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運命学

無意識の意識

無意識の意識とは、心理学の分野で使われる用語で、私たちが普段意識していない思考や行動のプロセスを指します。

一般に、私たちが意識している部分は、認知的にアクセス可能で制御可能な「意識的な」プロセスとして知られています。例えば、現在何をしているか、何を考えているか、何を感じているかなど、私たちは自覚的に意識することができます。

一方で、無意識のプロセスは、意識的にアクセスすることができない、制御しにくいプロセスであり、自己認識や思考・行動の決定にも影響を与えています。例えば、無意識的に恐怖心を感じたり、好意を持ったり、決定を下したりすることがあります。

無意識の意識は、一般的には、無意識のプロセスが意識的な経験として表出することを指します。例えば、無意識的な願望や欲求が夢に表れたり、無意識的に受け取った情報が後で意識的に思い出されたりすることがあります。

無意識の意識は、フロイトの精神分析理論など、心理学のさまざまな分野で研究されています。最近では、脳科学の進歩により、無意識のプロセスを直接観察することができるようになってきています。

三密加持の手法   完

まざまなものごとを象徴する。 これを「身」という。

「語密」という。

編成されている。

観想とは、心の中で、定められたものごとをつよく観念することである。「意」という。

真言とは、仏の真実の言葉とされる梵語で成り立った一定の章句を口にとなえることである。

この三つの所作が連続して一つの法を成立させるのである。

この三密加持の手法をもとに、「金剛界の法」と「胎蔵界の法」と、二つの即身成仏法の体系が

この二つの法の、最も中心となる部分を見てみよう。

 

 

先ず金剛界の法である。

前のほうの導入部分ともいうべきところは略して、中心に入ろう。

 

 

 

三金剛界の法

(前段略)

 

次仏 両合掌して、二頭指各々中指の上の節の背につけ、二小指の 開く。二大指もまたなり。これ如来五眼のなり。胸の前に当てて真言七返 加持せよ。真言にいわく、黄、緑、烏瑟沙、増蘇入緋羅、

あい生えて中間をして、身の四処 叱悉多魯舎 しったしったろ しゃに

観ぜよ。此の印をむすび真言をして加持するに出るが故に、諸魔夜迦その便りを得ず。 初 行のときより、乃至成就の時までの 数、この尊に奉献すれば、たとえ三業を誤失し三昧耶破すれども、所有の成就して虚しからずして地を獲得す。あるいは悪人あって留難をな さばかの人、瑜伽者の足下にありと想うて、真言二十一返を誦すれば、所有の留難をなす者、 み ことごとく消散して、心を以てあい向うて障礙すること能わず。

 

○次 入我我入観端身正座して、弥陀定印をむすんで観ぜよ。 我れ今、大日如来の身となる。 身相白肉色にして宝蓮華台満月輪の上に処して、面も せり。首に五智の宝冠を著て、頂背円光って大智拳印に任せり。 一身四面なり。四仏四波羅蜜 十六大菩薩 八供四等の諸 尊聖衆眷属せり。ここに更にまた壇上の日成の如来と、自性眷属の三十七尊と、ともに住してと相対し給う。本尊我身に入り、我れもまた本尊の御身の中に入る。かくのごとく融通入す ることたとえば帝のごとし。また鏡と影像との相通無礙なり。本尊我身の中に入りて我を加持し、 本尊の御身の中に入って本尊に帰依し奉る。即ち本尊と我れと一体にして無二平等なり。

○次 字輪観字義ならびに無分別観 身正座して、弥陀定印をむすんで法界体性三昧観に入れ。 わが心満月輪の上に 右に従ってす。 面も順逆に五字をし、さらにまた の五字あり。 空点を加えて順逆に之を通す。 次に字義を順逆に観じ廻す。 即ち諸法本不生、 自性離言説、 清浄無本生観と

因業不可得等空不可得、等空不可得、因業不可得、清浄無垢染、自性離言説、諸法転相接して 字諸法本生なるが故に、字自性離言説なり、字自 逆に観じす、 性離言説なるが故に、字清浄無垢染なり。字清浄無垢染なるが故に、字因業不可得なり。 字因業不可得なるが故に、字等空不可得なり、字等空不可得なるが故に、字諸法本不生なり つづいてこの逆を観のごとく順逆に観じ廻して、遂に月輪をして現前せしむ。くびく大にして小千界、 中千 界大千界乃至法界に遍満す。 そのときに上み仏界より下も衆生界に至るまで一切の諸法みなわが 心月輪に現ず。然してのち漸く飲まり、く小さくしてもとのごとく一にして還りてわが身中に 入る。なお定心に住して布字観をなせ。 即ち、前の五字を移してわが身の五処に置く。その五処と 腰下、 心中、眉間、頂上なり、腰下に字を置く黄色方形なり、是れ地大本不生の理な 輪に字を置く白色円形なり、是れ水大離言説の理なり、心中に字を置く赤色三角形なり、 無 理なり、眉間に字を置く黒色半月形なり、是れ風大因業不可得意なり、頂上 に字を置く青色団形なり、 これ空大等空不可得の理なり、いますでに五大所成の身となりてよく 過を離る、即ち順逆にこれを観ぜよ、我れ即地大本不生なり、我れ即木大離言説なり、我れ即火 大清浄無垢染なり、我れ即風大因業不可得なり、我れ即空大等空不可得なり つづいてこの逆観 おわってついに字本不生の理に住して、言慮絶するを無分別と名づく。 この親に住し、

 

○次 五相成身観

 

観察

真言にいわく、

三摩地

頭 総理。行者、金剛店に入らんとおもわ

先ず観察智に住して、まさに結支節を動揺せずしてまさに印を結ぶべ 趺座すべし。し。羽金剛して、仰げて臍の下におき、身を正しくして動揺することなかれ。

舌を上にえて、息を止めて微細ならしむ。 この定に住して即ち如来の不動智を得。真言にいわく、庵、三摩地、頭迷哩。誰かに観ぜよ、諸法の性はみな自心に由る、随煩悩、臨界 諸入等はみな幻と焰との加し、乾婆城のごとし、また火のごとし、また空谷郷のごとし、是 の如く誰かに観じおわって身心を見ずして、 寂滅平等究真実の智にして、即ち観ぜよ。 「空中 において諸仏胡麻のごとくして虚空界に満したまえり、身に十地を試し如実際にせりと想え 空中のもろもろの如来、 男子汝の所の処は是れ一道清浄なれども、 指し驚覚して告げて言う。 金剛三昧および若智尚し未だ証知すること能わず、此を以て足んぬとる事切れ、広さに普満足してさに最正覚を成ずべし」

 

○次 通菩提心

行者覚を聞いて定中に諸仏を礼し奉る。(ゆえに)礼の真言をす ただ願くば、諸の如来われに所行の処を示したまえ、諸仏同音に言わく、「汝まさに自心を観ずべ 教のごとく自心を観ずれども自心の相を見ず、また普礼の真言をして仏に白して言さく、

のたま

「われ自心を見ずこの心をば何の相とかさん」、諸仏成く告げて言わく「心相は

おそ

あんしつ はちべいとうまゆう

し難し、心

月輪の霧の中に在るが如し」 真言にいわく、阿賀、質多鉢羅吠登迦哈弾。 次菩提心「識は本来にあらず、清浄にして、 なし、福智を具するに由るが故に自 心満月の如しなんじ浄月輪を観じて菩提心をすることを得。真言にいわく、地質多、 甲成金心想え「諸仏また告げて言わく、菩提を堅固ならしめんがために、また心真授く、金剛蓮華を観ぜよ。即ち心月輪の上に八葉の蓮華ありと観ぜよ」

真言にいわく、蛇、日置

次 広金剛想え「心月輪の上の八葉の蓮華、くび漸く大にして、三千界乃至法界に 満して、一切有情をし利益すと想え」

 

真言にいわく 〇次 金剛

「この心蓮華小にして、還って収まること故の如し」

真言にいわく、 次

僧賀神羅。心 応当に知るべし。自身は金剛界なり。 想え 「法界の諸仏自身の蓮華に

入り給うこと、鏡の万像を現するが如し」

真言にいわく、博日羅鉢

諸仏また告げて言わく、「身を観じて本尊と為せ」、この真言を授けていわく、

仏身円

野他薩縛他多

薩他含。

次 諸仏加

え。「われ既に本尊の身となる。故に、諸の如来加持して、金剛界の諸尊み

なわれ続し給う」

もしまた

真言にいわく、

縛怛他多、三冒地理茶縛日羅陀。

以上であなたは即身成仏したのである。

仏眼〉

え?さっぱり仏になったような気がしない?

