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人はどんな因縁を持つか

人はどんな因縁を持つか

人はどんな因縁を持つか
これから、人の持つ因縁について解説するが、それでは、そういう因縁というものが、どうして人間にあるのか、ここでは、あるからある、というよりほかない。強いて聞かれるならば、それならあなたはどうしてそういう顔をしているのであるかと聞かれた場合、あなたは何と答えるか? こういう顔をして生れてきたのだから、こういう顔をしているのである、とでも答えるはかないではないか。原因はともあれ、人間は、それぞれ様々な
因縁を持って生れて来、様々な因縁を持って生きているのである。その因縁という現象を分析、解説してみよう。理屈は抜きにして、一読するならば、必ず、思いあたることがあ
ろう。卵が先に生じたのか、鶏が先に生じたのか、それを知らなくても、卵を食べ、鶏肉を賞味するにはこと欠かぬのである。詳しくはあとの方で説明する。ここでは、まず、人間が誰でも持っている「因縁」の種類についてのべよう。

かうんすいたい

 家運衰退の因縁
この因縁は、家運、つまり家の運気が次第におとろえてきている家系に生まれている人が持つ因縁である。
こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生れている人が多い。祖父か父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代になってからぱ、なお一層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるのだが、それを発揮する場を持つことが出来ない。そういうチャンスを持つことが出来ない。そうして、自分よりも劣った者が追い越してゆくのを、みすみす歯ぎしりしながら見送ることになる。
たまにチャンスがめぐって来そうになると、人の妨害、邪魔に遭ったり、或いは自分の思わぬミスや病気などで、せっかくのチャンスを失ってしまう。要するに、一言でいうと運が悪いのである。実力がありながら、妙にめぐり合わせが悪く、ウダツがあがらない。年をとるほど運気がおとろえ、生活が悪くなっていく。の因縁から出てくるのが、次に掲げる
ちゅうと ざせつ
中途挫折の因縁
という因縁である。
この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あともう一、二分というところで必ずダメになる。決して実らないのである。この因縁を、一名、「虚花の命」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになきぞ悲しき」という古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというところからきているのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。苦労したあげく、さいごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。
この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力)の強い人が多く、中途で挫折しては、また立ち上って仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち上って、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。
そうして、結局は、挫折したままで終るのである。大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その囚縁が、そのままその人の恍格にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合とがある。
この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意志薄弱の型と、逆に、非常に気のつよい意志強固の型がある。
意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、ながつづきしない。気うつりがぱげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。文字通りの中途挫折、薄志弱行の型である。
もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。
然るに、かえってその強さが人と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来なかったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまっ
てつまらぬミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我などで手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。
先日、わたくしを訪ねて来た人に、そういう人がめった。
四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この人に、この因縁があったのである。聞いてみると、今までに八回も勤め先を変えているという。意志強固の努力型だが、と思って聞いてみると、この人は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に出向させられると、その会社は、きまって、他に合併したり、業績不振で閉鎖させられてしまうのである。本社にもどると、同期の社員で本社に居たままの者はかなり上の方に進んでおり、処遇に困るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまた、その会社がおかしくなる、というわけで、今までがその繰り返しだったというのだ。
念のためにいうが、それは、この人の経営の腕が悪いために、この人が行った会社がみんなダメになるというのではないのである(手腕という点からいえば、むしろ人並み以上の手腕を持っているのである)。この人が行っても行かなくても、その会社はダメになるのである。そういう会社に、この人は行かねばならぬような廻り合わせになってしまうのだ。
今度の会社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、というのだが、典型的な中途挫折の因縁のあらわれかたであった。薄志弱行タイプの場合は、すぐにあきたり、気移りしたりして白分から会社を転々とするが、意志強固タイプの場合は、自分でぱ一心に努力をして会社を変わるつもりはさらさらないのだが、他動的に転々と変わらざるを得ないようになってしまうのである。その人のか字心、思劣、心構えなどに関係なく、結果は結尚おなじことになが、因縁というものの、こわいところである。精神一到何小か成さざ‘ら人や、と気胆劣てみたところで、この因縁を持っていては、所詮、ダメなのだ。外的条件が許さないのである。つねに転々として挫折する。
昔から、よく、「人間には誰でも一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運のないでも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるものではない。人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、もうその人間は一生芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいところは、この因縁は必ずその子に遺伝し、その場合、きまって親よりその子のほうが一段と因縁の度を深めて悪くなってゆくことにあるのだ。
この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、

運気不定・浮沈の因縁
という因縁になる。
これは、運気に根が生じないので、そのため、浮沈変転してとどまらないのである。
いわば、根無し草の人生である。居住、職業が定まらず、転々とする。一時的に幸運を得ることがあっても、永続しない。一生、ホームレスか、それに近い境界となる。
女性の場合、ちゃんとした結婚生活をつづけることが出来ない。再婚、三婚し、しかしいくら結婚を繰り返しても、決して安定した夫婦生活を持つことは出来ない。
「色情の因縁」のある場合は、不倫の関係に陥ったり、あるいは売春をする悲惨な因縁である。

肉親血縁相剋の因縁
これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。
この因縁は、肉親の者同士、血縁の者同士が、たがいに運気生命力を損ねあい、傷つけあって分散してゆくのである。
毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助けあい、協力しあってゆくべき肉親血縁の者が、離散し、孤立して、次第に没落してゆく。
まさに、家運衰退のあらわれである。
この因縁があると、同居している親子、兄弟など、血縁の噺が、年中不和で詐が絶えない。これは、血縁の者同士でお互いの運気(生命力)を損ねあい、傷つけあっているので、無意識のうちに反発しあって争うのである。この場合、運気を傷つけあうといっても、必ずしも表面立って争いをするとは限らない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、
相手の運気(生命力)を損ねるのである。それはちょうど、何か目に見えない光線のようなものを放射しあって、相手の生命力を傷つけるように思われる。人間の生命というものは、自分を守るという自衛本能を持っているから、その本能がはたらいて、無意識のうちに生命力を結集して相手に反発する。その結果として、相手の何でもないような動作や一言一句が非常に気にさわる(神経が立っているので)。そこで静が始まるのである。肉親同士で異常に仲が悪いのぱこのためである。それに加えて財産などの利害関係がからむと、
非常に深刻な争いに進展してゆく。
この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中に誰か一人、年中病気で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。
相当の才能、手腕がありながら、常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇の人、あるいは長年病弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁相剋の因縁」によって運気(生命力)を剋害されているのではないかを疑ってみるべきで
ある。どちらかの因縁があったら、それを断ち切らぬ限り、いくら努力しても一生空転するばかりなのだ。この因縁を持つ人、(あるいはこの因縁のある家系)には、必ず、といっていいほど、霊
的な障害がある。つまり、三代か四代前に、その家(またぱ人)を強く恨んで亡くなった怨念のホトヶがいるのである。
また、横変死した人の霊障を受けている場食がほとんどである。
前に述べた「家運衰退の因縁」、「中途挫折の因縁」、「運気不定・浮沈の因縁」は、いず
れも霊障のホトヶより生じていることが多い。
この霊障を解かぬかぎり、この因縁は、何代でもつづく。
成仏法によって、霊障のホトヶを解脱成仏させる以外に方法がないのである。

