷。もろもろの道理に迷う愚癈の心作用。ものの道理のわからぬこと。われわれの

存在の根底にある根本的な無智。すべての煩悩の生ずる根源とされる。

 境を照らす明なしというところから無明と名づけ、事物の道理を決断する智なしというところから

無智と名づけ、事物の道理を彰了する顕なしというところから無顕とも名づける。

 三、慢

 自分に傲って他を軽蔑する心。

 慢というは、わが身を侍んで人を役り、少しも謙下(へりくだる)なき心なり。(唯識大意)

 なお、慢には、七慢・八慢・九慢などの分類がある。つぎに七慢をあげておく。

 ’七慢

 1 慢=自分より劣った者に対してすぐれていると自負し、同等な者には同等であると高ぶる。

 2 過慢=同等の者に対してはすぐれていると慢じ、すぐれた者には同等であると慢ずる。

 3 慢過慢=自分よりすぐれた者に対し、逆に自分がすぐれているとする。

 4 我慢=自分の身心を永遠不変の我であるとたのむ。

 5 増上慢=さとりを得ないのに得たとする。学問・知識などその奥に達していないのに達したと

随眠という名の無意識層

第三章

欲求不満と危惧に対してはげしい怒りを発する心である。

 瞑は、わが心に背く事あれば(それが)善事にても必ず怒る心なり。(唯識大意)

 三、無明上凝ともいう。

 無智のこと。愚迷。もろもろの道理に迷う愚癈の心作用。ものの道理のわからぬこと。われわれの

存在の根底にある根本的な無智。すべての煩悩の生ずる根源とされる。

 境を照らす明なしというところから無明と名づけ、事物の道理を決断する智なしというところから

無智と名づけ、事物の道理を彰了する顕なしというところから無顕とも名づける。

 三、慢

 自分に傲って他を軽蔑する心。

 慢というは、わが身を侍んで人を役り、少しも謙下(へりくだる)なき心なり。(唯識大意)

 なお、慢には、七慢・八慢・九慢などの分類がある。つぎに七慢をあげておく。

 ’七慢

 1 慢=自分より劣った者に対してすぐれていると自負し、同等な者には同等であると高ぶる。

 2 過慢=同等の者に対してはすぐれていると慢じ、すぐれた者には同等であると慢ずる。

 3 慢過慢=自分よりすぐれた者に対し、逆に自分がすぐれているとする。

 4 我慢=自分の身心を永遠不変の我であるとたのむ。

 5 増上慢=さとりを得ないのに得たとする。学問・知識などその奥に達していないのに達したと

幻さて、いま、根本誌眠(根本煩悩)について解説した。

 日常生活の上に、日夜たえまなく生起するわれわれのこころの動きについて、じつに詳細かつ精緻に

観察していることにおどろきを感じるのは、わたくしだけではなく、おそらくあなたも同感であろう。

 しかし、古代仏教における人間のこころの観察分析は、この程度のものではないのである。

 根本煩悩に附随してつぎつぎと起きるこころを「随煩悩」という名でとらえて、さらに精密に論ず

るのである。

 さきで、「煩悩の十事L(十の性質)が説かれている。すなわち、一、根本を堅くすること。二、相

続を立すること。三、自田を治めること。四、等流を引くこと。五、自具を摂すること。六、識流を

導くこと。すべて、(根本)煩悩がひとたび目ざめて動きはじめると、つぎつぎといくつかの煩悩が連

鎖反応を起こす性質のあることを示している。この連鎖的に起動する煩悩を「随煩悩Lといい、論の

 

 

 

  随 煩 悩

 

第四章、随煩悩でこう説き明かす。

   『随眠は、既に説きつ。随煩悩は云何。

   頌にいわく、

    随煩悩は、此の余の、染の心所の行羅なり。                       

   論じていわく、この諸の煩悩を、亦た随煩悩と名く。皆、心に随って、悩乱の事を為すを以ての故なり。

 復た、此の根本煩悩の外に、余の

ヽ諸の根本煩悩に異なる染汗の心所の、行蔭に摂するものあ タ

  り。根本煩悩に随って起るが故に、亦随煩悩と名け、煩悩とは名けず。根本に非ざるが故なり。』

 その随煩悩をあげてみよう。

 ただし、随煩悩の種類のあげかたはいくつかあって、一概にはさだめがたい。ここでは、倶舎の「五

位七十五法Lによるものと、後世の唯識大乗によるものとの二つをあげて、解説したい。

 倶舎では十九種類である。

 大煩悩地法として、

 放逸・服怠・不信・悟沈・棹挙の五、

 大不善地法として、

 むざん む考ヽ                         ’

 無噺・無情の二、

 小煩悩地法として、

 ふん ぷく けん しっ のう がい こん てん おう きよう

 忿・覆・樫・嫉・悩・害・恨・諮・匝・僑の十、

 不定地法として、

 睡眠・悪作の二、

以上である。

 唯識においては、

随眠という名の無意識層

第三章

 忿・恨・悩・覆・脱・諮・僑・害・嫉・樫の十を「小随惑」とよび、

 無晰・無愧の二を「中随惑L、

 不信・爾怠・放逸・悟沈・棹挙・失念・不正知・散乱の八をI「大随惑」とよび、この三種二十の惑

を、随煩悩と名づけるのである。

 わたくしは、倶舎の不定地法による睡眠と悪作を除いて、唯識の失念・不正知・散乱を入れて、

「二十随煩悩Lとする。なぜかというと、不定地法は、かならずしも煩悩とはいわれないからである。

睡眠は善・不善・無記の三性に共通するものであるし、悪作も善・不善の二性に共通して善性のもの

もあるからである。もちろん、倶舎が随煩悩にとりあげている睡眠と悪作は、睡眠の不善・有覆性

と、悪作の不善性の、煩悩といわれ得るものをとりあげているのであるが、わたくしは、考えるとこ

ろあって右のようにするのである。

 では、随煩悩を解説しよう。

  随煩悩解説

1 忿

いかり。

自分の心にかなわぬ対象に対して怒りの情をいだき、刀杖等をとるにいたる、いわゆる短気の心作

 

 

用をいう。このこころは、根本煩悩の「賦」の等流(つづいてのちにあらわれ出た同類のもの)、つ

まり瞑にしたがって出てくるこころなので、眠は先払いのごとく、忿は後押しの如し、といわれる。 タ

 忿というは腹を立てて杖をとって人を打たんと思うほど怒る心なり 0(唯識大意)

 2 恨

 うらみ。

 敵意がひき続くこと。

 先に忿怒したことに恨みをむすんでいつまでも解けず忘れぬ心作用をいう。

 恨というは、人を恨むる心なり。恨みを結ぶ人の、残念口惜しとて押さえ忍ぶこと能わずして心の

内つねに悩むなり。(唯識大意)

 3 諮

 へっらう。

 自分の意志をまげてこびへつらい、人にとり入ったり、あるいは理屈をつけて他をおとしいれたり

する。

 諮曲といって、心を曲げて実の心をあらわさず、他を籍絡せんがため・に表面柔順をよそお、うなどす

の心を取り、あるいはわか

り。(唯識大意)