困るなあ、そんなことでは、尤も、大分むずかしい文句がならんでいるからな。 よく呑みこ めないのも無理はない。 それでは少し解説してみよう。

この印明をむすぶがゆえに、自他一切の障害を排除して法が成就するという。

印は、ふつうに合掌して、両手の人さし指(これを頭という)をそれぞれ中指の上部の節の背に つけ、両方の親指(大指という)と両方の小指はそれぞれ先端をつけ合って、中間の部分をひらく のである。そうすると、おのおのの指のすき間が五か所できる。 これがすなわち五つの眼である。 五つの眼とは、仏眼法眼 恵 天眼、肉眼である。この五眼を印に配置すると、二小指の間は 仏眼 左頭指と中指との間は法眼、右頭指と中指との間は恵、二中指の間は天眼、二大指の間は 肉眼 これを、「印の五眼」という。五眼にはもう一つ、「面の五眼」というのがあり、 それは、右

こたち

目肉眼、左目天眼、右肩恵 左眉法 眉間仏眼に配置する。 これは、それぞれ、 大円鏡智、平 等性智、観察智、 成所作智、 法界体性の五智に配される。 この五眼五智の印をむすんでわが眼 にあてて真言五反となえ、つぎに二反となえて右に三反転じまわすこと)面上を加持する。 はじ 五眼加持五反はこれによって金剛界五智のをひらき、つぎに真言三反となえて面を三転する のは胎蔵界三部の仏の眼をひらく心である。すなわち、これであなたは仏の五智の眼をひらき、い よいよこれから即身成仏を獲得する法の所作に入るというわけである。

我我入観〉

これは、文字の通り、対象とするものが自分の中に入り、自分もまた対象の中に入るということ であるが、「入る」ということは、「合体一致」するということである。したがって、これが完全に なされたら、当然、対象そのものになってしまうことになる。私は、この入我我こそが密教の真 髄であり密教を成り立たせる根本原理であると思っている。即身成仏とはその入我我入の対象を 「仏」に置いたわけで、この技法を体得したら、 対象次第でなんにでも変身できるわけである。私 がさきに「変身の原理」という題名で密教の本を書いたのはここに由来するわけで、ここでは対象 「大日如来」とするが、 入我我入は大日如来だけとはかぎらないのだ。 密教では法の種類によ って、どんな仏にでも変身するのである。ここに、不動明王の入我我入について、故長岡慶信大僧 正が非常にわかりやすく書かれた文章があるから、それを御紹介しよう。

「十八道立の供養法でも、金剛界や胎蔵界の大法立の供養法でも、先ず、道場観”といって、

我々の眼前に本尊の浄土を思い浮かべ、そして、そこへ浄土におられる本尊を迎えて、これを合致 せめ、これに供養してから、入我我入観”という、本尊と自分と無二一体であるという観想を こらすのだ。 いま、不動明王を本尊とした道場観を書いてみる。

しっしっ

もろもろ ようちばんかい

心(むね)の前に字あり。 変じて七宝の宮殿楼閣となる。垂れ、宝柱行列せり。 (以上浄土の宮殿) 壇の上に字あり、変じて、瑟々の不動のおられる台) となる。座の上に 字(不動の種字)あり、変じて智剣(不動の三摩郡形)と成る。 剣変じて不動明王となる。 (以下不動明王のすがた) 身色青黒にして、童子肥満の形なり、頂に七結の髪 (七つむすんで垂れた 髪の毛)あり、七覚分(仏になるべき覚えの七つの方法)をあらわし、左に一つの髪を垂れたり。 一 子(仏の一人子として)の慈悲を賑わす。 右の手に剣をとり三毒の惑障(痴の迷いを断ず。 左の 手に とり、調の者(仏教に従わぬ者)を繋縛す。身(からだじゅう)に楼羅炎(か ふらという能を食うという鳥の形の炎)を現じ、煩悩の悪 宝山に を龍にたとえる)を食す。 座し給う。 浄菩提心の動きことをあらわす。(以上が不動の身体観、以下はその眷属を明らかにす

左右に二の童子あり、右をば迦と名づけ、

小心の者なり。左をば多と名づけ、共語 悪性のものなり、 乃至四大明王、十二大天無量の眷属前にせり。

以上で不動明王を眼前に想い浮かぶべきであるが、われわれにはなかなか難しいことなので、不 動明王の尊形、あるいは画像などを前に置き、この観法の助けとするのである。

さて、この観想の上に立って、その本尊と無二一体であると観念をこらすのが入我我入観である。

最初、不動の印をむすび、不動の真言を萌え、不動の心を心とし、 我が三葉が、 仏の三密と一致す

<字輪観〉

本尊加持の作法を修し、不動と自己と無二一体であって、本尊我れに入り、我れ本尊に入る、一 切衆生もまた本尊に入る、本尊と我れと一切衆生と無二であるとの観想をこらすことが、入我我入 観、即ち身密の一致を示したものである」

以上で、入我我入観がどういうものか、大体その意味するところがおわかりであろう。右の文章 の中で「我が三葉と仏の三密」という言葉が出てきたが、この意味は、この章の冒頭で、私は、 三密加持とは仏の心のはたらきと、あなたの心のはたらきをひとつにし、仏のことばのはたらき と、あなたのことばのはたらきをひとつにし、仏のからだのはたらきと、あなたのからだのはたら きをひとつにする、以上である。といった。仏の心のはたらきを「意密」(または心)といい、 仏のことばのはたらきを 」(または口)といい、仏のからだのはたらきを「身」というの

である。そうして、以上の三つを「三密」という。 これにたいしわれわれ凡夫のそれを「三葉」と いう。 とは、はたらきという意味であり、われわれ凡夫の心、ことば、身体のはたらきは、凡夫 同士、人間同士、わからないということはないが、仏の身、語、 意のはたらきは凡夫には到底理解 しがたい深遠なものがある。ゆえにこれを「密」といい、三密というわけである。 三加持とは、 凡夫の三業を仏の三密と合致させるという意味であり、入我我入はそのもっとも中心とするところ 手法であるということなのだ。

久我我入観は、三密加持のうちの身の成就である。ここでまちがってはならぬのは、入我 我入と入我我入観とはちがうということである。入我我入は三密成就して即身成仏を完成した状態 であるが、入我我入観は身だけの一密成就法である。 そこで、まだ “と”意密”の 二つが成就する法を修さなければならない。字輪観は、そのうちの “” 成就法である。つま 仏の心のはたらきを観ずるわけであるから、その意味深であり、説明することも容易ではな く理解することもまたきわめてむずかしい。 当然のことであろう。 この字輪観の説明だけで、一 冊、あるいは数冊の書物ができるほどのものであるから、くわしい説明はまた別の機会にゆずり、 ここではその大意を述べておこう。