子の運気剋する因縁
これは、肉親血縁相剋の因緑ので、親がわが子の命力のである。そのな
め、子供は年中病弱となる。あるいは不具として生まれたり、不具者となったりす
たいていは十歳くらいまでに死亡する。
もし、その子が非常に生命力が強ければ、素行が生命れるようになって、幼少にして、家を飛び出す。これは親のそばにいると生命力を削られて、危険なので親のもとを飛び出す
ようになるのである(もちろん、本人はそのことを知らないがI)。
最近、少年少女の非行問題についていろいろと対策が練られようとしているが、世の親
は、こういう因縁のあることに気がついて欲しい。
因縁なんて迷信じやないかなどとバカげたことをいっていないで、自分白身にそういうものがないかどうか、よくよく考えてもらいたい。
父親にしても母親にしても、この因縁があると、子供が必ず異常に反抗する。もちろん、子供の成長期間中に反抗期という期があることは事実だが、この因縁による反抗は異常なのである。これは、前記の肉親血縁相剋の因縁の場合と同じように、自分の生命力を
侵害してくるものに対して自衛本能がはたらき、我が生命力を結集して反撃しようとする
ゆえに一言一句、ことごとく反抗反発するのだ。わが身を守るかわいそうな姿なのである。
私は、いつも、この因縁をもつ親と子を見ると、毛をさか立てキバをむき出して、敵に噛みつこうと必死になっている仔犬の姿を思い出す。
成功者の家庭に素行不良の子がわりに多いのは、他に原因はあるけれども、運気のつよい親はえてしてその運気のつよさが同時に子を剋する因縁をも伴ないやすいため、そういう結果を生じやすいのである。
素行不良の子を持つ親、異常に親の言うことをきかぬ子を持つ親は、根本的な対策の一つとしてこの因縁の有無をまず調べてみよ。この因縁がなければ比較的容易に直るが、この因縁あるかぎり、絶対に直らぬのである。この因縁は水子の霊障から生じていることが多い。

逆恩の因縁

これは恩を倣で返す因縁である。
これも家運衰退の因縁に根ざすものである。
要するに恩を受けた人(主人,師,上長,取引先、先輩など)をだましだに傷つけ
たり、とにかく相小に何かしらもその出が刑獄の囚縁
を併せ持っていたなら)殺して金品を奪らたりする。そこまでいかなくとも必ず恩義のある人を裏切りそむく。
因縁というものは、必ずしも性格的なものとは限っておらぬので、「恩を仇で返す因縁」を待った者が必ずしも恩を仇で返すような性格を持っているとぱ限らない。中途挫折の因縁を持っている者が必ずしも薄志弱行型の性格を持っているとは限らぬ、と先に書いた通
りである(もちろん、持っている因縁がそのままその人の性格になっている人もかず多いが)。
この逆恩の因縁の場合も、性格としては、恩を仇で返すというようなものと反対に、一
心に恩義にむくいようとする心がけを持っていて、そのように努力をしながら、かえって結果的には、その恩義を仇にして返すようなことになってしまうことがよくある。例えば、
主人(会社)に忠実で一心に尽くすのだが、それがかえって主人(会社)のためにならぬような結果を生む。努力してお得意や取引先をつくると、その取引先が何千万、何億円という不渡り手形を出したり、倒産してしまったりして、主人(会社)に大きな迷惑をかけてしまう、というようなことになる。
大体、自分にとって恩義のある人というのは、自分に好意を待ち、あるいは信用して、
自分を引き立て、力になってくれる人である。こういう相手に、無意識とはいえそういう損害をあたえたり、そむいたりするということは、自分で自分の手足をもぐことである。
自分の有力な味方を失うことになる。そこで孤立無援となり、人生の失敗者となってゆく。
人を使う人、使われる人も、ともにこの因縁には注意が必要である。

夫の運気を剋害する因縁
夫の運気(生命力)を目に見えぬ力で損ね、削る。といっても、必ずしも、日常生活において夫を尻の下に敷いたり、夫を虐待するというのではない。もちろん、そういう場合もないことはないが、前にも書いたように、因縁というものは性格にあらわれる場合と性格にまったくあらわれぬ場合とがある。この因縁の場合もその通りで、むしろこの因縁を
持つ女性はマメマメしく夫につかえる良妻賢母型に多いので始末に困る。江戸川柳に、
「次の間で毒が薬を煎じてる」
この句の意味は、亭主が年中病弱で寝ている、その家をたずねてみると、亭主の寝ている次の部屋で、若い美しい妻君が、甲斐々々しく薬を煎じている。しかし実際は、この美しい妻君が病身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、妻君が薬を煎じているのを、毒が薬を、と皮肉っているわけである。
この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくい
かず、年中失敗したり、渋潜しがちとなる。生命力を削られるところから、運が非常に悪くなるのである。いかに才能、手腕があろうとも、必ず何か一つの不運につきまとわれる。
妻君が一心につかえればつかえるほど、夫の運気が悪くなるのであるから厄介である。
世間によくあることだが、立派な妻君を待った夫が、他に女性を作り、その女性よりも妻君のほうがはるかに容色も頭もすぐれているので人が不思議がる例がある。これは、妻君のほうに、この、夫の運気を剋する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、無意識に妻君に反発して、そういう因縁のない運気のおだやかな女性を求め、逃避するためなのである。

中年になってそういうことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕が出来たり、妻君の容色が衰えてきたということも理由の一つにはなるが、根本的には、若いうちは、夫のほうも生命力がつよいので妻の運気剋害にも平気で耐えられているから、それほど感じないが、年をとるにつれて生命力が弱り、憩いの場が欲しくなってくるのである。
この因縁の強いものをもつ女性が、いわゆる「後家運」と呼ばれるもので、色情の因縁のある夫は、前記したように他の女性に逃避し、色情の因縁のない夫は、趣味に逃避したり、仕事に没頭したりして、冷たい家庭となる。
もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。すなわち、後家運と呼ばれる所以である。女性としてしあわせな家庭を持とうと思ったら、まず切らねばならぬ因縁である。

夫婦縁障害の因縁
夫婦縁、結婚生活に障害が起きる因縁である。
なんとなくお互いに性格が合わず、年中不満を待ちあってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭になる。
または、お斤いに愛情はあるのだが、どちらかが病気になって別川をよぎなくされる、とか、什事の関係で別れ別れに住むことになる。シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかぬ、など、とにかく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してしまうというところまではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしているのである。

‐夫婦縁破れる因縁
この因縁を持っている人は、男女とも、必ず生別か死別をまぬがれない。生別となるか
死別となるか、は、相手方の生命力の強弱による。

けいごく
刑獄の因縁
凶運の時に、必ず刑事事件を起こして、刑務所につながれることになる因縁である。
たいてい他の悪い因縁をあわせ持っていて、それらの悪い因縁とからみ合って起きるの
せなければ、必ずこの因縁の結果通りとなる。縁者でなく、他人のホトヶであることも少なからずある。

脳障害の因縁
この因縁は、精神病の場合と、精神病でない頭部の障害、の二種に分けられる。
すなわち、精神病(ノイローゼ、脳梅毒など)と、頭部の怪我、または脳溢血、脳軟化症等の病気で、程度の0 い因縁の人ぱ年中、頭痛、肩こり、不眠症などに悩まされる。
肉体障害の因縁をあわせ持つ人は、脳溢血から中気になったり、頭の負傷で手足がきか
なくなったりする。脳性小児マヒなどもこの因縁のあらわれである。

二重人格の因縁
前記の脳障害の因縁の系列に入る因縁に、この二重人格の因縁がある。
酒を呑むと、ガラリと人が変わってしまって、全く別人のようになってしまう。
酒乱はこの円縁である。表而意識がアルコールで麻玲すると、遺伝している潜在意識や
深層意識が浮かび出て、別の性格が入れかわって出て来るのである。異常性格・同性愛な
どもこの因縁である。
この因縁は、家運衰退の因縁にも深い関連があり、二、三代前の縁者で、非常に不幸な、恵まれない死に方をした人か、あるいは、他人で、その家に非常な怨念を抱いて死んだ者
のいることが特徴である。