           だま                          かた

諮というは、人を隔くらかし迷わさんために、時に随い事にふれて奸ましく方便をめぐらし、人

               あやまち

をかくす心なり。世の中に詔曲の者というは、この心の増せる人な

 4嫉

 ねたみ。嫉妬。

 他人の幸福や成功を喜ばず、妬忌して憤酒する心。

 嫉というは我身の名利を求むるが故に人の栄えたるを見問して深くねたましきことに思うて喜ばざ

る心なり。(唯識大意)

 5 悩

 なやむ。

 憤憑や怨恨や憂悶にとらわれて使悩する。

 また、自分の考えを固執して捨てず、他人の忠告や諌めを入れぬ頑迷な心をいう。原語呂ぼ回

を、真諦は「不捨Lと訳しているが、これは、自分勝手なせまい見解を固執して捨てず、そのために

いろいろと悩みの生ずることをいうのであろう。                         タ

 悩というは腹を立て人を恨むに依って僻み戻り、心の中つねに安からず、ものを言うにその言かまびすくして険しくいやしく腹ぐろく毒毒しき心なり。(唯識大意)

 6 覆

 責任のがれ。

 自分のおかした罪やあやまちをおおいかくして偽陥する心。

 自分の地位や名誉、あるいは体面を失うことを恐れて、自分の非を隠蔽する心。

 覆というは名利を失わんことをおそれて、わが罪あやまちを覆いかくす心なり。隠す人は必ず後に

悔み悩みあるいは悲しむことあり。(唯識大意)

7 樫

ものおしみ。むさぽり。樫惜。樫貪。吝嗇。

ものや知識、技術などすべて自分の持っているものに執着して、他に頒つことを吝しか心。

樫というは財宝に敗着して人に施す心なく、いよいよ貯えんとのみ思う心なり。(唯識大意)

8 唐

欺隔。他人をあざむきたぶらかすこと。

無徳なのに有徳のように、下劣のものを優秀なもののように装って、他人を惑わす詐偽の心作用を

いう。裏切り、設計の能力。徳がないのに敬われようと欲する人。

 斑というは、名利を得んがために、心に異なる謀をめぐらして、矯ましく徳ありと現わす偽りの

心なり。世の中に証惑者というはこの心の増せる人なり。(唯識大意)

 たぶらかす、不実の語をいうなり。(『無門紗』)

 9 僑

 おごり高ぶり。自らおごり高ぶること。自己満足。

 自分の財産・地位・才能・学力・容姿などをほこり高ぶる心。

 僑も幔もともにおごり高ぶる心であるが、僑は自分の性質(美貌や若さや才能や血統、学識など)

をすぐれたものと考えて、自己に執着する心のおごりであるのに対し、幔は、自分は他人よりもすぐ

れていると妄想して、他人に対して誇りたがる心のおごりである。要するに、慢は他人を意識して起

こすが、僑は他人を意識せずに起こすものである。

 僑というは、わが身をいみじく盛なる者に思うておごり高ぶる心なり。(唯識大意)

 ただ自分のよきことのみをおもい人を見くらべず、なにごともおのれがよいとはこるが僑なり。

(『香月』)

1 害

 

 

 

 傷害。害意。人をきずつける心。

 生けるものに危害をくわえることを快しとする心作用。

 同情心に欠け、人の行動や生活をきずつけ妨害する。

 害というは、人を哀れむ心なく情なき心なり。世の中に慈悲性もなき者というは、この心の増せる

人なり。(唯識大意)

1

 

 反省心のないこと。はじらいのないこと。自分自身にたいして、罪を罪として恥じないこと。さか

うらみ。

 自分自身に対し罪や過失や不徳を恥ずる心のないこと。(自ら省みて恥じるのを噺・他に対して恥

じるのを愧という。無晰・無愧はその反対である)

 無噺というは、身にも法にも恥じずして、善根を軽しめ諸の罪をつくる心なり。(唯識大息)

12 無愧

恥じ入る心のないこと。破廉恥なこと。他人に対して恥じないこと。・

無愧というは、世間の見聞にも恥じずして、諸の罪を崇むる心なり。(唯識大意)

 13 棹挙

 軽噪。がるはずみ。とりとめのない心。心が浮動して静まりのないこと。心が寂静でないこと。軽

挙妄動してつねに落ちつかず燥泄の生活を送る。

 棹挙というは、動きやすくさわかしき心にて物にのりやすくおだてられやすい心なり。(唯識大意)

 

 14 悟沈

 沈唇。心のめいること。ふさぎこむこと。

 不活発な気質、心の不活動性。心を暗く沈ませる心作用をいう。気分が陰唇で善事をなすにたえら

れない性である。人をして憎惰、怠慢ならしめる。要するに気分が重く暗くてやる気がおこらない。

ことをおこなうにあたって、心が巧みでない。適応性がないのである。

 悟沈というは、重く沈み溺れたる心なり。9 重として目のくらむようになるなり。(唯識大意)

 無明と悟沈と相似てわきまえ難し。無明は閤く迷えり。重く沈み溺れたるにあらず、悟沈はただ闇

く迷えるにあらずして重く沈み溺れたるなり。(唯識大意)

15 不信

信のないこと。

実有・有徳・有能であることに対するヤ儲ず。

心が乱れさだまらず集中できない。知能がはたらかない。

心乱というは、心を散らし乱す心なり。この故に散乱と名づく。(唯識大意)

 

 心がきよらかでなく、よいことや正しいことを見聞しても、邪推したり歪曲してとって、信解しな

い。したが’つて悪行や邪行を楽しむ。

 不信というは、貴き目出たき事を見聞しても忍び願う心なくして、稿れ濁れる心なり。かかる人は

多く御怠なり。(唯識大意)

 16 謝怠

 怠惰。怠り。なまけて励まないこと。やる気を起こさない心性。

 仏道を修行するのに力を尽くして励まないこと。台心って教えを奉じないこと。釈尊の臨終のことば

は「つつしんで御怠することなかれLであった。

 世間のなぐさみ、囲碁将棋などして、善事をおこたるはみな謝怠なり。すべて善事をおこたるを脚

怠という。(『香月』)

 俗怠は諸の善事の中に解り嘲き心なり。かかる人は又多く不信なり。(唯識大意)

17 放逸

わがまま。放縦。なおざり。気ままに遊ぶこと

責任感に欠け、勝手気ままに行動する。

不注意で軽率、心が散役である。

放逸というは、罪を防ぎ善を修する心なくして、ほしいままに罪を遣る心なり。(唯識大意)

 18 失念

 飲酒などのためにぼうっとして自制心を失うこと。

 飲酒だけに限らず、趣味・道楽・かけごと・異性などのために心を散乱させて自制心を失ったり、

対境をはっきり記憶できなくなるのは、みなこの心である。

 失念というは、取りはずし物を忘るる心なり。かかる人は多く散乱なり。(唯識大意)

19 不正知

正しい認識ができない心。不完全な認識。

不完全な自覚―-なすべきこと、あるいはなすべからざることをわきまえない。

対象を正しく把握・理解せず、歪曲したり誤解しながら、それが正しいと思っている。

不正知というは、知るべきことをあやまって解す。かかる人は事を毀ち犯すなり。(唯識大意)

20 散乱

心の拡散。心が乱れ定まらないこと。

凡夫の心がつぎつぎと絶えまなくその対象に移し流され、一刹那もとどまらないこと。

 

 

 

 どうであろうか?