真言密教では、本尊の種字の字義を観ずるのは浅略であるといい、その真言を観ずるのは深秘で あるとし、その梵号の一々の字を観ずるのを最深秘とし、秘中の秘であるとする。 では、その梵号 一々の字を観ずるとはどういうことかというと、ふつうには、ア、バラ、カ、キャの五字を観 ずることになっている。それはなぜかというと、この五字は即ち「五大」の種字だからである。 五 大とは、地・水・火・風・空の五大要素で、森羅万象、 宇宙のあらゆるものはこの五大要素から成 り立つ。したがって、われわれの肉身はこの五大から成り立ち、仏の肉体もまたこの五大によって 成る。ゆえにこの五大において我れと仏とは無二一体であるわけだ(これで身密も成り立つ)。また、 この五大に五智がふくまれている。このア・バラ・カ・キャの五字は、同時に五智の種字真言で もあるから、五智獲得に通じ、これを観ずることはすなわち“意密”の行になるとするのである。

 

 

<正念誦>

るのである。

前のお次第のほうでは略しておいたが、じつは、字輪観の前に修する法として、この正念誦があ

我我入観によって身が完成された。つぎに語密が完成されねばならぬ。 これは正念誦によっ 果たされるとされる。

その作法を述べてみよう。

それは、加持念珠と正念誦の二つにわけられる。

ねんじふ

先ず、左手で左の机の上の念珠をとって、右の手にうつし、左の頭指以下の四指に巻いて三匝 にする。 それを右の掌にのせて、焼香に三度薫じて左右の手に三度移しかえ、右の掌を上にして左

おんべいろ しきのうまみそわA

右を重ねた上にのせ、覧娑婆訶と三反となえて加持し、今度はそれを左右の掌を合せた中に入れ 念珠を浄める浄珠の明、味噌遮那摩娑賀を三反誦する。 それから念珠を高く頭にあげた

五大願念ずる。

五大願とは、

衆生無辺誓願

福智無辺警集

そのために世のあらゆる福と智恵とを集めようという誓。

すべての人を済度しようという誓。

法門無辺学仏のあらゆる教えを学びとろうという誓。

如来無辺誓願事ありとあらゆる仏菩薩の仕事の手伝いをするという。

無上証無菩提を必ず証するという誓。

あんずんぐ

この五大をとなえ、いま修行している自分の願いをはっきり述べる。 以上が加持念珠である。 つぎの念は、二つの所作から成る。最初が引越念 あとが次第念である。 引越念 とは、転の真言日野をとなえつつ、左の拳(蔵の中を通して、右の大頭中の 三指で、母珠を持って引き上げる。つぎに、波三摩曳ととなえながら右の胎の中を通して、 左の大頭中の三指で留をもって引き下げる。これを三度くりかえすのである。この意味は、 秘密の念の境地において煩悩をうちくだくということをあらわす。

いろん

つぎに次第念は、右の頭大二指で母珠をとり、左の頭大の二指で三寸ほどはなれた念珠の 外の珠をとり、左右とも他の三指をのべ開き光明のごとくして本尊の真言をとなえつつ数をとりな がら百八反う。 踊えおわったら、ふたたび念珠を三にして中に納めて、修習念珠法以此 福田一切諸有情、成尊(本尊名)をとなえて左の手で左の机にかえして置く。この念珠のとき の観想は、

しんがもりん

「わが誦する真言の字は本尊の輪(おへその穴)より入りて、本尊の心月輪に至り、右にめぐ りてつらなり住し、本尊の通する真言の字はわが頂より入りて心月輪に至り右にめぐりてつらなり 「す」

この行は、真言をすることが中心であるから、いうまでもなく語密である。しかし、よく観察 すると、本尊の口から出るのは語であり、行者の頂より入るは身密で、わが心月輪に至りつらな

解説しよう。

先ず結りするのは意密であると同時に、わが誦する真言の字は語

で本尊の輪より入るは身で、心 月輪にするは意密であるということになる。つまり、臍 心月輪に至るという 頂より入って、 ことは、わが身と本尊の一致、すなわち入我我入で、調する音声、 これは本尊の真言のとなる声 との一致、すなわち語の一致で、 心月輪に真言の字が布列して、たがいに流れ合う、これは意密 の一致にほかならない。 そこで、真言宗のある派では、この一行に三密のすべてをふくむとして非 常に重くみるのである。この正念の行ひとつで即身成仏が成就するとまでいう派がある。

<五相成身観即身成仏・五つの過程─>

五相成身観は、凡夫が仏になるまでの過程を五種類に分類したものである。

密教の即身成仏の技法は、さきに述べた通り、三密加が中心であるが、その三行の中で最も 中心となるものは、いうまでもなく、意の行である。この意密の行(観法または観想)にはいく つかあるが、その最も主なものは、この五相成身観と阿字観(本不生観ともいう)である。このうち 阿字観は「大日経系統」すなわち「胎蔵法」に属する法で、五相成身観は「金剛頂系統」すなわち 「金剛界」に属する観法である。

五相成身とは、弘法大師空海の 『菩提心論』によると、

「一にはこれ通達心、二にはこれ菩提心、三にはこれ金剛心、四にはこれ金剛身、五にはこれ無 菩提をして金剛堅固の身を得るなり」とある。

これは、しずかな呼吸とともに、一から七までをかぞえ、も して、数息観に入る。 どって七から一までをかぞえる。無識身三摩地といって、心を空虚に、なにごとも心にとめない、 無心、無我の心を得るためである。 無識身三摩地に入ったら、つづいて「空観」に入る。観想中の 空想上の城 火輪は、棒に火をつけてくるくるまわすと火の輪のように見える。しか その火の輪は実在しない。 だからともに架空の存在で、われわれが実在と見ているものすべてそ のように架空の存在に過ぎないと観ずる。 すなわち「空」の定に入るわけである。この空の定に入 ることにより、智を表示する蓮華部の仏の加持を得て、その加持力により、つぎの通菩提心の三 味に入ることができるのである。

<通達菩提心〉

これは、われわれはすべて生まれながらに、即身成仏するところの根本心である浄菩提心を持っ ているということを如実に知る修行で、霧の中にある月輪のごとしと観ずるのである。

すなわち、数息観から空定に入って清められた心は諸仏に通じ、その加持によって清浄無垢なる 満月のようになった。しかしまだそのさとりは十分でなく、すみきった満月に軽い霧がかかったよ うな状態である。この軽い霧をはらい、真如の、すみきった月輪にしなければならない。 そこでさ らに真言をとなえ、仏の三摩耶形(象徴する物という意味で、仏 す がその本を表示する所持物 なわち、弓・・・・印など)を、わが満月輪の心の上に観じて、われと仏と同一の親をするの である。

 

 

<修菩提心〉

前の通菩提心によって、わが心は金剛界大日の加持を得、心の中に一点のくもりもない真月輪 得得たのである。ゆえに、わが心は妄想からはなれて、根本であるアーラヤ識を転じ てすべてのものの実相を鏡のごとく写しとる大円鏡智となると観ずるのである。 大円鏡智浄菩提 心を如実にわがものとする行である。

<成金剛心〉

大円鏡智は即浄菩提心であり、菩提心の銀行によって獲得したこの大円鏡の浄菩提心を、よ りいっそう深め、具体的に本尊の三摩耶行と同一不二のものとする観法である。すなわち、わが浄 心の満月輪の中に、 八葉の蓮華を観じ、それに五仏五智の三形を映するのである。 先ず、 満月輪の上に蓮華があり、その上に金剛界五仏の三摩耶 中央に大日の塔前に阿の五股、 右に宝生の宝珠、後に弥陀の蓮華、左に不空成就の羯摩を置いて、わが心に五仏の五智を表示する のである。

<広金剛〉

つづいて、この親想はつぎの広金剛観、金剛観の二つの観法に入る。

この広金剛とつぎの金剛は、前の観想をそのまま拡大し、あるいは飲めて、自分と法界(宇宙)