癌の因縁
胃ガン、子宮ガンなど、この因縁を持つ人は必ず癌になる。
循環器系統障害の因縁
心臓、腎臓、肝臓等の循環器系に故障を起こす因縁である。
色情の因縁
男女が、異性(同性の場合もある)によって苦しんだり傷ついたりする因縁である。こ
れは、家運衰退の因縁のもととなる因縁である。
また、夫、妻が、その配偶者の色情のトラブルで苦しめられる場合も、色情の因縁があるということになる。

へんぎよう
偏業の因縁
職業の上にあらわれる因縁である。
この因縁を持つ人は、宗教家、芸術家、芸能人、裁判官、水商売などが適する。そのど
れがよいかは、別の因縁とも照らしあわせてみる必要があるが、とにかくこの因縁のある
人は、これらの職業以外につくと絶対に芽が出ない。つまり、適性ということに関係して
くるわけだが、そういうことをふくんだ上で、運命的にその職業以外では伸びない、とい
うことである。
職業の適性ということは非常に重大なことで、それゆえに、いろいろな適性検査などが考案されているわけだが、適業、適性、というものは、因縁的に決定されているのである。
人の職業は、大づかみにいって、技術系(生産事業、技術者)、営業系(販売事業、営
業、商人)、組織系(官公吏、政治家)の三種に分けられるが、人はみな、それぞれの系列
に向く因縁と向かぬ因縁を持っており、向かぬ職業に就いた場合、絶対に芽が出ぬもので
あるから、注意して選択しないと生涯の不幸となる。

財運・水の因縁

財運がめって、お金は人より何倍も多く入ってくるが、水のように流れ出してしまって、身にっかない。
無理に溜めようとすると、自分が病気になったり、家族が病気になったりする。これは、水の財運で、水というものは、流動しているかぎり腐敗せず、きれいである。溜まり水ぱ必ず濁り、腐敗する。それと同じで、この因縁を持つ人は、常にお金が流れ動いて身につ

かぬのである。無理にお金を溜めると、腐敗現象が起きて、家族に病人やヶが人が出たり人にだまされたりして、全部、お金が出て行ってしまう。

頭領運の因縁
人の上に立つ因縁である。この因縁をもつ人は、必ず、大なり小なり人の上に立って、
人の頭領となる。但し、この頭領運に二種類めって、純然たる頭領運と、組織内の頭領運とに分けられる、純然たる頭領運は、だいたい創業者として成功する。組織内の頭領運は、専務、部長という一分野の首長で終わる。
頭領運はよい因縁の部類に入るが、反面、孤独運を待ち、晩年は家庭的に不幸になりやすい。
頭領運のない人は、自ら頭領になると必ず失敗する。よき頭領運の人をえらんで、次位に甘んじ、よく補佐をすることに専念するがよい。それが、自分の才能、手腕を十二分に発揮し得る最良の道である。野心を持って自分がその位置に就くと、物事渋滞して苦労ばかり多く、必ず失敗するのである。

子縁うすい因縁
子供との縁がうすい因縁である。
この因縁があると、子供が生れないか、生れても、五、六歳になるまでに死んでしまう。
また、自分の実子と縁がうすいだけではなく、養子をもらっても、この因縁ある限りうまくいかない。その養子の運気(生命力)が強ければ衝突して出て行ってしまうし、生命力が弱ければ死んでしまうのである。

産厄の因縁
出産に際して、難産で苦しむ因縁である。衰運の時期で生命力が弱っている時にあたる
と、死ぬ恐れがある。水子の霊障や、難産で死んだ縁者の霊障のあることが多い。

無意識の意識

 

フロイトによって、
1、無意識の意識は、自分の知らない他人の意志によって動かされる。
という事実が明らかにされた。そして・フロイトは、

、人間の誕生以後の数年間を一種の催眠状態と見、その数年間に受ける子供
の、無意識の意識への抑圧・葛藤・精神外傷が、成人後(成人前も)の、いろ
いろな不幸や災害の原因となる。

と決論する。
要するに、フロイトの説は、ヒトの幼少期の無意識の意識への影響を、テーマとす
るものである。
とすると、明らかに、かれの幼少期以前の出来ごとに起因するもの
であるから、フロイトの、2、の説はあてはまらないことになる。
ただし、1、の、「無意識の意識が他人の意志によって動かされる」という部分は
適用できるであろう。明らかに、自分の意志に反して、自損行為をくり返すの
だから1.(かれは精神病者ではない)
だから、問題は、どのようにして、他人の意志が、かれの無意識の意識を動かすのか、という点にしぼられることになろう。
もっとも、そういうと、こういわれるかもしれない。
「フロイトの、2、の説も適用されないことはない。幼少期に、祖父と××とのはなしを耳にしたことがあるのかもしれない。それが、かれの無意識の意識に、
他人の川らないうらに紀憶されて、精冲外傷となり、一種の恐怖観念となる。それが、成人後に発作となって起こった。フロイトの表現でいう。神経症的行動となって
はげしくほとばしり出た”のである」

たしかにそういう解釈も成り立つ。
しかし、そうすると、わたくしがN氏の仏間で体験した異変は、どう説明するのか。それについての説明ができないのである。
わたくしは、祖父について、前もってなにも聞いていなかった。にもかかわらず、わたくしの身に、前にのべたような異変が生じたのである。この点について、
フロイトの学説は説明できない。!、と、2、の説のほかに、第3の説がなければな
らないのである。
われわれは、フロイト以外の学説をさがさなければならないであろう。

ユングの集合的無意識
この、自分の中に自分の知らない自分がいて、それが自分の行動を決定する、というフロイトの考えは、近代心理学がすすむにつれて、ますます顕著になってきた。
フロイトのこの考えにつづいて、カールーグスタフーユング(一八七五1一九六一)があらわれて、フロイトの無意識概念を拡大し、遡及したのである。
かれは、無意識の意識の根源を、人類共通の太古時代に求ぬるのである。いうならば、フロイトは、人間の幼少期にその根源を見出すが、ユングは、人類の幼少期にそ
れを求めるのである。かれによれば、無意識は、人類の太古時代にその源を発しているという。
これはたいへん興味ぶかい。フロイトは、どこまでも「個」に原因を求めるが、ユングは「多」であり、「集団」にそれを求めようとする。
これは、フロイトにない領域をひろめようとするものである。わたくしの求めるものも、そのなかにあるのではなかろうか? わたくしはひたすら、ユングを追求した
のである。
ユッグによると、人類が、その欲望と期待を挫折させるだけだったその当時の自然と社会では、人類はつねに本源的不安に直面して悩まされてきた。その源初的不安と
葛藤の痕跡が、無意識層にふかくきざみこまれており、この集合的無意識の葛藤は、各人の意識のみならず、ユングが太古類型とよんだイメージや象徴にもあらわれてい
るとする。
この太古類型は、人類の大きなコンプレックスを表現しており、そのもろもろの形態とテーマは、あらゆる宗教、あらゆる民話に見いだされるというのである。たしかにこのユングの説は、フロイトの説が点だとすると、面にまで拡大したもの
であり、無意識の意識層において人類は共通の場を持つという指摘は、偉大な業績といえる。
けれども、これは、人類共通の無意識(の葛藤・抑圧)を論じているのであって、その人類という集団の中の個(たとえばN氏やリード氏)の抑圧・葛藤について、太