 まことにくわしく分析し尽くしたものではないか。

 わたくしは、むかし、はじめてこれを目にしたとき、一読、思わず、心から赤面したことをおぼえ

ている。ここにあげられているこころがすべて自分のなかにあり、しかもそのうちのいくつかは現に

動いていて、自分がそれに動かされつつあることをはっきり自覚したからであった。それを自覚した

刹那、そのこころのままに動かされて行動したとき、その結果がどういうかたちになってあらわれる

かが直感され、わたくしはそのこころをなんとかおししずめ、他のべつな方向に向けるべく努力し

た。それがわたくしの人生の一つの転機をなした。以来、わたくしはこの随煩悩の一覧表を作製して

所持し、時にふれ、目にすることにした。とくに自分の持つ因縁と相応してつよくあらわれやすいこ

ころは赤字でしるした。不徳のわたくしはこれにより少しでも自分を改造しようと決心したのである

(根絶する修行をはじめたのはもっとあとのことである)。

 しかしいまでもわたくしはこの一覧表を目にするとき、内心憤死たることしばしばである。

 あなたはどうであろうか?

 これらのこころがわれわれを形成しているのである。

 これらのこころにみたされ、これらのこころの動くままに行動したとき、その結果がどのようなか

たちであらわれてくるか、どう考えても、それは決して「このましくよきものLであるとは考えられ

まい。自分にとっても周囲にとってもそれはけっしてこのましくよきものを形成しはしない。しかし

われわれはこのこころに日夜動かされつつあるのである。大なり小なりこれらのこころがわれわれを

動かし、それの累積がわれわれの人生となり、われわれの環境をかたちづくっているのである。それ

はだれしも否めない事実ではないか。それを仏陀は「業」とよぶのである。

 根本煩悩に十、随煩悩に二十、じつに精緻に分析したものである。

 しかしこれは決して単なる心理論や心理学ではないのである。それはわれわれの存在の構造を示す

ものなのだ。この構造をどう改革するか? それが仏陀の教法である。この構造を改革し、さらには

この構造を大きく飛越しようとするのが仏陀の教法なのである。だから精緻きわまる心理分析も単な

る心理論ではないのである。そこでI-、重大な一つの論争がなされている。

 それは、煩悩と随眠との関係についてである。

 ひとロにいうと、煩悩はすべて意識的であるのか、それとも、習気(習慣的余力)としての無意識的

煩悩もあるのかという問題である。専門用語でいうと、随眠はこころと相応するのか、しないのか、

という問題である。

 

 それはアビダルマ教学史上に有名なヴァスバンドウ(世親)とサンガバドラ(衆賢)との論争で、

世親のあらわした『阿毘達磨倶舎諭』に対し、衆賢は『阿毘達磨順正理論』を以て世親の説を論破し

ようとしたのである。

 世親の立場は、随眠は心と相応するのでもなく、不相応でもない。煩悩の眠る状況、すなわち無意識

的状態が随眠であり、それが覚曜して意識的状況にあるとき、貳とよばれるのだとする(前出の通り)。

 これに対し、衆賢は、随眠と煩悩とはおなじであるとする。たとえば、貪随眠を貪即随眠と考え、

貪なる煩悩と離れて存在する貪の随眠とは考えないのである。その論拠は煩項になるからここには挙

げないけれども、要するに、衆賢は随眠を以てどこまでも意識的であるとみるわけである。それは、

われわれの生活活動をもっぱら意識的活動とみることになる。これにたいし、煩悩を、意識的活動と

しての纒と、無意識状態としての随眠とに分けて考える世親の立場は、人間の無意識的心理活動に大

きな意味をみとめようとするものであり、この両者には決定的な相違があるわけである。

 それはまさに決定的な相違であった。

 そんなことくらいどっちにしてもたいしたことはないじゃないかと思われるかも知れないけれど

も、そうではないのだ。この相違はまさに決定的な相違であったのだ。

 というのは、この論争の結論は、ただちに、仏教における実践法1-つまり修行法にかかわってく

ることになるものだったからである。

 たしかにこの両者では修行法がまったくちがってくる。だからそれはまさに決定的な相違であった

のだ。事実、仏教はここから大きく分かれて、べつべつの道を歩むことになるのである(世親のこの

立場はやがて種子論となり、つづいてアーラヤ識を生み出し、最後に唯識大乗をうち立てることにな

る。一方、衆賢の立場は、ついに、小乗といわれる「薩婆多部L〔一切有部〕のワクから一歩も出る

ことなくおわるのである)。だから、この、世親と衆賢のそれぞれの立場は、仏教の二つの立場をそ

のまま代表することになるわけである。と、そういうと、あなたはここで首をひねるかも知れない。

 それはおかしい、二人の意見の相違は相違として、いったい仏陀ご自身のご意見はどうなのか?

仏陀はどう教示されているのか?

 それほど重大な問題にたいして、仏陀はなにも教示されておられぬのか? と。

 それはたしかにその通りだ。はっきりした仏陀の御教示があれば、世親も衆賢も論争して意見が二

つに分かれたままということはないはずである。では、仏陀は明確な教示をなされていなかったのか?

 ひと口でそれに答えることはむずかしい。教示されていたともいえるし、教示されていなかったと

もいえるのである。

 そういうと、あなたはまたいうであろう。

 仏陀の教法、仏陀の教法、というが、それでは、仏陀の教法とはいったいなにをよりどころにした

ものなのか? と。われわれはなにを以て仏陀の教法とすればよいのか、と。

 たしかにそれはこの上なく重大なことである。それを明確にしないかぎり、仏陀の教法などと口に

することはできまい。では、根本に立ちもどって、それをはっきりしようではないか。

 

 

 

 

 

 

 

意・念・気   心のもつ力

意と念と気ところで、その「心」を、わたくしは、そのはたらきの上から、つぎのように

分類している。

 意・念・気

 である。

 意とは、意志、というように、心が一定の方向に向かって動いている状態をさ

す。

 念とは、意の動きが集申し高まって、ひとつの力を持つに至った状態で、念

力、という名がこれをよく表現している。

 気とは、念がある方向に向かって身体の申を流れていく状態である。ただし、

この気」には、意識的につくり出されたものと、無意識的・生理的に、自然に

身体の中を流れているものと、二種類ある。たとえば、「元気だ」というような

言葉で表現されるものである。そこで、見方によっては、気を集中したものが念

なのだ、ということもできるであろう。もともと、心というひとつのものを分け

て考えているのであるから、そこのところはどうともいえるわけである。

 ここでは、便宜上このように分類して、「気」という場合は主として意識的に

つくり出されたものをいっていると考えていただきたい。

心をどのように使うのか

 さて、それでは、その「心」をいったいどのように使うのであろうか?