との無二一体観を確立するのである。すなわち、わが満月輪の八葉の上に映じ出した金剛界五 仏五智の三摩形をしだいに拡大伸長し、ついに宇宙大にまで至るのである。つまり、宇宙法界を わが心月輪の中の三摩耶形に統合入し、われ即宇宙なりの観に入るである。

<飲金剛〉

心月輪と五仏五智の

形が拡大されて宇宙とひとしくなったのを、今度はしだいに飲め

めて、わが心月輪の上に置くのである。これにより、修行者は、宇宙すなわち大千世界をわが心 の中に飲めるのである。

<証金剛身〉

自分の心が宇宙の一切をおさめ、仏の三摩耶形と同一不二であるということは、わが肉身がその まま本尊の三形と同体であるということである。ここで、この観を確立し、完全に把握する。 <仏身円満〉

前の親において本尊の三形が自身であるとの観を成就したとき、それは即ち修行者自身、相 好具足した本尊の身(活動するためにあらわれた仏身そのものにほかならない。ここにおいて、

わが肉身がそのまま大日如来のあらわれであることが証得され、仏身円満、即身成仏が完成するの である。

じめいくつかの菩薩行を行ぜよと説き、『観無量寿経』をひもといて十六観法 その他の浄行に はげむべしといっても、それは全く縁なき衆生というべきだろう。

つまり、平安密教、平安仏教はプロの宗教だったのである。それは、幼少の頃からその道に入っ 基本を学び、練磨してはじめてその技芸知識を身につけることができる高度の職業だったのであ る。それは宗教ではあったが信仰ではなかった。 それを信仰とするためには、極度に平俗化しなけ ればならなかった。しかし、それは、平安末期から鎌倉初頭という時代に生まれた法然、親鸞、日 であるがゆえにゆるされたことであろう。

たとえば、専心念仏によって成仏を説く法然、親鸞の宗が依経とする『観無量寿経』を見てみよ そこでは、阿弥陀仏の浄土に生まれるための十六の観法が詳細に説かれている。 決して唱名念 仏だけで成仏するとは書いてないのである。

1日没を観て西方極楽を想う日想観

水と氷の美しさを観じて極楽の大地を想う水想観

6想観を完成して極楽の大地を思想観

極楽の宝樹を想う樹想観 (宝樹観)

6極楽の池を想う八功徳水想観

6極楽の宝を想う想

阿弥陀仏

の台座を想う華座想観

仏像をみて阿弥陀仏のすがたを想像想観

阿弥陀仏の真のすがたを想うことによって一切諸仏のすがたを見ることができる一切色 身想観(真身観)

阿弥陀仏の脇侍である観音を想う観音観

おなじく勢至を想う勢至観

一切の浄土の仏・菩薩などを想う観想観

回以上~隣の観想のできないものが、大身・小身の阿弥陀仏などを観ずる雑想観

そして最後にそれぞれの能力・素質に応じた修行によって極楽に生まれるさまを想うの上輩観、 隣の中

の下輩観である。

以上の十六観法は、極楽浄土に往生成仏するための修行法を説くものとして、『観無量寿経』の 中でも最も重要なものである。この修行法を法然、親鸞は切り捨てて、唱名念仏一本にしぼったの である。

では、その切り捨てられた十六親法の行とはどのようなものか、ひとつ見てみよう。たとえば、 第八の像想観 第九の真身観はつぎのようなものである。

「……仏 阿難および提希に告げたわく、ここの事を見おわりなば、つぎにまさに仏を想う べし。ゆえはいかに。 諸仏如来はれ法界身なり。一切衆生の心想の中に入り給う。この故に汝ら

心に仏を想うとき、 是の心すなわち是三十二相八十随形好なり。是のこころ仏を作る。 是のここ ろれ仏なり。諸仏正編知海は心想より生ず。 是のゆえにまさに一心にいけて、らかに彼

仏の多陀伽度阿羅

三藐三仏陀を観ずべく、彼の仏を想わむ者は先ず当さに像を想うべし。

を閉じ目を開くにも一つの宝像の浮檀の色のごとくにして、彼の華の上に座し給えるを見よ。 像の座したまえるを見おわりなば、心眼ひらくことを得て、了了分明に極楽国の七宝の荘厳宝地

行列、天の宝その上に弥し、宝の羅、虚空の中に満つるを見る。 かくのごと

き事を見極めて明了なること掌中を観るごとくならしめよ。 この事を見おわりなば、まさに 一つの大蓮華を作して、仏の左辺にくべし。 さきの蓮華のごとく等しくして異なることあること

なし。また一つの大蓮華を作して仏の右辺に在け。一の観世音菩薩の像の左の華座に座るを想え、 また光を放つこと前のごとくにして異なることなし。一の大勢至菩薩の像の右の華座に座せるを 想え、この相成するとき、仏菩薩の像みな光明を放つ。その光り金色にしてもろもろの宝樹を照ら す。 一一の樹下にまた三蓮華あり、もろもろの蓮華の上におのおの一仏二菩薩の像ありて、彼の国 に編満す。 この想成するとき、行者まさに水流光明およびもろもろの宝樹、鴛鴦みな妙法を説 くを聞くべし。 出定入定につねに妙法を聞かむ。 行者の所聞出定のとき持して捨てず、 多羅と 合せしめよ。もし合せざらむをば名づけて妄想とす。 もし合することあらむをば名づけて、想を 極楽世界を見るとす。 これを像想とし、第八の親と名づく。この観を作さむ者は無量劫の生 死の罪を除き、現身の中において念仏三昧を得む」

…..無量寿仏に八万四千の相あり。 一一の相におのおの八万四千の形あり、一一の好にま 八万四千の光明あり、一一の光明あまねく十方世界を照らして2念仏の衆生を摂取して捨てた

わず。 その光明相好および化仏つぶさに説くべからず。ただまさに憶想して心眼をして見せしむべ この事を見る者は、即ち十方一切の諸仏を見たてまつる。 諸仏を見たてまつるを以てのゆえに、 6念仏三昧と名づく。この観を作すをば、一切の仏身を観ずと名づく。 仏身を観るを以てのゆえに また仏心を見る。仏心とはこれ大慈悲なり。無縁のを以てもろもろの衆生を摂しまう。 この観 作者は、身を世に捨てて諸仏の前に生じて無生忍を得む。是故に智者まさに心に繋けて かに無量寿仏を観ずべし。 無量寿仏を観む者は一の相好より入れ。ただ眉間の白を観じて極

めて明了ならしめよ。 眉間の白を見たてまつる者には八万四千の相好自然にまさに現ずべし。無 量寿仏を見たてまつる者は即ち十方無量の諸仏を見たてまつる。無量の諸仏を見ることを得るがゆ 諸仏現前に授記したまう。是れをねく一切の色身を観ずる想とし、第九の観と名づく。こ 観を作をば名づけて正観とし、もし他観せむをば名づけて邪観とす」

これは十六親法中のごく一部にすぎないけれども、これだけの中にいくつかの興味あるものが見 いだされる。

たとえば文中の「正編知海は心想より生ず、このゆえにまさに一心に思いを繋けて、誰かに彼 仏陀伽度 詞三三仏陀を観ずべし」というところである。正論知とは等正覚といってあ まねく一切法を知る仏の智慧をさす。 多陀御度阿羅三三仏陀は、 Tathāgata-arhan-samyak. sambuddha で、如来広供等正覚の意、すなわち仏の絶対の智を示すもので、このところは、真言密 教の観法の、五仏五智(の三摩耶形)をわが心月輪の上におけ、というのと同じ構想の上に立つもの

 

○中途挫折の因縁  ○ Fate of halfway setback

○中途挫折の因縁

 

 

この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あとも一、二分というところで必ずダメになる。決して実らないのである。この因縁を、一名、「虚花の命」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになきぞ悲しき」と
いう古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというところからきているのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。