古時代のそれと、どうかかわりを見いだしたらよいのか、そこのところが説明できないのである。そこを、どう考えるべきか?
われわれは、さらにべつな学説に目を転ぜねばならない。

第三の無意識層の発見
そうしてついにわたくしは、リポ″トーソンディの「運命心理分析学」にたどりついたのである。
それは、「家族的無意識」とも名づくべきあたらしい無意識層の発見であった。。
かれは、個人の無意識層のなかに特殊な祖先の抑圧された欲望・葛藤が秘められて
おり、それが、子孫の運命の選択行動となってあらわれると考えるのである。
さきにのべた、無意識の意識の抑圧・葛藤を太古時代に求めるユングの考えかた
は、いうならば、人類共通の祖先にその根源を見いだそうとするわけである。
これにたいし、ソンディの「家族的無意識」は、特定の個人の祖先にそれを求めようとするわけである。
要するに、それまで深層心理学は、おおづかみに分けて、フロイトの個人の無意識
層と、ユングの集合的無意識層(群衆心理学)と、この二つの「層」が研究対象とさ
れていたのである。ところが、ソンディの運命分析心理学は、それらの層の中間にあ
る「家族的無意識」という無意識の第三番目の傾域を、研究対象として把握したのである。
つまり、「個人」と「群衆」の中間に、「家族」を発見したわけだ。これは無意識の特別な領域である。
この家族的無意識というのは、ソンディによると、
個人の無意識層のなかに抑圧されている特殊な祖先の欲求が、子孫の、恋愛・友情・職業・疾病・および死亡の型式における無意識的選択行動となって、その運
命を決定する。
というのである。専門的で、ちょっとむずかしい表現になっているが、要するに、特な
された欲望や葛藤が、子孫の無意識の意識にはたらきかけて、子孫の、恋愛(結婚)・友情・職業・病気・死にかたまで決定してしまう、というのである。
これはたいへんなことである。
われわれはだれでも、自分の理性・知性でものを考え、自分の意志で決定し、行動していると信じている。しかるに、恋愛(結婚も!)友情・職業・病気・そして死に
かたにいたるまで、特殊な祖先の欲望・葛藤に決定されてしまったのでは、まるっきり「自分」の出るマクがないじゃないか、ということになる。
わたくしは、さきに、自分のなかのアカの他人といったが、ここでは、自分のなかの祖先が、自分の運命のほとんどを決定してしまうというのである。
ほんとうに、そんなことってあるのだろうか?

Agon”s Buddha

Part of spiritual development and part of psychic development
And, there are two areas.
If you analyze Al-Buddhism, it consists of two parts.

As a doctrine “Doctrine of auspicious”
Two, “Seven Schools and Seventy-seven Goods” (also referred to as the “Seven-seven-and-the-a-law”) as a law of practice
It is.
If this is called by the classification method of the later generation, “the auspicious doctrines” is “Kenkyo”.
Seventy-sevens, thirty-seven products are more than “teaching”
Four steps leading up to liberation
Now, it is called “the four steps leading to liberation”.
Everyone has to go through these four stages to get rid of it.
And if you walk these four steps according to a good holy master,
It is possible for them to reach liberation. Of course, that’s true for you too.
The four stages are
One, Shudaon (Susakigaki)
2 Shidagon (including this)
Three, anagon (including ana)
Four, Arhat (Arahan)
It is.
To explain,
Sudaon-the saint who removed all
Shidagon The Saints
Anagon (the dimension) the saint who jumped
Al Hat ‘–a large dimension) transcending, the finished saint, also known as’ Buddha’.
How do the practitioners walk through these four stages?
Method and system of spiritual perfection
That is the practice of spiritual perfection left by Shaka. This is what I said
It is called Buddhist law. The adult Buddha means that spirituality has been completed,
I call it “Buddha”. So I will call that method “Fun Buddha”
It is.
It is a method for an adult Buddha from seven systems and 37 different curriculums
And the system. Is a Buddhist term of

It is a historical fact that it is the only reason that Shaka has been preached
Since there is no “Fundish law” other than Amekai, I will say so
is there. I think that I can be regarded as a true Buddhist scripture, such as a scripture without “the 成法 法”
It is impossible. Of course, there will be some sense of existence and worth of existence
But it is not mainstream. It should be called a sidestream.
The seven families and thirty seven goods are as follows.
念 処 ―—身 処 受 受 処 念 念 念 念 念
Quadratic method-cutting method
Discipline
Four God foot method—-Greed God foot method
Law of protection
Psychic foot method
Repair method
Kanshin foot method
Five root method-one Shinne method Shining root method Nemune method Fixed root method Sone method
Five-force method-Belief method Shining power method Mental power method Fixed power method
覚 law—-alternative law support law 法 support law 法 law 軽 覚 law
Decision Support Law
Endorsement law
Affection law
Right heart
Positive law
It is above.
These seven subjects, 37 kinds of curriculum,
1, meditation
2, practice
3, tapas (training)
It can be classified into
The four memorial methods and five root methods are meditation.
The Shiatsu method, the five strength method, the Shichikei method, and the Hachisho course are practice and meditation.
The four god foot method is a special kind of tapas.
God foot is the Shinto power (supernatural power), and this four god foot method is supernatural Shinto power
There are four types of practice to get The tapas I mentioned earlier belong to this
It is
Of these seven subjects, focusing on taPas, including meditation and practice subjects
To go.
The holy priest decides which subjects to take and how to train them. Repair
Because each of the prosecutors tends to be related to the prestige, it is possible to see the guru.
is there.
In this training, Guru’s role is great. A little bit about Gu
Spiritual baptism
Find the guru who revealed the spirituality without fail and accept it
It is safe to say that I succeeded as it was. That it is important and difficult
It is.

Without Guru, it is impossible to practice Buddha’s spiritual development. Common Buddhism
It is different from faith. Way of faith, way of faith, lecture and interpretation of scripture
In any case, the spiritual practice of spiritual revelation is a powerful spirit
Without the help of a holy man with the
It is

For example, the Indian modern saint Lamanamaharishi, for the introductory person,
When the ceremony of acceptance is performed in the way of staring, the brightness and power of his eyes are
It is said that the heart of the hand has been cut off and the flow of misfortunes has been cut off. Time and
Then, it is said that the other party felt as if the current flowed into oneself.
With these spiritual experiences, disciples are first cleansed and want to be spiritual
You will be yearning for spiritual aspiration.

阿合仏教

霊性開発の部分と、超能力開発の部分
と、二つの領域から成り立っているある。
阿合仏教を分析すると、それは二つの部の成り立。

二教えとして「縁起の教理」
二、修行法として「七科三十七道品」(三十七菩提分法”とも呼ぶ)
である。
これを、後世の分類法で呼ぶと、「縁起の教理」は「顕教」である。
七科三十七道品は、「密教」にほかならい。
解脱にいたる四つの階梯
いま、「解脱にいたる四つの階梯」といった。
だれでも、解脱にいたるためには、この四つの段階を経なければならない。
そしてこの四つの階梯を、すぐれたる聖師にしたがって歩んで行くならば、だ
れごも解脱に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもその通りだ。
四つの階梯とは、
一、シュダオン(須陀垣)
二 シダゴン(斯陀含)
三、アナゴン(阿那含)
四、アルハット(阿羅漢)
である。
説明すると、
シュダオンーーけがれをすべてとり除いた聖者
シダゴン 上局められた聖者
アナゴン   (次元を)飛躍した聖者
アルハット’-大次元を)超越し、完成した聖者、「ブッダ」ともいう。
は、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでゆくのだろうか。
霊性完成の方法と体系
シャカが残した霊性完成の修行法がそれである。これを、わたくしは、「成
仏法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就したヒ
トを「ブッダ」とよぶ。だから、わたくしはその方法を、「成仏法」とよぶの
である。
それは七つのシステムと三十七種のカリキュラムから或る成仏のための方法
と体系である。の仏教用語である。