 心とは元来、この上なくとらえがたいものである。コロコロとつねに動いてと

どまらぬところから、これを約めてご』ころ”ということになったのだといわれ

るくらい、それは把握しがたいものである。いったいどうやって、これを思うと

おりに駆使するのか?

 ひとつ、方法があるのである。

 なにか?

 心.

 心と呼吸とは、非常に密接な関係がある。

 心の状態がそのまま呼吸にあらわれ、呼吸の状態がそのまま心を映し出す。心

が静まれば、呼吸も静まり、呼吸を静めれば心も静まる。

 心と呼吸は一体なのだ。

 そこI、呼吸をコントロールすることにより、心をコントロールするとい

う、高度のテクニックを使うのである。ここからスタートして、しだいに熟達

し、ついには自分の思うように心を使うことができるようになるのである。

 いや、それだけではない。一歩進んで、体(筋肉)をも、思うとおりに使いこ

なすことができるようになるのである。というのは、呼吸は心と一体であるが、

それだけではなく、体とも一体であるからだ。修行が進むと、今度は、呼吸と心

が。体になって、心が描くイメージどおり、不随意筋をも動かすようになるので

ある。

 

呼吸

呼吸は。生き”である

 いま、わたくしは、心と呼吸は一体であるといったが、呼吸は、心と一体であ

るだけではなく体とも一体なのである。

 健康で心が安定していれば、呼吸もおだやかで安定している。

 体が不調であると、呼吸もリズムが乱れて不安定となる。疲れたときや病気が

重いとき、呼吸は浅く、荒くなる。精神的な激しいショックを受けたときもおな

じである。

 また、心因性の病気を持つ人や、精神病者も、呼吸が荒く、正常ではない。

 まさに、呼吸は、〃生き”なのである。

 そこで、心をコントワールする呼吸法は、まず、正しい呼吸のしかたからス

タートする。

 というのは、悪い呼吸をしていたら、超能力どころではない。体も、心も、ま

た脳も、悪い影響を受けて、本来持っている力さえも、十分に発揮することがで

きないのである。

 いや、それだけではない、健康を害して病気になったり、ときには大切右生命

まで失ってしまうおそれがあるのである。

 その反対に、正しいよい呼吸を身につけると、体は強健になり、いつまでも

若々しく、心はつねに明るくさわやかに、脳もまた明敏なはたらきをするように

なる。

 それがウソではない証拠に、その反対の、よくない呼吸をしてみよう。どうな

るか?

 Lず、最悪の呼吸のしかたである。

 そわは、浅い弱々しい呼吸と、それにもまして、悪いのは、しばし息を止める

呼吸である。

 たとえば、心配ごとや不安に心が閉ざされると

呼吸運動にほかならない。肺そのものは、決して自力で息を吸ったり吐いたりで

きないからである。

 したがって、呼吸筋を十分にはたらかせずに呼吸している人は、十分な呼吸を

していないということになる。

 だれだって、生体の維持に、呼吸がどれほど大切な役割を果たしているか、知

らない人はないであろう。息が止まったら、即、死につながるのである。それほ

ど大切な呼吸を、不十分なしかたでしているとしたら、一生を通じてどれほど不

利益なことになるか、あなたは考えたことがあるだろうか? これは、生きると

いうことの最も基本的なあり方の見直しというべきものである。

 呼吸運動の目的は、肺のガス交換だけではないのである。それは、血液循環に

対しても重要な仕事を分担している。浅く弱い呼吸ばかりしていると、血液内の

酸素〇にが不足するばかりでなく、炭酸ガスのFの体外への排出も不十分なこと

になる。また、血液の流れも悪くなる。したがって、こういう呼吸をつづけてい

ると、体全体の生命力が低下してくる。当然、健康がおとろえ、病気に対する抵

である。

抗力がなくなって、体は病気の温床となる。

 人間の体は、約六十兆といわれる膨大な数の細胞で構成されている、その

六十兆の細胞は、すべて流れている血液によって養われ、生きているのである。

酸素をたっぶり2  くんだ血液の流れる内臓にはガンも発生しないという。ガン細

胞は酸素がきらいなのである。たかが呼吸が浅いくらいと、軽視してはならない

のだ。さらに、いまいったように、呼吸は、全身の細胞に深い関係があるだけで

はなく、呼吸運動は、自律神経系、ホルモン系、あるいはリンパの流れ、各臓器

間の状態にまで強い影響をあたえるのである。

 それにはまず、強い呼吸筋による強くたくましい呼吸のしかたを体得しなけれ

ばいけない。それによって、強くたくましい心身、明るく聡明な脳を獲得するの

に必がな第一の基礎ができあがるのである。

 

 

 

 

Chadra creates a miracle Kundalini yoga

The miracle that Chagra produces

The source of kundalini yoga’s creation of paranormal abilities is the “chakra”.

Kundalini Yoga has a history of three thousand years.

In such an old age, Kundalini Yoga has seven places in the human body.

We discover “spring which springs out of power” and control this spring freely and generate superhuman ability

Technology was developed. Then, I name this “spring that springs from power” “chakra”

I put it.

What does chakra mean?

6 The Chakras 9 issued by The Theosophical Society based in the UK, and the United States, India

Inside, the lead beater translates it as 6 Force Centef. Center of Repulsion ”

It is. Then, it is explained as follows.

The word Chakra is a Sanskrit word, meaning a ring, and a literary expression

Reincarnation meditation method II 62

Then, it is “rotation of the ring of the law”.

When.

Another European yoga leader says it is “width”.

My thoughts are closer to this one.

However, it would be wrong to say that this is a ring cap

The pillars radiate radially in all directions from the center of the wheel, ie similar in width

However, it is not the width itself, nor the ring, it is the state of the width. That is,

Radial waves are considered to be the most appropriate.

It shows the state of things, not things themselves, but it

It is doing. It is a state where one stimulus is produced by a certain stimulus

Ru. The condition is in the form of radiation like width.

It looks dimly lit with various colors when the power is full

Ru. It is similar to Reikai, but it doesn’t emit as colorful as Chakra.

Why does the chakra generate a special power that should be called superhuman?

For a long time, it has been considered a mysterious mystery, but with the advent of modern physiology,

The mystery was solved.

The chakra’s allies are in line with the endocrine glands.

Experts of Kundaliny Yoga stab the place with the power gained through special training.

It generates intense and intense human power. Endocrine glands generate power

It is a source.

When this is compared with the endocrine gland by modern medicine, it will become like Table 1 (page 73).

However, this anatomical contrast of chakra and modern medicine is my training experience.

Therefore, I have classified and the leaders of the European and American

There is a way of contrast classification of people in I will

I believe that this is the right thing by the training experience of the takashi, or

As Dr. Reidbeater says, differences in physique and constitution by race and ethnicity

It may be due to In his book, Mr. Chakra is large and small, color,

~ 5 SI J 1-Domad, ‘,’

Positions, shapes, etc., colored, white, ethnic, ethnic, ethnic

There is a problem, and some individual differences can be seen in the same people and races.