苦労したあげく、さいごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。
この因縁を持つ人は、わりあい運気(生命力)の強い人が多く、中途で挫折しては、また
立ち上かって仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち上かって、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。
そうして、結局は、挫折したままで終わるのである。大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その因縁が、そのままその人の性格
にあらわれている場合と、性格には全然あらわれない場合とがある。

この中途挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意志薄弱の型と、逆に、非常に気のつよい意志強固の型がある。
意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、ながつづきしない。気うつりがはげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。

文字通りの中途挫折、薄志弱行の型である。

もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。
然るに、かえってその強さが大と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来なかったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまってつまらぬミスをしたり、大の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我などで手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。

先日、わたくしを訪ねて来た大に、そういう人があった。
四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この大に、この因縁があったのである。聞いてみると、今までに八回も勤め先を変えているという。意志強固の努力家型だが、と思って聞いてみると、この大は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に出向させられると、その会社は、きまって、他に合併したり、業績不振で閉鎖させられてしまうのである。本社にもどると、同期の社員で本社に居たままの者はかなり上の方に進んでおり、処
遇に困るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまた、その会社がおかしくなる、というわけで、今までがその繰り返しだったというのだ。

念のためにいうが、それは、この人の経営の腕が悪いために、この人が行った会社がみんなダメになるというのではないのである(手腕という点からいえば、むしろ人並み以上の手腕を持っているのである)。この人が行っても行かなくても、その会社はダメになるのである。

そういう会社に、この人は行かねばならぬような廻り合わせになってしまうのだ。今度の会社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、というのだが、典型的な中途挫折の因縁のあらわれかたであった。

薄志弱行タイプの場合は、すぐにあきたり、気移りしたりして自分から会社を転々とするが、意志強固タイプの場合は、自分ではT心に努力をして会社を変わるつもりはさらさらないのだが、他動的に転々と変わらざるを得ないようになってしまうのである。その人の意志、思考、心構えなどに関係なく、結果は結局おなじことになってしまう。それが、因縁という
ものの、こわいところである。精神一到何事か成さざらんや、と気張ってみたところで、こ
の因縁を持っていては、所詮、ダメなのだ。外的条件が許さないのである。つねに転々として挫折する。

昔から、よく、「人間には誰でも一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運のない者でも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるものではない。人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、もうその人間は一生芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいところは、この因縁は必ずその子に遺伝し、その場合、きまって親よりその子のほうが一段と因縁の度を深めて悪くなってゆくことにあるのだ。

 

○ Fate of halfway setback

No matter what you do, people with this connection will go smoothly up to the 7th and 8th minutes, but it will definitely be useless in the next 1 or 2 minutes. It never bears fruit. One person said that “the life of an imaginary flower” is “seven-fold and eight-fold, the flower is blooming but Yamabuki is one of the fruits, and it is sad.”
Like the Yamabuki flower of the old song, the flower blooms, but it does not bear fruit, and it all comes from the fact that it is a waste flower. It looks gorgeous to the outside, and the truth is empty.

After a lot of hard work, the harvest of the sardines is taken away by people.
Many of the people who have this connection have strong luck (life force), and if they are frustrated in the middle, they will come back again.
People who stand up and work, frustrate on the 7th and 8th minute streets, stand up again and frustrate when they think that they will remain, and so on. There are many.
Then, in the end, it ends up being frustrated. In general, there are two ways in which a fate appears, and the fate is the person’s personality as it is.
There are cases where it appears and cases where it does not appear at all in personality.

Even in the case of the cause of this halfway frustration, this cause appears as it is in the character, and there are a very weak type with a weak will and a very strong type with a strong will.
The weak-willed type gets tired immediately no matter what he does, and does not continue. I’m very depressed. Schoolwork, profession, everything is the same, and it changes.

It is a type of literally halfway frustration and weakness.

The other is the exact opposite, with a good personality, a strong will, and a hard worker.
However, on the contrary, its strength is incompatible with the great one, and it fails and frustrates because it collides with the superior and cannot cooperate well with colleagues. Or, at the most important point here, you can make boring mistakes, get big misunderstandings, or get disturbed. In addition, some kind of obstacle always occurs, such as making a mistake due to illness or injury, and killing the chance.

The other day, there was such a person who visited me.
He was a 47- and 8-year-old office worker and a fine person, but this was the reason for this. When asked, he says he has changed his place of employment eight times so far. I thought that he was a hard-working hard worker, but when I asked him, he worked for a first-class conglomerate company, but when he was seconded to an affiliated subsidiary, the company merged with another company. Or, it will be closed due to poor performance. Returning to the head office, the number of employees of the same period who remained at the head office has advanced considerably, and the process
Since he is in trouble, he is sent to a subsidiary company as a seconded executive. Then again, the company goes crazy, and so far it has been repeated.

As a reminder, it doesn’t mean that all the companies he went to are ruined because of his poor management skills (in terms of skill, he’s more than average). I have a skill). Whether this person goes or not, the company is ruined.

This person would have to go to such a company. The company is getting crazy this time, so I came to consult with him, but it was a typical cause of a halfway setback.

In the case of the weak-willed type, I immediately get tired or distracted and change the company from myself, but in the case of the strong-willed type, I will make an effort to change the company. It’s not exposed, but it has to change passively. The result will be the same regardless of the person’s will, thoughts, and attitude. That is called fate
However, it is scary. When I tried to make sure that something happened to my mind, this
After all, it’s no good to have a connection with. External conditions do not allow it. I’m always frustrated.

From ancient times, it is often said that “everyone has three chances in a lifetime”, but even those without luck have three chances, and even those with luck have more than three chances. There are no times. If the chance of being the best in life is crushed by this cause a couple of times, we must think that the human being will not sprout for the rest of his life. Then, the scary part of this fate is that this fate is always inherited by the child, and in that case, the child becomes deeper and worse than the parent.

密教占星術の秘法 完了

密教占星術の秘法

さて、ここまで読んで来られたあなたは、ここで一つの疑問を持たれたので はなかろうか?

それは、前の章にかかげた九星図と、 ノストラダムスの予言とのかかわりで ある。

つまり、今年からはじまる大破壊を示すという九星図が、どうして、 ノスト ラダムスの大破壊(恐怖の大王) とむすびつくのか、どこに接点があるのかと いう疑問である。

というのは、この九星図は、九年ごとにおなじ配置となってあらわれるはず

である。だから、今から九年前、一九八六年 (昭和六十一年)にも、五黄中宮 で、今年とおなじ配置であった。しかるにこの年、多少の波乱はあったけれど も、破壊というほどのことはなかった。しかるに、今回の九星配置に限り、ノ ストラダムスの予言に通ずる大破壊を起こすことになるというのは、どういう ことか? どこにその根拠があるのか、という疑問である。

まことに頭のよい質問である。

お答えしよう。

わたくしは、あの九星術の占盤だけでノストラダムスの予言とむすびつけた

のではないのである。もっと根拠のある予知法をわたくしは持っており、それ を使ったのである。

じつをいうと、わたくしは、その予知法を明かしたくなかったのである。

 

さきに行って公開するかも知れないが、いまのところ公開するつもりはなか

った。一子相伝という言葉どおり、わが子、わが弟子の限られたもののみに伝 えようと思っていた。

それだけの価値のある秘法であった。

しかし、どう考えても、九星術だけで、 ノストラダムスの恐怖の大王を説明 するのは、十分でないと思わざるを得なかった。

どうしても、この予知法を表に出さなければなるまいと考えたのである。 そこで、これまで、かたく秘していたこの法についてのべることにする。 ただし、本書は、この占星術の解説をすることが目的ではないので、ざっ と、こういう法であるという説明にとどめておきたい。

二十八宿曆法

 