シャカがじっさい説かれたのは阿合経だけであるという、歴史的な事実のほ
かに、阿含経以外には、この「成仏法」がないから、わたくしはそう言うので
ある。「成仏法」のない経典など、わたくしは真実の仏教経典とみとめること
はできないのである。もちろん、それなりの存在意義なり存在価値はあろう
が、本流ではない。傍流というべきである。
七科三十七道品とはつぎのようなものである。
四念処法-‐―身念処法 受念処法 心念処法 法念処法
四正断法--断断法
律儀断法
四神足法一-―‐―欲神足法 勤神足法
随護断法
心神足法
修断法
観神足法
五根法ー一信根法 精進根法 念根法 定根法 慧根法
五力法‐信力法 精進力法 念力法 定力法 慧力法
七覚支法-‐‐‐択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法
定覚支法 念覚支法
捨覚支法
情賄法
正念法
正定法
以上である。
この七科目、三十七種のカリキュラムは、
1,瞑想
2、実践
3、tapas(練行)
に分類できる。
四念処法・五根法は、瞑想である。
四正断法・五力法・七覚支法・八正道は、実践と瞑想である。
四神足法は、特種なtapasである。
神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然的な神通力
を得るための四種の修行法である。前に述べたわたくしのtapasはこれに属
するものである。
この七つの科目のうち、taPasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて修
行するのである。
どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、聖師が決定する。修
行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それをみて、グルがきめるので
ある。
この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ
霊性の洗礼
まちがいなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れて
にしへ、力修け八分通り成功したといっていいくらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということ
である。

グルなくして、ただしい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教
信心とはちがうのである。信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈
を教わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊
的能力を持つ聖師のたすけなくしては、ぜったいといっていいほど、できない
のである。

たとえば、インド近代の聖者ラーマナーマハリシが、入門者にたいして、
「凝視の方法」で受け入れの儀式を行なったとき、かれの両眼の輝きと力が相
手の心をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。時と
しては、まるで電流が身の内に流れこんだように相手は感じたともいわれる。
こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものにたい
するあこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。

Buddhist meditation

Agon`methodology  English 

In Buddhist meditation, methods may be constructed to reach the deep stages of consciousness based on the multi-layered structure of the human mind. For example, in the philosophy of Buddhism and psychology in Mahayana Buddhism, consciousness is classified into eight senses, among which there is a layer called Shunasai or Ariori knowledge, and the method of Buddhist meditation is to reach it It is said. It is said that Sue Naru and Aori Saku are close to what came to be called modern psychology in Western psychology. On the other hand, in the Azusa Buddhism, with the progress of meditation training, we have systematized mental changes in nine stages (from the first determination to the ninth determination that appears after the greed world, which is a general recognition), It is said that it is possible to unravel by practicing the Zen meditation preached by Buddha in concentration power over the setting.

Buddha (“the Enlightened Person”) who is considered to be the founder of Buddhism gained the ultimate wisdom, but it was obtained by the above-mentioned Indian meditation technique (or yoga), and he The meditation was developed into a safer and more systematic one (see “Primary Buddhist Scripture”). Therefore some of the Buddhist schools are still inheriting the techniques of yoga meditation, and some are developing their own.

瞑想の情報

Agon`methodology  English 

仏教における瞑想法では、人間の心が多層的な構造を持っていることを踏まえ意識の深層段階へと到達することを目的とした手法が組み立てられる場合がある。例えば、大乗仏教における仏教哲学・仏教心理学では意識は八識に分類され、その中には末那識や阿頼耶識と呼ばれる層があり、仏教の瞑想法はそこへ到達するための方法と言われている。末那識、阿頼耶識は、近代になって西洋心理学で深層心理と呼ばれるようになったものに近いと言われている。一方、上座部仏教においては、瞑想修行の進展に伴い心の変化を九段階に体系化(一般的認識である欲界を超えた後に現れる第一禅定から第九禅定)しており、第一禅定以上の集中力において仏陀によって説かれた観瞑想の修行を行うことで解脱が可能と言われている。

仏教の始祖とされているブッダ(”悟った人”の意)は、究極の智慧を得たのであるが、それは上述のインドの瞑想の技法(あるいはヨーガ)によって得たものであり、彼はその瞑想法をより安全かつ体系的なものに発展させた(『原始仏典』参照)。それゆえ仏教の諸派の中には、今でもヨーガの瞑想の技法を継承している派もあり、さらに独自に発展させている派もある。

New humanity

New humanity

Homo sapiens is nothing but our own, but homo-excellence is

What kind of person is it?

“Homo-excellence” is an excellent student who has acquired a special ability that can not be possessed by homosapiens.

The meaning is Some people, with this future person, with homo-intellidance (a bright person)

It is named.

So what special abilities does this talented futureman, Homo Excellence, have?

Let me give some of his features.

“Future species, super-human, will probably have a brain developmental velocity coefficient of 3 to 9”

The world-renowned anthropologist, Jorge Olivier, a professor at the University of Paris,

In the past, the present, and the future.

“(We are far inferior to the ability of such extremely good creatures,

In any case, this super-human intellectual ability can be imagined barely.

For example,

I Understanding the fourth dimension.

2 Ability to grasp the whole complex quickly.

3 Acquisition of the sixth sense.

4 Possession of infinitely developed moral will.

5 Especially insensible spiritual qualities for our understanding.

Etc.

I say to us the shape of the body of a creature with a brain development factor of three and nine, the great intelligence and

It is up to those who are imaginative to decide what kind of behavior they can not understand at the very end

Do. While we are Mekula, our successors will have a thousand eyes

From “” (Ami Serizawa, translated by Misuzu Shobo).

Olivier is an anthropology professor at the Faculty of Science, University of Paris, according to the introductory text of the publisher.

He has several books in addition to the many articles of autopsy, among which “Anthropological Anatomy”

I received the S.S. Not only has he made many achievements in his / her field of specialization, but also young research

Of the anthropology of French anthropology as well as being an excellent leader.

We must say that we are the first-class scientists of today.

The scientist predicts the emergence of the future homosexuality in this way. Author

However, there is no grounds, it is not just that I am taking a brush that surprises the people of Onimen

It is. It will always come. So where does that homo-excellence come from?

The coming of the future man, homo-excellence, is an inevitable part of history, says Olivier.

Let’s follow the history of humanity.

The first thing that appeared was the Oleopithecus, the Australopithecus that evolved from Lamapithex

It was (ape man). However, after a while, Pitecanthropus-Elektos

changed. However, soon after, a Neanderthal (old man) came and followed him,

These days are about ten thousand years old.

However, about four to fifty thousand years ago, the Crocagnot (new face) with considerable advanced intelligence appears

Then they disappeared rapidly and became extinct. However, even those Cromano people are ten thousand from now

About a year ago, it disappeared awfully in new modern human species such as Australoid (Java), Mongoloid (China), Negroid (Africa), Caucasoid (Europe)-it is on the very surface of history In addition to the fact that it only appears, some unknown

I think that To-genus or its branches appeared innumerably and made history disappear soon

There are many scholars.

One well-known scientist says that the life span of one species is 1,000,000, and homo sapiens has not

It is said that this age should come soon. Then, Olivier also said, “Now,

It was quite logical to think of Me as our successor, the negativity of humanity

It is said that it is L.

-But

Can the new person appear at all?