It is Certainly that’s right, I also think.

Chagra features

The chakra is located in the same place as the hormone-secreting endocrine gland and has

It was said that it is a place to express one amazing power.

So what kind of power does each chakra exert?

Let’s write down what to convey as the secret of Kundalini Yoga.

-, Moura Da Racha Chatara

Gonadal of the endocrine gland, the site of the kidney.

When you awake this jyakura, your physical strength will increase abnormally, and it will be three to five times the size of your duo

Become energetic. It will be fine all night long on the 3rd and 4th. All sickness

It will not be accepted, it will be a healthy body itself. Those who are ill are

I get lost. Concentrate the old Q and Q in this chakra and its energy

When activated, even a prisoner of death will kick the floor and stand up. For both men and women

It is younger than 10 years old than old age.

Instead, they have strong sexual desire and fertility, so their energy is

I also use the method of changing to the energy of intelligence called ujasu.

2, Svardy Stanner Chakra

It is a part of the adrenal gland that lets out the hormone of fight, the hero hormone.

When this chakra wakes up and fire energy is activated, the energy is enhanced and he becomes brave

Be active and aggressive. Do not be afraid of anything, every thing

Don’t be fooled, with fear and immorality, you won’t fall into any difficulties. Life and death over

It exerts super-human skill and strength.

怖 ・ JI い 0 叶 |, Shouting 66 1 66

3 、 Manipula Chakra (Narby Chakra)

It is in “Yogasutra” which is a mystery book of Yoga.

By applying restraint to the umbilical ring, it is possible to know the tissues in the body.

About this chapter, Dr. Tsuruji Sabot

(Universal force Section 29)

The umbilical ring is not an actual umbilical hole, but imagined to be there

It is said that it has a width of 16 in the mysterious wheel-like part. In one theory

Is the third lowermost of the six chakras to be preached in later generations of Hatha Yoga.

It is also said that it is a Nipoh fu chakra. In any case, the part visible to the naked eye

It is supposed to belong to the ghost, not to the minute. Umbilical ring is gas (life energy

In the middle of the body), and if you

It is described that, but this is somewhat useful.

It is said that the doctor is “mystery supposed to be around”, but this part

Is by no means a fantasy place. Demonstrate a great power that seems to be mysterious

However, it is medically clearly identified.

Medically, it is of the “solar plexus” named so-fu plexus.

It is. It is also called the celiac plexus and visceral arterial plexus, and the superior mesenteric which comes out of the celiac artery

It is the large plexus of the sympathetic nerve at the beginning of the artery (see FIG. 2, page 75). Back of stomach

Because they are sending nerves to each organ, like the rays of the sun, on the side,

It was given a name.

That is, the nerves coming out of here are esophagus, stomach, abdominal blood vessels, liver, bile ducts, pig organs,

It is distributed in the adrenal gland and intestines. In addition, this plexus is large and small visceral nerve, vagus nerve,

Reigawa | Town Question J 68

The 12 th thoracic ganglia, the 1st lumbar ganglion, etc. are gathered, and it is the most important as a visceral nerve

It is

Chakras have always been considered as fantasy or mysterious places until now

It has been These parts are by no means like that, as I mentioned earlier

In addition, there is a deep relationship between endocrine glands, nerve groups, enzymes etc.

It is a very important place, and it is a place to do important work.

“We can know the internal tissues of the body by applying restraint.”

In the case of a discipline, it is a special concentration that has undergone special training. Know this organization,

In addition to simply knowing the organization, it is possible to control the organization freely

It means that you can. If you concentrate your control on this umbilical ring,

A visceral organ belonging to a small burden—from the esophagus, stomach, liver, spleen, spleen, adrenal gland, intestine

You can control everything as you see it. Within these

Immediately know what state the organ bamboo is in, if there is any abnormality

It returns to normal soon. Training of such power is training of this umbilical ring

It is a site of thyroid and salivary gland.

Amplification of the sense organ is made towards higher dimensions.

You will be able to interact with the Holy Spirit and hear the voices of holy things.

In addition, I saw in Tenchi the things that I really did not understand and understood.

It can be assimilated into the heart of mind, wisdom and energy, and can be heard from there. In other words, human

Even though the body is broken, the energy of the mind held by that person

As it is the same as the vibration of its heart in this chakra,

All things that I had, consciousness and intelligence all become assimilated and become my own

It is.

In other words, it means that the way of transportation with the spirit world (four-dimensional world) is opened.

It is

6. Agenya Chiyakla

It is a part of the intracerebral rod.

Has extremely developed intelligence.

Once you touch your eyes, once you hear what you remember, you will never forget your memory

Power.

Instantly analyze, reason, and understand any complex structure or organization

The power of deduction and induction to grasp the quality.

Super leap of creativity that originates from pure thinking that does not go through indirect thinking of being a word.

Ultimately, we will complete the four virtues of “Joraku-Ga-Ju” as it is called in Buddhism, and reach the sensibility of Buddha.

7, Sahasra Ratchatara

It is a part of pineal gland, pineal body, hypothalamus.

If you embody this, you will reach the awakening of Buddha. That is, it is the completion of spirituality.

This chakra, “light in the head” Miyamoritake? It is called Pang oE). This chakra

The moment I was awakened, it was because light appeared in this part, and it was stunned and fast,

Say. (There is a secret secret speech)

 

チャグラが生む奇蹟  クンダリーニヨガ

 

チャグラが生む奇蹟

 クンダリニー・ヨーガが超常的能力を生み出す源泉は、「チャクラ」である。

 クンダリニー・ヨーガは三千年の歴史を持つ。

 そんなにも古い時代に、クンダリニー・ヨーガは、人間の体の中に、七ヵ所の

「力の湧き出る泉」を発見し、この泉を自由に制御して、超人的能力を発生させ

る技術をつくり出した。そうして、この「力の湧き出る泉」を「チャクラ」と名

づけた。

 チャクラとは、どういう意味か?

 英国、およびアメリカ、インドに本拠を持つ神智学協会発行の6The Chakras9

の中で、リードビーターは、それを6Force Centefと訳している。〃力の中心”

である。そうして、つぎのように解説している。

Chakraという語はサンスクリット語で、輪を意味し、文学的な表現をす

輪廻転生瞑想法II 62

れば、〃法の輪の回転”である。

と。

 また、別なヨーロッパのヨーガの指導者は「幅」であるといっている。

 わたくしの考えは、このほうに近い。

 しかし、これを、輪といったり帽といってしまったら間違いであって、それ

は、車輪の中心から八方に放射状に出ている支柱、すなわち幅には似ているけれ

ども、幅そのものではなく、また輪でもなく、幅の状態なのである。すなわち、

放射状の波動、というものが最も適切と思われる。

 それは、もの、そのものではなく、もの、の状態を示すもので、力をあらわ

しているのである。それは、ある刺激によってひとつの力が生じた状態なのであ

る。その状態が、幅のように放射されたかたちをとっているわけだ。

 それは、力が充実したとき、さまざまな色をともなって、かすかに光って見え

る。霊光に似ているが、オ上フは、チャクラのように多彩な色を発しない。

 

 チャクラが、どうして、超人的ともいうべき特殊な力を発生するのか?