月の一日の行程を測り、朔望(一ヶ月)をへて一周する天空を、二十八に区 分したものを、「二十八宿」という。

この二十八宿をもって一年十二ヶ月の各日に配するのを、二十八宿暦法とい うのである。この二十八宿をもって、吉凶を占う方法が、 宿曜経、超際仙人 九曜秘暦経などに説かれている。

二十八宿というのは、

昴(ぼう)

(ひつ)

(し)

参 (しん)

井(せい)

鬼(き)

柳(りゅう)

星 (せい)

張(ちょう)

翼 (よく)

軫(じん)

角(かく)

(こう)

(てい)

(ぼう)

心(しん)

尾 (び)

箕(き)

斗(と)

牛(ぎゅう)

女(じょ)

虚(きょ)

(き)

室(しつ)

壁(へき)

(けい)

婁(ろう)

(い)

 

である。

三九秘要法

この二十八宿を使っての占断で、古来、専門学者の間で有名な法に、「三九「秘要法」がある。

る。

これは、牛宿を除いた二十七宿を三つに分けて、第一の九宿・第二の九宿・第三の九宿とする。

命宿

業宿

胎宿

とする。

そしてそれぞれの宿を、命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

 

業宿とは、前世の造業を表徴する宿であり、

 

胎宿とは、前世の造業によって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

ある。

栄・・安・・成壞友・親 八宿を配置するのである。

わたくしは、これを、まぎらわしいので、「八道」とよぶことにしている。

そこで、この、三宿に配置する八道とは何であるかというと、本人に力をあ たえて栄えさせるものと、衰萎させて弱体化させるものと、支えとなって安定 させるものと、逆に運気を傾け危地におとしいれるものと、有利な資材を授け 希望を成就しめるものと、不利にして破壊せしめるものと、運気助け合っ 愛親密ならしめるもの、等、相生・相剋の利害関係をあらわしたもので

そこで、三宿の定めかたをいうと、これに、極秘伝となっているものと、ふ つうの基本的方式となっているものとあり、ここでは、ふつうの基本的方式のものをのべよう。極秘伝の方式は、ふつうの方式のものを体得して、その運用法に習熟した上でなければ、理解し難いものだからである。

まず、二十七宿は、さきに記したとおり、

昴、畢、觜、

、 柳、星、 隅

角、亢、 氏、 房、心、

斗、女、虚、危、室、壁、奎、婁、胃

である。

そこで、かりに、もし、第十五番目の房宿が本命宿であるとすると、心 尾・箕・斗・女・虚・・室が、この命宿にたいして、前にのべた相生・相剋 の利害関係を持つ八宿であり、第二十四番目の壁宿は業宿で、奎・婁・胃 昴・畢・・参・井は、これにつながる八宿である。 同様に、第六番目の鬼宿 は胎宿で、柳・星・張・翼・軫・角・亢氏は、また同様、これにつらなるハ宿である。

これをもって、人事百般を占断し、どの宿をえらんでどのように行動したらよいかを判断するのであるが、すぐれた術者が、その運用よろしきを得れば、 百発百中、神秘的としか思えない効果を得るのである。

そういうと、 では、九星術とどちらがすぐれているのかという質問が出るか

どちらがすぐれているのかといわれても、どちらもそれぞれ長所・短所があ るのであるから、いちがいにはいえないが、すくなくとも、三九秘要法のほう には、九星術に見られない大きな特長があるのである。

それは、二点ある。 まず第一に、九星術が、主に、個人的な動きを把握する のにたいし、三九秘要法は、 個人的な動きにとどまらず、 社会事象を広くとり 入れて判断に利している点である。個人の運命的な動きと、社会の動きとを、関連させて判断できることである。これは、他のどの運命学、占術にもないす ぐれた点であると思われる。

もう一つは、密教という仏教の一派が基点となっているだけに、カルマとい う人間の根源的なものを視座に据えて展開している点である。

 

そこに、前世からの業報を明らかにして生きようとする思想がある。こと に、極秘伝になっている三宿の定めかた(これは古伝を補足して、わたくしが 創案したものである)を用いると、 前世・現世・来世にわたってのカルマの展 望が可能になる。

こういう思想と方法を持った運命学・占術は他にほとんどない。

ただ、惜しむらくは、術者、研究者のほとんどが、そのことに全く気がつい ていないのである。 たんなる人事の占断としてしか使われていない。まことに 惜しむべきことである。この法は、神秘的な力を秘めていて、運用のしかたに

よっては、奇蹟としかいいようのない予知力をあらわすのである。 その一端をのべてみよう。

三九秘宿九星法

ここでは、二つの極秘伝を紹介しよう

いずれも、わたくしの創案したもので、その一つを「三九秘宿九星法」という。 この占術は、ひと口でいうと、三元九星術と二十八宿暦法(以下、二十八宿 法という)を併合したものである。つまり、九星術の長所と、二十八宿の長所 をひとつにしたものである。

三元九星術は、人事百般の占断に用いて、適中率が非常に高い。

二十八宿法は、前にのべた通り、人事問題のほかに、ひろく社会事象につい ての予知力を持つ。

例えば、人の性格、運命、 また、職業、建築、縁談、疾病等の吉凶可否のほ か、国家間の外交問題、国内の政治問題、人心の動向 天象として、大雨、干

 

害、台風、蝕、等。 地象としては、地震、山崩れ、等。

たんぱい

多岐にわたって、まことに、端倪すべからざるものがある。

この月、地震あれば

国内大乱たとえば、本年一月は「觜宿星」在泊の月である。とある。

であった。

 

国内大乱

「この月地震あれば、国内大いに乱れ、人心不安」

阪神大震災は一月十七日。月は変わったが地下鉄サリン事件で、社会は混 乱し、人心の不安、その極に達している。

「国内大いに乱れ、人心、安んぜず」

まことにその通り、あの事件は、昔だったら、国家転覆 反逆罪である。 これを、ただたんに、「觜宿泊すれば国内大乱、人心不安」とだけではな 関連の星宿を一定の法則にしたがってならべてゆくと、さらに詳細かつ広 範囲の事象が展開されてゆく。

そこでわたくしが考えたのは、人事百般に精密な占断をくだす三元九星術 と、社会事象にひろく予知の網を張る二十八宿法を併合させ、その両面にわた って告知するあたらしい最高度の運命学ができないものだろうか、ということ

ただ、問題は、それが、木に竹を継いだようなものであったら、なんにもな らないということである。

それが融合して、十分に複合の効果をあらわすものでなくてはならない。一 足す一が二ではなく、四にも六にもアップするものでなくてはならない。もし もバランスを失って、ばらばらなものになるようなものであったら、おはなし にもならない。

どうすればそれが可能になるか?

いったいその可能性があるのかないのか?