Is it ten thousand years ago? Twenty thousand years?

About the same kind of humanity of Homo sapiens, it is just that the sun will burn someday

The same thing as saying, though not fancy, it is probably an astronomical figure.

It’s not like we’re castors so much that we’re worried about it, no matter what the future events are.

You may say.

No way··-·

If you’re talking about that, that’s what you end up with.

Professor Olivier stands on the law of biological evolution and predicts:

“… The people of the future will be coming unexpectedly”

Huh? So early? And you will be surprised. But you are more here

You have to be surprised.

I mean,

This new human, homo-excellence. It’s not coming “soon”, it’s already coming to this earth. It’s already appeared on this earth for a long time.

from when?

When do you think?

since yesterday?

no

From one day ago?

no

So, last year?

no’-·

It is more than five hundred years ago!

6I Homo Excellence Excellence Qualification

There is one technology here.

When trained by that technology, every human being will have some great power.

Let’s give that power.

Extremely developed intelligence-first-time, first-time forgetting

There is no cooperation. Instantly analyze, reason, and understand any complex structure or organization

And the power of the bar and induction that understands the essence. From pure thinking that does not go through indirect thinking of “Kotoba”

Super leaps of creativity that emerge.

If it is assumed that the average intelligence of human being is I, it will probably reach 2.5-5.

Will. The best brains of this group are easy to understand the fourth dimension.

Amplification of sense organs-he can see invisible rays (infrared rays, ultraviolet rays) and hear ultrasound

be able to. The predictive power that comes from the combination of its anomalous sense and high intelligence. They are their own bodies

Come from the ability to control as you want.

3 Control and creation of the environment-changing one’s own way, moving others, group and environment, one’s philosophy

Create according to

4 Ability to control substances freely and beyond substances.

Five infinitely developed moral consciousness.

It is about the above abilities.

Compare this with the ability of Olivier’s futurist mentioned in the previous section, the ability possessed by Homo Excellence

let’s see.

Isn’t it better to say that it is completely the same rather than surprisingly?

That’s right, you may say. That is, the author is exactly the Olivier theory

Isn’t it brought?

It is not so. That is something that I would rather like. I am the first Olivier

Believes that he knows the existence of this special technology and has made it a qualification for the future person to acquire that technology.

It is about Of course, that is not, Professor Olivier is an academic, future man

You must have predicted that ability so, but how do you think of this implicit agreement

I wonder?

However, Professor Olivier actually knows the existence of this special technology and stands on top of it.

・ It is not unthinkable that I wrote the ability of excellence this way

Yes. Because recently, this special technology is known in America and Europe rather than in this country

I have started to be appreciated and appreciated.

But, anyway, as a matter of fact, there are thousands of specialized technologies that give this ability to humans.

It has been on the earth since a year ago, and it is said that it is transmitted among some people as it is

It is an unmistakable fact. No, actually, I received training on that technology and

There are some people who are

In other words, it is being revealed. That’s still a very small number. Homo-excellence will appear over the long term as a result of evolution

It does not appear as a Frankenstein monster as a mutant. That

It is a unique human development technology that transforms Homosapiens itself. It is natural

Rather than being born to

However, the homo-excellence that first appeared first is a kind of mutant.

It may have been. Or, it is a super-human leader who appeared as a result of environmental adaptation to the future society

It may have been. The first cromagnon that appeared in a group of Neanderthals

I like a person.

According to Rugalic law, the formation of new species in the genus which exists in Na from 300

It takes six hundred thousand years of time. The number five thousand years from now is the point beyond homo-excellence

It appears that a rower appears and forms a new cognate species in Homo sapiens.

Udo time is affordable.

The first homo-excellence would have been very lonely. Because of his possessive ability, he

Naturally, I was forced to become a prophet, a leader, and an educator. Also, he

By an extraordinary ability, he must have an insight into the future of the millennium and his position on human history.

He preached the “teaches” to educate the still-lower Homosciences,

We also created a curriculum for educating family members that will gradually emerge. ,

I trained in this curriculum. Or, among the disciples, the same homoequate as him

There would also have been a leader of Su. Thus this technique was handed down later. But it is too advanced deaggregation, for the progress and the aging of the people

He had several worshipers around him. Among them, its development technology with excellent qualities is too difficult to be widely accepted.

It was necessary to have a good time of development technology. For a long time, this technology is often misunderstood, abducted, or

The crisis of division has come. However, every time the technology is about to die, good homo · ek

Serence appeared and succeeded. This technology is widely accepted in this way

I waited quietly for my time. When many people need this technology and start trying to accept it

I waited quietly for the period.

Now it seems that time has come.

Homo sapiens reached its limit as an organism. Now, the confusion, embarrassment and hate that cover this world

Above all, it is what makes it good. What comes next is nothing but despair. Right now

In the cursed world. Even for a moment there is no one living without feeling the danger of life. You white

I will look like it.

Nowadays machines and technology-science has come over the crisis. But now that machine

And technology is at the forefront in hitting people.

“I saw it before” already.

A civilization in which the homo-sapiens intelligence came out was at its limit. If this world will survive

If you wish, a new civilization must be born. The product of Homo sapiens

All, science, technology, religion, and even art have reached their limits. Ethics and morals have collapsed. Old humanity is a must

You are clinging to the old civilization to death

あたらしい人類

 ホモ・ピエンスとは、ほかならぬわれわれ自身のことであるが、ホモーエクセレンスとは、

 

どういうヒトか?

 ホモーエクセレンスとは、ホモーサピエンスが持だない特別な能力を身につけた「優秀なるヒ

ト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモーインテリダンス(聡明なるヒト)と

いう名をつけている。

 では、この優秀なる未来人、ホモーエクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?

彼の持ついくつかの特長をあげてみよう。

 「未来の種属、超・ヒトは、おそらく、三・九という脳発速度係数を持つだろう」

 と、世界的に著名な人類学者、パリ大学のジョルジューオリヴィエ教授は、その著「ヒトと進

化、過去現在そして未来」のなかでこう語りはじめる。

 「(こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれが、あれこれい

うことはできないが)とにかく、この超・ヒトの知的能力は、辛うじて想像することができる。

 

それは、たとえば、

  I 第四次元の理解。

  2 複雑な全体をとっさに把握する能力。

  3 第六感の獲得。

    4 無限に発展した道徳意諏の保有。

  5 とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質。

 などである。

 わたしは、脳発達度係数三・九をもつ生き物の体のかたちや、すばらしい知能や、われわれに

はとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることに

する。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なのだろう

から」(芦沢玖美訳・みすず書房刊) と述べている。

 オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によると″パリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解

剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、そのなかでも「人類学的解剖学」はフラン

ス学士院賞を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究

者の育成にも心をそそぎ、フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である″と記されてい る。

 まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。

 その科学者が未来人ホモーエクセレンスの出現を、このように予告しているのである。著者

が、なんの根拠ももたず、ただいたずらに鬼面ひとをおどろかす筆をとっているのではないの

だ。それはかならずやってくる。では、そのホモーエクセレンスは、いったい、どこから、いっやってくるのだろうか?