 長い間、それは神秘的な謎とされていたが、近代生理学の登場によって、その

謎は解けた。

 チャクラの揚所は、すべて、内分泌腺と一致するのである。

 クンダリニー・ヨーガの熟達者は、特殊な修行によって得た力でその場所を刺

激し、ふつうの人間の持たない力を発生させるのである。内分泌腺がその力の発

生源なのである。

 これを、近代医学による内分泌腺と対照すると、表1(七三頁)のようになる。

 ただし、この、チャクラと近代医学の解剖学的対照は、わたくしの修行体験に

よってわたくしが分類したもので、欧米のヨーガの指導者たち(およびその系統

の人たち)の対照分類のしかたと、だいぶちがうところがある。わたくしは、わ

たくしの修行体験によって、このほうが正しいと信じているが、あるいは、これ

はリードビーター氏がいっているように、人種、民族別による体格、体質の相違

によるものであるのかもしれぬ。氏はその著書の中で、チャクラの大小、色彩、

位置、形状など、有色、白色、東洋、西洋の民族、人種の相違によってかなりち

がうものがあり、また、おなじ民族、人種でも、多少の個人差が見られる、との

べている。たしかにそのとおりだと、わたくしも思っている。

チャグラの機能

 チャクラは、ホルモンを分泌する内分泌腺と同一の場所にあり、ホルモンが持

つ驚異的な力を発現させる場所であることをのべた。

 では、各チャクラは、どのような力を発揮するのであろうか。

 クンダリニー・ヨーガの秘伝として伝えるところのものを記してみよう。

ムーラーダーラーチャタラ

内分泌腺の性腺、腎臓の部位である。

このヂャクラを覚醒すると、体力が異常に増進して、ふっうの人の三~五倍の

精力を持つようになる。三日、四日の徹夜くらい平気になる。いっさいの病気

を受けつけず、健康体そのものとなる。病弱だった者は、その悪いところが、み

ななおってしまう。このチャクラに綜制汐旧苫∃Qを集中してそのエネルギーが

発動したとき、㈲死の刑人でも床を蹴って立ち上がるだろう。男女ともにじっさ

いの年齢より十歳以上若べなる。

 そのかわり、強烈な性欲と生殖力を持つようになるので、そのエネルギーを、

オージャスという知能のエネルギーに変える方法をあわせもちいる。

 2、スヴァーディシュターナーチャクラ

 闘いのホルモン、英雄ホルモンを湧出させる副腎の部位である。

 このチャクラが覚醒して于不ルギーが発動すると、気力が充実し、勇敢になっ

て、積極果敢な行動力を発揮するようになる。なにものをも恐れず、なにごとに

も惑わず、大胆不敵、不動の信念を持ってどんな困難にもひるまない。生死を超

越した超人的手腕力量を発揮する

3、マニプーラーチャクラ(ナービーチャクラ)

ヨーガの奥義書である「ヨーガースートラ」にこうある。

臍輪に綜制をほどこすことによって、体内の組織を知ることができる。

この章について、佐保田鶴治博士は、

(自在力 第29節)

 臍輪というのは、実際の臍の孔ではなくて、そのあたりにありと想像され

る神秘な車輪状の部位のことで十六の幅をもっていると言われる。一説で

は、後世のハターヨーガで説く六つのチャクラの中の下から三番目にあるマ

ニプーフーチャクラのことであるともいう。いずれにせよ、肉眼で見える部

分ではなく、幽体に属するものとされている。臍輪は気体(生命エネルギー

からなる身体)の中央にあるから、これに綜制を行なうと、身体内の組織が

と解説されておられるが、これは、多少ともちがう。

 博士は、「そのあたりにありと想像される神秘な」といわれるが、この部位

は、決して空想的な場所ではない。たしかに神秘的とも思われる偉大な力を発揮

するけれども、医学的にはっきり確認されているのである。

 それは、医学的には、ソーフー・プレクサスと名づけられた「太陽神経叢」の

ことである。腹腔神経叢、内臓動脈軸叢ともいわれ、腹腔動脈より出る上腸間膜

動脈の起始部にある交感神経の大きい神経叢である(。胃の裏側にあって、さながら太陽の光線のごとく各臓器に神経を送っているので、この

名前がつけられた。

 すなわち、ここから出る神経は、食道、胃、腹部血管、肝臓、輸胆管、豚臓、

副腎、腸等に分布している。また、この神経叢は大小内臓神経、迷走神経、第

十二胸神経節、第一腰神経節などが集まっており、内臓の神経としては最も重要

な叢である。

 チャクラというのは、いずれも、いままで、空想的、神秘的場所とのみ考えら

れてきた。これらの部位は、決してそういうものではなく、さきにのべたよう

に、内分泌腺、神経群、酵素などに深い関係があり、じっさいに、医学的見地か

ら見ても非常に重要な場所であり、大切なはたらきをする場所なのである。

 「綜制をほどこすことによって、体内の組織を知ることができる」とあるが、こ

の綜制というのは、特別な修行を経た特殊な集中力をいう。この組織を知る、と

いうのは、単に組織を知るだけではなく、組織を自由にコントワールすることが

できるという意味である。じっさいにこの臍輪に綜制を集中すると、この太陽神

軽搬に属する内臓器官-―‐それは食道から、胃、肝臓、原臓、牌臓、副腎、腸に

至るまで、すべてを自分の思うようにコントロールできるのである。これらの内

臓器竹が、どんな状態にあるかをすぐ知り、少しでも異常があるようであれば直

ちに正常に戻してしまう。そういう力の訓練が、この臍輪のトレーニングであ

甲状腺・唾液腺の部位である。

 感覚器官の増幅が、高い次元に向かってなされる。

 聖霊と交流し、聖なるものの声を聞くことができるようになる。

 また、自分にとっで不可解な、理解できぬことなどを、天地にみちた、すぐれ

た心、智慧の于不ルギーに同化して、そこから聞くことができる。つまり、人の

肉体はほろびても、その人の持っていた心のエネルギーは、この空間に痕跡をと

どめているので、このチャクラでその心の波動と同じになれば、その心が持って

いたすべてのもの、意識も知能もみな自分と同化して、自分のものになるという

ことである。

 つまり、それは、霊界(四次元の世界)との交通の道が開けることを意味する

のである。

6、アージュニヤー・チヤクラ

脳下乖体の部位である。

 極度に発達した知能を持つ。

 一度、目にふれ、一度、耳にしたことは、ぜったいに忘れることのない記憶

力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解して、本

質を把握してしまう演鐸と帰納の力。

 コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。

 究極には、仏教でいう「常楽我浄」の四徳を完成し、仏陀の感性に到達する。

 7、サハスラーラーチャタラ

 松果腺・松果体・視床下部の部位である。

 これを体現すると、仏陀の覚醒に到達する。すなわち、霊性の完成である。

 このチャクラは、「頭の中の光明」)とよばれる。このチャクラ

が目ざめた刹那、この部位に光明があらわれて、燦然とかがやくからである、と

いう。(極秘口伝あり)