十数年以上の年月を、わたくしはそれにそそいだ。そしてついに、それを可 能にする法則を発見した。 一〇〇%とまではいえないまでも、九五%までは到 達したものと自負している。 そしてその数字は、この占術の中率をあらわす

星の動線の秘密

その法則とは、星の動線であった。つまり、星宿の移動の線である。そして それは、同時に、星宿の配置につながる秘法でもあった。

いかなる占星術にもそれはいえるもので、星をどう配置し、どう動かすかと いうことが、占星術の生命であり、神秘なのである。

だから、それが高度のものになればなるほど、占星術家の秘伝となってゆ

星の配置・動線というのは、たとえば、九星術の場合、(基本的には) 図の

ように動き、配置されてゆく。

左の図が、三元九星術における動線である。

九星術の知識のない人にはチンプンカンプンで、まるっきり意味のないもの

つうぎよう

に見えるであろうが、この法術に通暁している者には、この図の中に、 宇宙

 

 

 

 

 

の森羅万象を読みとるのである。

ここで一応、この三元九星術について、それがどのようなものか、ざっとの べておくことにしたい。というのは、さきにわたくしがのべた、わたくしのあ たらしく創案した占術の基盤の一つが、この三元九星術なのである。 そこで、 この三元九星術についての知識のない人には、わたくしの苦心して創案した 術の価値を知っていただくことは愚か、なんの興味もお持ちにならぬであろう と思うからである。(ということは、三元九星術の知識のあるかた、さらに欲 をいえば、その上に、二十八宿法の知識のあるかたならば、このあたらしい 断法が、どんなに価値のあるものか、ご理解いただけるであろうと、わたくし は思っている)

つぎの文章は、わたくしの著書の中からの抜粋である。

運命学の二つの領域

 

運命学には、大きく分けて、二つの領域がある。

一つは、ある方法によって、その人間の存在の構造と本質を明らかにし ようとするもので、その目的は、「運」という名でよばれるその人間の持 人生の形成力と動向を把握しようとするものである。

 

人間が生きるということは、つまるところ、生活の形成ということであ

その人間が生涯にわたって、どのような「場」においてどのような「生活の形成」をなしていくかということを、あらかじめ予測しようとす るのである。

具体的にいうならば、

知能の程度およびその方向性

<「場」の形成力(つまり、環境を動かし、環境をつくり出す力。創造

力、創造性)

<「場」への適応力(つまり、環境に順応し、適応していく適応性と適 応力)

<「運気」とよばれる生活形成の能力と量(つまり、わかりやすくいえ 運”の大小強弱で、その人の可能性)

<「運期」とよばれる生活形成力の消長起伏と変動(盛運期、順運期、 平運期、衰運期、凶運期、 死期、 の六つの種別がある)

など、以上の素因を解明・演繹して、その人間がこれからどのような環 境のなかで、どのような人生の軌道を歩むことになるかを、あらかじめ予知する方法である。

たとえば

これにたいして、もう一つの領域は、人間と、人間にかかわりのある一 切の事物の、あらゆるできごとや変化を、前もって予知する方法である。 それは、人間の構造や本質の追求よりも、一つの事象の動きをとらえるこ とに主眼を置く。

この取り引きは失敗か成功か。 成功するとすれば、いつ、どのような かたちで成就するのか。 また、もしも失敗するとしたら、その原因は なにか?

この立候補者は当選するか、落選か。

この試験に合格するか、落第するか。

ものになったと、わたくしは自負している。 では、それはどんな法か?

以下にのべることにする。

「カルマ」と「因縁」と

「運命」の表示盤

これから、三九秘宿九星法の極秘伝公開である。

まず、前世からのカルマと因縁、そして、現世における運命の表示盤をつく る。これが、一人の人間のすべてを占断する基本になる。

前世からのカルマと、そこから生ずる因縁、そして現世における運命をこと ごとく知ったら、その人間のすべてを把握することになる。

この表示盤は、それを可能にするのである。こういう占術、運命学は、いま だかつてなかった。

その作製法をのべよう。

さきにのべた

命宿

業宿

胎 宿

の三宿に、「九道」を配置するのである。

九道とは、さきにのべた二十八宿法の「八道」 (八宿)に、「滅」の一道を加

えたものである。

わかりやすくもう一度くり返すと、

命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

業宿とは、前世のカルマをあらわす宿であり、

船宿とは、前世のカルマによって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

図を示そう

九道とは、盛衰・安・・成・壊滅・友・親である。

二十七宿は、昴・畢・觜・参・井・鬼・柳・星・張・翼・軫・角・亢・氏・

房・心・尾・箕・斗・女・虚・危・室・壁・・婁・胃である。

 

ものになったと、わたくしは自負している。 では、それはどんな法か?

以下にのべることにする。

「カルマ」と「因縁」と 「運命」を読む

以上の、命宿九星盤・業宿九星盤・胎宿九星盤で、その人の前世からのカル マと因縁、そして現世における運命を読みとってゆくのである。

この三つの盤には、それがはっきりとあらわれているのである。

もちろん、それには熟達した運命学の知識を必要とする。

運命学の知識だけではない。社会一般にわたるひろい常識、高い教養、経 そしてその上に鋭いカンのはたらきが必要である。いうならば、インスピ レーション、である。

ざっと説明すると、まず、九星術の「盤」のそれぞれの「宮」と「星」は、

深い意味をしている。

その一例を示せば、つぎの通りである。

一白水星 定位北方 坎宮

総合象意

水の性を代表する。

ゆえに水に縁のあるものはすべて一白である。

かたちあるものは雨、雪、氷、霜、雲、霧、海、川、 井戸、水道、 泉水、

池、湖沼り水など、かたちなきものは、寒気、冷気、水気等、すべて一 白水星の範疇に入る。

物品でいえば、酒、ビール、ウイスキー、コーヒー、紅茶、インキ、 油、 な どすべての液体。

行動でいえば、洗濯をする、 入浴する、洗面をする等。 人事にとれば、色 情、恋愛、病気、貧窮などをあらわす。

また、一白は、易の「」であり、次は「」であり、「噛み」であり、 「穴」である。ゆえに、くぼんだもの、穴、隠れたもの、潜んだものをすべて 一白とする。 九宮にとれば、北方の坎宮である。 坎宮に入ると、北の気を受け 運勢も冬枯れの態を呈し、樹木のすべて落葉するごとく、人もまた、落 魄、窮乏、沈淪のすがたをあらわす。 艱難苦労の極であり、ゆえに坎を悩みと 苦労とする。しかし、この困難の極を経て、やがて一陽来復の春を迎えるの である。

大体、水というものがそういう性質を持っている。山間に降った雨の一滴

が、草や木の間をくぐり、あるいは岩にあたりして、々辛、流に流れ こみ、やがて他の川と合して、末ついに大海となるのである。ゆえに、大いに 苦労し艱難困苦を経て大をなす意を持っている。 ゆえに、艱難困苦の星とする のである。

また、流水が他の流れと交わって河となるところから“交わる”という意 が生じ、外交とか、性交などの意も出て来、さらに拡大して、帯、ひも、 糸などを結んだり縫ったりする作用も一白の象意として考えられるのであ

水、穴、凹み、低い所、流動するもの、浸透するもの、溶解するもの、暗 黒、秘密、煩悶、気迷い、憂愁、狡猾、疑惑、失恋、私通、色情、多情、行方

〔人体〕

いんとく

不明、睡眠、飲む、曖昧、不景気、奸智、隠匿、敗北、沈没、塗装、 情交 入 浴、水泳、魚釣、下層社会、下品、下級品、粗悪な品、冷淡、放浪、零落、執

濡れる、遊蕩、等。

中年の男、外交員、智者、悪人、盗人、盲人、婦、淫婦 遊女

中、病人、色情狂死者、服喪者、養子、妊婦、潜行者、亡命者、脱走者、脱 獄者、スパイ、堕胎児、すり、等。

せきずい

腎臓、陰部、子宮、膀胱、脊髄、尿道、肛門、鼻孔、耳、血液、汗、涙、傷

痕、眼球、瞳、精液、等。

〔病気〕

痔疾、等。

[業種と職業〕

〔品物〕

[場所]

腎臓病、性病、酒毒症、耳の病、婦人病、水腫、吹出物、生理異常、冷症、

水産業、醸造業、船舶菜、塗料業、飲料水業、待合、酒屋、クリーニング 業 染物屋、銭湯、魚屋、バー、キャバレー、牛乳屋、僧侶、 尼僧、芸者、売 春婦 水夫、潜水夫、ウェイトレス、等。

船舶 液体すべて、万年筆、釣道具、酒器、帯、紐、袴、 手拭、褌、シワの ある織物、人形、指輪、水晶、毒薬、

海岸、大川、海水浴場 宴会場、 温泉場、水族館、水道局、水源地、待合、 売春宿、地下室、医院、葬儀場、告別式場、通夜の場所、寝室、穴蔵、洞穴、 流し場、洗面所、便所、床下、池、井戸、滝、窪地、漁場、消防署、留置場。