 未来人、ホモーエクセレンスの到来は、歴史の必然であるとオリヴィエ教授はいう。

 では人類の歴史をたどってみよう。

 まずあらわれたのは、オレオピテクス、ラマピテクスから進化してきたオーストラロピテクス

(猿人)であった。が、しばらくして、ピテカントロプスーエレクトス(原人)がこれにとって

かわった。しかし、まもなく、ネアンデルタール人(旧人)がやってきて、そのあとを継ぎ、彼

らの時代はおよそ1〇万年ちかくっづく。

 けれども、今から四、五万年ほど前、かなり進んだ知能を持つクロマニョッ人(新人)が出現

すると、彼らは急速に姿を消して絶滅してしまった。しかしそのクロマニョッ人も、今から一万

年ほどまえに、オーストラロイド(ジャワ)、モンゴロイド(中国)、ネグロイド(アフリカ)、コーカ ソイド(ヨーロッパ)というあたらしい現世人類の種のなかにあわただしく消滅してしまった  ‐ れは、歴史のごく表面にあらわれているだけの事実で、このほかにも、いくつかの知られざるヒ

ト・属、あるいはその分枝が、無数にあらわれ、歴史をつくる間もなく消滅していったと考える

学者はかず多い。

 ある著名な科学者は、ひとつの種の寿命は1〇〇万年だと語り、ホモーサピエッスは出現以

来、間もなくこの年令に達するはずだという。そうして、オリヴィエ教授もまた「いま、われ

われが、われわれの後継者であるっぎの人類のことを考えるのは、まったく筋みちの立ったこと

であるLといっているのだ。

―だが、

 いったいその新しいヒトは、いっあらわれるのか?

 一万年さきか? 二万年?

 だいたい、ホモーサピエンスのつぎの人類なんて、それはちょうどあの太陽がいつか燃えつき

てしまうぞ、というのと同じことで、空想ではないにしても、おそらくそれは天文学的数字のは

るか未来の出来事にちがいなく、そんな心配をしているほどわれわれはヒマ人ではない、とあな

たはいうかも知れない。

 とんでもない・・‐・

 そんなことをいっていたら、それこそあなたは、″間抜け″になってしまうぞ。

 オリヴィエ教授は、生物学の進化の法則の上に立ってこう予言するのだ。

「……未来のヒトは間もなく不意に来ることになる」

 

 え? そんなに早く? とあなたはびっくりするだろう。だが、あなたはここでさらにもっと

びっくりしなければならないのだ。

 というのは、

 この新しいヒト、ホモーエクセレンスは、。間もなく不意に来る″のではなく、それはもうすでにこの地上に来ているのである。この地球上に、はるか以前からすでに出現しているのだ。

 いつから?

 いつからだとあなたは思うか?

 昨日から?

 否

 一昨日から?

 否

 では、去年?

 否’‐・

 それは五〇〇〇年よりもっと以前からなのである!

 

⑥Iホモーエクセレンスの資格

ここにひとつの技術がある。

その技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくつかのすぐれた力を持つようになる。

その力をあげてみよう。

極度に発達した知能‐―いちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れること

  のないが協力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解し

  て、本質を把握してしまう演棒と帰納の力。コトバという間接思考を経ない純粋思考から

  発する超飛躍的な創造力。

   それは、ヒトの平均知能をI・〇とするならば、おそらく、二・五から三・五に達する

  であろう。このグループの最高の頭脳は、やすやすと四次元を理解する。

ニ 感覚器官の増幅―彼は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞く

  ことができる。その異常感覚と高度の知能の結合からくる予知力。それらは、自分の肉体

  を思うままに統御する能力からくる。

三 環境の制御と創造―-思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念

  の通りに創造してゆく。

四 物質を超え、物質を自由に統御する力。

五 無限に発達した道徳意識。

 だいたい、以上の能力である。

 これを、前の項で述べたオリヴィエ教授の未来人、ホモーエクセレンスの持つ能力とくらべて

みよう。

 それは、おどろくほど酷似している、というよりも、そっくりそのままといったほうがよいのではないか?

 そういうと、あなたはいうかも知れぬ。それは、著者が、オリヴィエ説をそっくりそのままう

つし持ってきたのではないのか、と。

 そうではないのだ。それは、むしろ、私のほうがいいたいことだ。私は、最初、オリヴィエ教

授がこの特殊技術の存在を知っていて、その技術の習得を未来人の資格にしたのではないかと思

ったくらいなのである。もちろん、それは、そうではなく、オリヴィエ教授は学術的に、未来人

の能力をそのように予測したのにちがいないが、この暗黙の一致を、あなたはどのように考える

だろうか?

 もっとも、オリヴィエ教授は、実際にこの特殊技術の存在を知っていて、その上に立ってホモ

・エクセレンスの能力を、このように書いたのである、ということも考えられないことではな

い。なぜならば、最近、この特殊技術は、この国でよりも、むしろ、アメリカやヨーロッパで知

られ、高く評価されはじめているのだからI。

 しかし、それはとにかくとして、実際に、こういう能力をヒトにあたえる特殊な技術が、数千

年も前からこの地上に存在し、それはそのまま現在も一部の人びとの間に伝えられているという

ことは、まぎれもない事実である。いや、現に、その技術の訓練を受け、そういう能力を身につ

けた人びとがなん人かいる。

 つまり、にあらわれつつあるということである。それは、まだ、ごくわずかな数ではあるりれども。、ホモーエクセレンスは、これからさき、長い時間をかけて進化の結果あらわれてくる