 

 

仏教の流れ

根本仏教

経典 阿含経

本尊 釈尊  (仏舎利)

法、成仏法ー上座部ー戒律仏教

教、縁起の法ー大しょ部

 

初期大乗仏教

経典 般若経 法華経 華厳経

本尊 架空の仏

 

中期大仏教

経典

本尊 架空の仏

 

後期仏教

経典 大日  金剛

本尊 架空の大日如来

 

 

北斗七星の秘密

 

妙見菩薩ー大日如来ー釈尊

  • 「オン ソチリシュタ ソワカ」
    • 「オン ソヂリシュタ ソワカ」

北斗七星は摩利支天です。

北斗九星,由北斗七星左辅右弼构成。分别为贪狼巨门禄存文曲廉贞武曲破军左辅右弼

  • 「オン マカシリエイ シベイ ソワカ」

オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ

または、

オン・マリシエイ・ソワカ

深層意識をつかう瞑想法


[一、深層意識をつかう瞑想法]
わたくしが教える瞑想次第に則って、自分が望む来世の境遇・状況を明確に
強く観想していく。
どのような家庭に、どのような人間として、どのような能力・素質を持って
生まれていくかという人生の設計図を創り、それをありありと念じるのである。
人間の意識は表面意識・潜在意識・深層意識の三層に大きく分けることがで
きる。この深層意識の領域に霊魂の宿る揚がある。換言すれば、脳のある部分
に霊魂がおさまっているのである。そして人が臨終を迎えると、霊魂は肉体を
離れて霊的世界へ行き、やがて転生する。
霊魂は魂塊ともいう。魂とは霊魂全体を、院はその核をさす。鶏卵にたとえ
るならば、卵全体が魂になり、黄身が塊にあたる。この院の中に、その人のあ
らゆる記憶が詰まっている。それは現在の人生における経験だけではなく、前
世、前々世、三世前、四世前、五世前……というような、これまでのすべての
過去世における記憶が残されているのである。
いや、人間としての記憶だけではなく、さらには生命の進化の記憶も保存さ
れている。

人は前世の記憶を持つ ヘッケルの生物発生法則
一八六六年、ドイツの自然学者であり、生物学者であったヘッケル(Emst
Heinrich HaeckeDが、こういう理論を発表した。
「生物の個体発生はその系統発生をくり返す」
という有名な生物発生法則である。
これは、生物の個体発生は、系統発生のあとをたどるというものである。
この法則によると、人間は、人間の発生当時から現在の自分にいたるまでの
形態を、母胎において、つぎつぎとくり返していくのである。つまり、それま
での自分の歴史をたどるわけである。
まず、この世界における生命の発生は、原始海洋における一匹の微小なア
メーバの誕生からはじまる。そのアメーバは、たぶん、オパーリンのいうよう
に、コアセルベーションによって形成されたのであろうが、それがしだいに進
化していって、原生動物から、魚、イモリ、カメ、ウサギ、サル、というよう
に変化してきたわけである。
現代における人間の発生も、そのもっとも最初は、アメーバとまったく変わ
らぬ形態をした一匹の精虫である。母胎内の胎液(羊水)は、原始海洋の成分と
同様であり、そこで一匹の精虫は、原始の海で成長をはじめたアメーバのよう
にたくましく成長をはじめる。
三、四週間たつと、それは、明らかに魚のかたちに進化している。つまり、魚
の時代に入ったのだ。その尾は魚のような平たい尾を持っており、のどにはエ
ラの穴のような四対のさけ目が生じ、血管もまた魚のとおりに配置されてい
る。心臓も、現在のわれわれが持っているような、左右両室に分かれた上等の
ものではなく、魚とおなじような単ポンプ式のものである。
二ヵ月だつと、エラも、心臓も、尾も、すっかりなくなって、哺乳類のもの
に変わってくる。いよいよ哺乳類の時代に進化してきたわけである。この時期
には、ヒトも、牛も、犬も、豚も、区別がつかないほどよく似ている。
六ヵ月たって、サルとおなじになってきて、足など、サルのようにものをつ
かみやすい構造になっている。が、これも間もなく変化して、ヒトの足のかた

ちになってくる。
そして七ヵ月のなかばごろから、ビトはヒト独白の形態を示してきて、ヒト
に最も近いサルともはっきりちがったかたちをあらわしてくる。原始人ではあ
ろうけれども、はっきりヒトの段階に入ったわけである。
このように、人間は、十ヵ月の胎児時代に、人間発生以来の歴史、それはお
よそ十億年くらいであろうと推定されるのであるが、その長い歴史をくり返す
わけである。
以上、ヘッケルは、このことを、生物学的・解剖学的に立証した。
つまり、人間の胎児は、母胎内において、過去の進化のあとを、そのままの
形態の上でたどるということである。そうして、ヘッケルは、生物学者という
立場からであろうが、それ以上には進まなかった。すなわち、胎児は形態の上
で歴史をくり返すというだけで、胎児の意識の面にはまったく2  れなかったの
だ。
胎児は十億年の記憶を持つ
けれども、胎児は母胎内において、まったく石ころのようになんの意識も持
たないで過ごすなどということは考えられないことではないか。
わたくしは、ヘッケルのこの説の上に立って、胎児は、その形態だけ過去の
歴史をくり返すのではなく、その形態に応じて、過去の歴史をその意識の上で
ちくり返すものと考えるのである。
胎児は、当然、胎児としての意識を持つであろう。意識を持っているなら
ば、そのときの形態に応じた意識を持つのが当然である。すなわち、魚とおな
じ形態をしているとき、胎児は魚の時代であったときの意識を持ち、サルとお
なじ形態を示しているとき、胎児は、サルの時代であったときの意識をたどっ
ているわけである。
ところで、記憶とはなにかというと、過去の経験意識の蓄積である。
そのように意識が逆行して発生展開のあとをたどっていくということは、要
するに、経験意識をくり返しているということにほかならず、それは結局、過
イモリ  亀
一ヵ月目
二ヵ月目
三ヵ月目
去の記憶をたどっているという
ことであり、過去を経験してい
るということではないか。
つまり、胎児は、アメーバの
時代からヒトにいたるまでの進
化のあとを、十ヵ月の間に全部
経験しているわけである。
母胎内における生命のこの経
験は、その生命が、太古の昔か
ら現在まで生きつづけていると
いうこととまったくひとしいの
ではないか。
なぜならば、母胎内において
過去の経験を意識するというこ
とは、それが、母胎内においてでも、あるいは母胎外においてでも、経験意識
の上においては変わりないのであって、その胎児は、経験意識の上において
十億年生きてきた記憶を持つのである。
そして、十億年生きてきた記憶を持つということは、十億年生きてきたこと
とおなじではないか。

その進化の過程におけるすべての記憶が、霊魂の中に詰まっている。要する
に、アメーバの時代をはじめ魚、ワニ、ウマ、サルの時代の記憶までもが塊に
刻み込まれているのである。
人間の脳の中にそれらの記憶が残っているからこそ、人類は現在のような文
明文化を築くことができたのである。人間の進化と転生の記憶こそが文明文化
の原動力になっている、とわたくしは確信している。輪廻転生瞑想法では、そ
の生命の全記憶が記録されている深層意識をつかう。深層意識において、
「自分は、このような境遇の、こういう能力を待った人間として生まれ変わ亘
と強く念じて瞑想するのである。深層意識をもちいる瞑想であるから、過去
世の記憶がよみがえることもあるかもしれない。
この瞑想修行はじつに衝撃的な内容である。死の実態に迫る瞑想であるか
ら、自分が死ぬときの情景が頭に浮かぶこともありうる。生と死は表裏一体で
あるから、死の実態を理解してこそ、生まれることの実態もわかる。したがっ
て、輪廻転生瞑想法は人間に究極の悟りをもたらす瞑想だといえるかもしれな
い。

脳と報酬系

コラム

ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド

その経歴を通して、今日の脳科学の基礎となる脳外科学のみならず、今日に至る神経科学の発展に多大な貢献をした。てんかんの外科治療の先駆者であるとともに、脳外科手術時に全身麻酔を行わず、切開部の局所麻酔で行った。脳そのものには痛みを含む感覚受容体がないためこのような術式が可能である。この術式を用いると手術中も患者に意識があるため、大脳皮質の電気刺激による脳局所の機能同定を行なうことができ、疾患のある脳領域の切除部決定をするにあたって、機能保存すべき大脳皮質領域の決定が可能になった。世界的に麻酔の安全性を優先させるため脳外科手術も全身麻酔で行われるようになったため、このような術式は行われることが少なくなったが、最近になって麻酔全般の安全性向上にともなって復活してきている。

脳の中のこびと

アメリカの脳神経外科医のワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド博士(1891-1976)は、てんかん患者を治療しながら、脳が体を知覚する方法の理解を深める研究を行いました。脳半球のそれぞれには2つの地図が広がっています(ペンフィールドの地図とも呼ばれます。)
1つは運動の地図で、私たちの動きを操作する場所です。もう1つは感覚の地図で、体の感覚情報が処理されている場所です。左図の小人(ホムンクルス)は、その地図を立体的な人形にしたものです。図を見ると、脳がどのように体を見ているのかが見えてきます。

脳から直接出てくる特別な12対の神経があります。これらの中には、目、耳、鼻、口からの感覚情報を伝達するものや、頭や喉の筋肉を制御するものなどがあります。心臓や肺のような重要な臓器や様々な腺へ供給するものもあります

  • 報酬系(ほうしゅうけい、英: reward system)とは、ヒト・動物の脳において、欲求が満たされたとき、あるいは満たされることが分かったときに活性化し、その個体に快の感覚を与える神経系のことである。
    ここでいう欲求には、喉の渇き・食欲・体温調整欲求といった生物学的で短期的なものから、他者に誉められること・愛されること・子供の養育など、より高次で社会的・長期的なものまで含まれる。認知心理学者は、ヒトにおいてはむしろ後者の欲求の方が、行動の決定に重要な役割を果たしていると主張している。
    哺乳類の場合、報酬系は中脳の腹側被蓋野から大脳皮質に投射するドーパミン神経系(別名A10神経系)であると言われている。これは、覚醒剤やコカインなど依存性を有する薬剤の大部分は、ドーパミン賦活作用を持っていることからも支持される。また、動物において中脳に電極を挿入し、その個体がボタンを押すと電流が流れるような装置を作ると、とめどなく押し続けるという報告もある。
    報酬系の働きは、学習や環境への適応において重要な役割を果たしている。例えば我々は、「この仕事を完了したらボーナスがもらえる」などと、長期的な報酬を予測することで、疲労や空腹といった短期的欲求を抑えて仕事を優先できる。しかし当てにしていたボーナスがカットされると、報酬系が抑制され、不快さを感じるのである。また、報酬系神経系の働きが、大脳皮質の可塑性に影響するという報告もあり、学習においても同様に報酬系が重要である。「誉めて育てる」という言葉はこのことを言い得ている。
    報酬系が活性化するのは、必ずしも欲求が満たされたときだけではなく、報酬を得ることを期待して行動をしている時にも活性化する。例えば、喉が渇いているヒトが水を飲んだときには、脳内で報酬系が活性化し快の感覚を感じる。しかし、ヒトであれば歩いている途中に自動販売機を見つけた場合、その時点で水分が飲めることが当然推測できるので、見つけた時点で報酬系が活性化している。これに似たような実験をシュルツら(1993)がサルにおいて行っている。彼らは、ある視覚刺激を呈示して数秒後にエサが出てくるという装置を作り、サルをそれに馴れさせた。同時に中脳のドーパミン系細胞に電極を挿入し活動を記録したところ、実験初期にはエサが出てきた時点で細胞が活性化していたが、実験に馴れて来ると、視覚刺激が呈示された時点で神経活動が活性化していた。
  • 変性意識状態

The history of the script as a holy word

 

The history of the script as a holy word

First of all, it appears in this book, such as , Sanskrit, seeds, 仏 and 仏.
Let’s organize the terms related to. If you are confused, you should understand
Two things are important.
The language “Sanskrit”, which has been used in India since ancient times, is called “梵”. Write this
The character used to do this is “梵”. Although the typefaces of the Kanji changed with the times, usually in Japan
Speaking of kanji, it means “の “, which is one of them.
By the way, as mentioned above, “seeds” the Japanese syllabary symbol symbolizing the Buddha, Zen, Mingo, Tenbe, etc.
It’s called. The seeds of “f” are not recorded as mere Buddha’s initials, but all of one’s worth
It is believed that it is stored in the temple, and it has been treated with great care as the Buddha of the Indigo character, that is, the Indigo Buddha.
Mr. Mitsui Shoen Sensei named it “Letters”.

Holy letters, letters of law
Kanji is a Chinese translation of Brahmi in the Tang Dynasty. Brahman is a Brahman creation god, who has been in India before Buddhism took place, in the sense that “brahmi is brahful.”
It is a heavenly one. There is a name of “梵” based on the legend “梵 made by 梵”.
However, there is no definite idea as to when Brahmi characters were actually born. The oldest extant ones written in brahumi are also inscribed by the famous King Ashoka.
It is said to be in the middle of the century.
King Ashoka (Resided by BC 2268-232) is the third king of the Mauritians,
It unified the whole of India except the southern part and built the great empire. The king deeply turned to Buddhism, and Buddhist faith and
In order to notify the people of the protection, we set up a stone-marked writing throughout the country. Yubun is carved in pillars and rocks,
It is known that the Zen language (in fact, the Plague-lit language of the Zen dialect) is used, but some Greek and Aramaic
What is written is also found in the language (international language in the West Asian world at the time).