のでもないし、突然変異体としてフランケンシュタインの怪物のごとく登場するのでもない。そ

れは、ひとつの特殊な人間開発技術により、ホモーサピエンス自身が変身するのだ。それは自然

に生まれてくるのではなく、つくられるのだ。

 もっとも、いちばん最初にあらわれたホモーエクセレンスは、あるいは一種のミュータントで

あったかも知れない。あるいは、未来社会への環境適応の結果あらわれた超・ヒトの先行者であ

ったのかも知れぬ。ちょうど、ネアンデルタール人の群れのなかに出現した最初のクロマニョン

人のようにI。

 ルーガリックの法則によると、ナでに存在ナる属のなかでの新しい種の形成は、三〇〇年から

六〇万年の時間を要するという。今から五〇〇〇年まえという数字は、ホモーエクセレンスの先

行者があらわれて、ホモーサピエンスのなかに次第に新しい同族の種属を形成してゆくのにちょ

うど手頃な時間である。

 最初のホモーエクセレンスは非常に孤独であったろう。彼はその持てるナぐれた能力ゆえに、

おのずと、予言者となり、指導者となり、教育者とならざるを得なかった。また、彼は、その持

つ異常な能力によって、数千年さきの未来を洞察し、ヒトの歴史の上における彼自身の位置をさとったにちがいない。

 彼は、まだ低い段階のホモーサピエンスたちを教育するための「教え」を説くと同時に、これ

からやがて次第にあらわれてくる同 族たちを教育するためのカリキュラムもつくった。 

このカリキュラムで訓練した。あるいは、その弟子たちのなかには、彼と同じホモーエクセレッ

スの先行者たちもいたであろう。こうしてこの技術はあとへ伝承された。だが、あまりにも高度りに離解で、人びとの進歩と熟成のため      

彼は、周囲に何人かの崇拝者を持った。そのなかからすぐれた素質を持なその開発技術は、ひろく受け入れられるためにはあまりに難解で、

なその開発技術昧ひろく回の時が必要であった。その長い間、この技術は、しばしば、誤解されたり、誹誘されたり、ある

いは分裂の危機を迎えた。けれども、その技術が滅亡しようとするたびに、すぐれたホモ・エク

セレンスがあらわれて、これを継いだ。この技術は、このようにして、ひろく世にうけいれられ

る時を静かに待った。多くの人びとが、この技術を必要とし、受け入れようと努力しはじめる時

期を静かに待った。

 いま、その時がきたようである。

 ホモーサピエンスは生物としてその限界に到達した。いま、この世界を覆う混乱と当惑と憎悪

は、なによりも、それをものがたるものである。つぎにくるものは絶望でしかない。いまこのひ

ろい世界に。一瞬たりとも生命の危険を感ぜずして生きている人間がひとりもいない。あなた白

身そうであろう。

 今よではりねに機械と技術―科学がその危機を来り越えてきた。しかし、いまは、その機械

と技術が先頭に立って人間に打撃を加えている。

 もう「さきは見えて」しまった。

 ホモーサピエンスの知能がっくり出した文明は極限に達した。もしもこの世界が生き残ろうと

望むならば、あらたな文明が生まれ出なければならない。ホモーサピエンスの生み出したものは

すべて、科学も技術も宗教も、芸術さえも限界に達した。倫理も道徳も崩壊した。古い人類は必

死に古い文明にしがみついているけれども、これらはすべて過去の世界のものになった。

 限界に達した生物がさいごにえらぶ道は「集団自殺」である。いま、その集団自殺が地上に展

開している。環境汚染と公害と戦乱-すべてホモーサピエンス自身がっくり出したものであ

る。結局、ホモーサピエンスは集団闘争による集団自殺によって絶滅ナるであろう。

 見よ。宗教ですら闘争の仲間に加わった。最も進歩的だと称するこの国の宗教団体は最も闘争

的である。

 すべての生物がたどる最後の道を、ホモーサピエンスはついにたどりはじめたということであろう。

 陶汰がはじまっているのである。滅びるべきものは滅び去るがよい。それでヒト・属は絶えは

しない。あたらしい種の胎動がここにある。あたらしい文明と古い文明、ホモーサピエンスとホ

モーエクセレンスはしばらくのあいだ共存するであろう。それは三世代から七世代つづく。ネアンデルタールとクロマニョンの共存は、一〇〇世代から一五〇世代つづいた。ネアッデルタール

が消滅するのにそれだけかかった。われわれの共存は、促進されてごくわずかの時間で完了す

りま威びるだろう。五〇年から一五〇年―、これだけの時間のうちに、滅びるべきものは滅び

らしい芸術をつくり出す。それは、ホモーサピエンスとは比較にならぬ高度の知性と悟性が生み

そのあとに、ホモーエクセレンスはあたらしい科学、あたらしい技術、あたらしい宗教、あた

出したあたらしい次元のものである。

 ところでお聞きするのだが、あなたは、ネアンデルタールか、クロマニョンか?

 

ホモーエクセレンスのカリキュラム

 ホモーエクセレンスのカリキュラムとはなにか?

 いまからI〇〇万年まえに出現したピテカントロプスーエレクトスの大脳のなかには、こんに

ちのホモーサピエンスの知恵が秘められていた。しかし、それがホモーサピエッスになるまで

に、一〇〇万年の時が必要だった。自然の進化にまかせたからだ。

 いま、進化したホモーサピエンスが、ホモーエクセレンスの能力を獲得するのに、それはどな

かい時間は必要でない。

 ここに、その能力を開発する特殊な技術かおる。

 この技術につて教竹すれば、ヒトはだれでも一変する。ピテカントロプスーエレクトスが、

ホモーサピエンスに変身し、地を這うサナギがコ伐で空飛ぶ蝶になる。

 ″近い未来に実現する全く変形した新しい世界を叙述するために、科学者たちは、新しいコトバ

を手さぐりで求め″ながら(アルバート・ローゼンフェルトThe second genesis邦訳第二創世紀)、ジ

ュリアンーハクスリ卿は、新しい高い能力を待った未来人を「超人問」と呼んでその出現を待

ち、ケニスーボールディング博士は来るべき新しい文明こそ「脱文明」と呼ばれなければならぬ

ような飛躍をなしとげることになると考え、バーロー・シャプリ博士はそれを精神動物王国と呼

び、科学者であり哲学者であったテイヤールードーシャルダン神父は″オメガ点″を設定して

超・ヒトの到来を信じ、創造理論の権威市川亀久弥教授はごく近い未来に実現する超人類社会

(ciety of super state homo SaPience)を予見し、人類学者のジョルジューオリヴィエ教授は、

高い知能を持つホモーエクセレンスは間もなく来ると説き、彼らすべてかがやく未来を期待しつ

つ、しかし、そのいずれも、それを実現すべき方法を持たない。

 だが、ここに、それを実現する技術がある。

 超人間を、脱文明を、精神動物王国を、超・ヒトを、超人類社会を、ホモーエクセレンスを、

んとうに生み出し、ほんとうに実現させる技術と体系がここにある。

 ″クンダリニー密教”と名づける秘密技術がそれである。

これこそ、五〇〇〇年のむかし、超・ヒトによって開発編成されたホモーエクセレッスのカリ

キュラムであった。

 さきに、拙著「変身の原理」で、私は密教の持つ「秘密神通の力」について語った。

冴えない彼女の育てかた

科学であり、システムであることを解明した。未来社会が要求するあたらしい精神科学であることを実証した。

 それではII、密教があたえる超能力とはいったいいかかる能力であるのか?

密教はたんなる宗教や信仰ではなく、人間に超能力をあたえるサイェッスであり、

そしてまた、密教はいかなる方法と原理によってそれをなそうとするのか?

それにまた、なによりもまず第一に、いったいヒトはなにがゆえに超能力を開発せねばならぬ

のか?

 それに答えようとするのが本書である。

 私は、ここに、密教五〇〇〇年の秘密の智恵と技術を能うかぎり公開した。それは、ヒトが、

いまはじめて目にし、耳にする智恵と技術である。ヒトは、おそらく、おどろき、おそれ、惑う

であろう。

 しかし、私は信ずる。人類の未来はここからはじまる。これなくしてヒトの未来は無い、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソンディの運命分析学

フロイドをはじめとした精神分析学派は、遺伝子要素(先天的な素質)はあまり重視せず、親子関係や生まれてからの環境を重視し、人は環境にはたらきかけることによって、変わりうるという環境論に基づいています。

人は宿命から逃れられないのか?

人間、本来もって生まれた先天的なものと環境のもとで培った、後天的なものとの組み合わせだからです。

ソンディの「運命分析学」は、遺伝と環境を統合させた新しい学説といえます。

ソンディの運命分析理論の画期的なところは、運命を「人間の隠された生活プラン」と考えており、宿命としてあきらめてしまわず、人間は選択する意思をもつというところに存在意義をみとめている点です。

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あなたの運命は変えられる―ソンディ博士の運命学 (1979年)

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矜羯羅童子

不動三尊において、制多迦童子 (Ceṭaka) と共に不動明王の脇侍を務める。通常は不動明王の左(向かって右)に位置する。

矜羯羅」とは、サンスクリットで疑問詞の矜 (kiṃ) と、「作為」の意味である羯羅 (kara) を合わせたもので、直訳すれば「何をするべきかを問い、その命令の通りに動く」という意味であり、奴僕や従者を指す普通名詞であるが、矜羯羅童子の場合は不動明王の奴僕三昧を表すとともに、仏法に対して恭敬であるさまを意味している。

十五歳ほどの童子の姿をしており、蓮華冠をつけ、肌は白肉色である。合掌した親指と人差し指の間に独鈷杵をはさんで持つ。天衣と袈裟を身に着けている。

 

真言編集

「オン ダラマ コンガラ チシュタ サラ」
(oṃ dharma koṃgla tiṣṭa sra)
※お経には「oṃ dharmma hāṃkara tiṣṭa jra」と書いている。

種子編集

種子(種子字)はタラ(tra)BonjiTra.png、あるいはコン(koṃ)、またはコンガラ(koṃgla)BonjiHomkla.png

三昧耶形編集

三昧耶形金剛杵、あるいは蓮華