〔食物〕

酒、ビール、洋酒類、飲料水、サイダー、ジュース、ソーダ水牛乳、醤 油、吸物汁、塩、塩漬物、塩辛類、魚肉、豆腐、生魚、蓮根、人参、飴類、海

苔、昆布、等。

〔動物〕

[植物]

[天象〕

豚、馬、狐、もぐら、水鳥、蝙蝠、生魚類、螢、おたまじゃくし、虫類の 卵、主として下級動物、水に関係ある動物一切。

水仙、福寿草、蘭、藻類、 水蓮、 寒椿、寒紅梅、柊、檜、へちま、瓢箪、水 に関係ある植物一切。

冬、月、雨、雨雲、寒気、冷気、雪、霜、霧、雲、水蒸気、満潮 干潮、暗

夜、水害、北風、等、

[雑象〕

〔数〕

色彩〕

〔味]

濡れる、流れる、思う、憂える、愁い、刑、隠れる、藤のこと、法律、毒、 疾、悩む、情愛、交際、災害、敗れる、喪、哀れ、泣く、秘密 情交。 〔時間〕

子の刻、午後十一時から午前一時まで。

と六。 それに関連して、 十一、十六、 二十一、二十六、三十一、四十一、

 

 

 

 

ふつうの人が一、という数字を見れば、それはどこまでも一であるが、九 星の専門家が一という数字を見れば、一瞬のうちに以上のことが頭に浮かぶの である。そして、たちまちのうちに、脳が活動をはじめるのである。

たとえば、ある人物が液体を飲んでいるとして、それは一であらわされる が、それが水なのか、ビールなのか、日本酒なのか、コニャックなのか、ワイ ンか、焼酎かを推測しなければならない場合がある。 そのどれであるかによっ その人物の生活レベルなり、慣習、性格、その他もろもろのものが浮かん でくる。

それを決定するのは、他の宮や星とのからみ合いと、占断者のインスピレー

ションである。だから、古の名人になるのには、少しオーバーにいうと、 ャーロック・ホームズなみの教養 感覚 推理力と、インスピレーションが必 要なのである。

おなじことが、二十八宿についてもいえるのである。

古伝による簡単な例をあげよう。

○黒、翼、斗、壁の各宿を「安重宿」とする。これらの宿にあたる日には、 建築、種まき、収納、入学、 供養、交友、結婚などすべて吉。ただし、旅

いしゆく

行、勝負事は凶。 これらの宿に生まれる人は、安重威粛、福徳すぐれ、名 声を得る因縁にある。

○觜、角、房、奎の四宿を「和善宿」とする。 これらの宿にあたる日は、入

学 結婚、就職等すべて吉。

これらの宿に生まれる人は、温度、かつ聡明の因縁にある。

○参、柳、心、尾を「毒害宿」とする。これらの宿にあたる日は、すべて降

伏のことをなすに吉。 他はみな凶でる

これらの宿に生まれる人は、その性質、惨毒剛猛、悪性の因縁にある。

入学、売買、旅行等吉。

婁を「急速宿」とする。 これらの宿にあたる日には、仏事、

これらの宿に生まれる人は、剛猛捷で、筋力に富む因縁にある。

〇星、張、箕室を「猛悪宿」とする。これらの宿にあたる日は、降伏、

猟、神事等、みな吉。

これらの宿に生まれる人は、にある。 出来ればと なる。

〇井、亢、女、虚を「軽柔宿」とする。 これらの宿にあたる日は、旅 外国に使いし、種まき事などすべて吉。

じつちよくへいおん

これらの宿に生まれる人は、実直平穏の因縁にある。

○昴、氏を「剛柔宿」とする。これらの宿にあたる日は、入宅、葬送、売

買契約等、みな吉。

これらの宿に生まれる人は、寛柔にして猛君子人の因縁にある。

○牛宿、はなはだ吉祥の星で、この宿に生まれる人は、福徳あって、ものご

と、求めざるに成就する。

右は、ごくおおざっぱなもので、本格的に見るならば、二十八宿の一つ一つ に就き、さきの九星象意にまさるとも劣らぬ深い象意があるのである。(これ らについてくわしく解説すると、大部の一冊の書物ができる。大極秘伝であ る)

これらを、九星術の盤に配置して、その宮と星を照合しつつ見てゆくとき、 まことに、人智を越えた神秘的な、人間の運命、宿命の動きが、彷彿として浮 かんでくるのである。

以上は、個人の占断である。

つぎに、社会事象 ひろく天災地変をもふくむ、おどろくべき法をご紹

天災地変を予言する

神秘の占術

天象三九秘宿法これこそ天災地変をふくむ広範囲の社会事象を予言す

二十八宿法の特長を最大限に生かした占術であった。

二十八宿法には、 占術として大きな欠陥があった。 もちろん、天文学として の二十八宿暦には欠陥などない。 しかし、占術として見るとき、欠陥というよ りほかないものがある。

歳星(年の星)がないのである。

二十八宿は、月と日にはあるが、年にはない。これでは、どうしても、広い

範囲の社会事象の予知はし難い。 結局は、個人の吉凶可否の占断にとどまっ

もっとも、密教の二十八宿暦法には、「当年星」(年の星)がある。

「星供法」(当年星に供養して転禍成福を祈る密教の秘法。俗に、星まつり、 という)に、当年星を定めて、供養をする。 これは、当年所属星という意味 で、その一年間、その人の運命を支配する星をいう。 人の年齢により、九曜の 一つに属当する。だから、これは、人によりみな違うので、わたくしのいう 「歳星」とは違うのである。

わたくしのいう「歳星」とは、たとえば、九星術でいう「中宮」にあたる星 である。 九星術では、今年、五黄土星が中宮に入るので、五黄土星の歳、とい うことになる。この「星」にあたる星が、二十八宿にはない。

なお、この二十八宿の当年星と、九星術との間に、ひとつの関連があるの

 

 

 

で、それを前頁に示すことにする。

しかし、これでは、個人個人の当年の星は決まるが、社会全体の、いうな らば、世界全体にわたる) 当年星 (歳星)とはならない。

わたくしは、二十八宿法が持っている社会事象の予言には、どうしても、社 会全体の当年星を把握しなければならぬと考えたのである。

十数年にわたる苦闘がはじまった。

かぞえきれないほどの試行錯誤があった。

過去三〇〇年にさかのぼって、 主な出来事が符合しているかどうかを検証す

十のうち、七まで符合していても、三ちがっていたら、それは採用できな い。 十のうち、八以上、符合していたら注目する価値があろう。

気の遠くなるような作業であった。

そして得たものが「天津三九宿法」であった。

くわしいことは、ここでは書けない。 近く書く予定の「天象三九秘宿法解 説」にゆずるとして、ここでは、結論をのべておこう。

九星術は、星も深い意味を持つが、場所(宮)にさらに深い意味があ

「天象三九秘宿法」では、場所は関係なく、星じたいに深い意味があ

2、二十八宿星を九つのグループに分類した。 つまり、「九道」のグルー プである。「九道」とは、さきにのべた成・盛・安・・・・・ 友・親である。八道”とは異なる)

この九つのグループのそれぞれに、一つの「主星」を選定した。

「この「主星」が「歳星」になるのである。

「歳星」は、特殊な動線によって毎年移動してゆく。

3、最も重要なものは、この「動線」「星の移動の仕方」である。これが、 ここの法の大極秘伝になっている。

以上は、すべて一つの原理・原則にのっとって制定されているが、それは、宿 曜経、摩登伽経、舎頭諫経、宝星経、孔雀経、大集日蔵分星宿品等を参考に

した上で、現実の星座の星の動きをも勘案してできあがった。

いずれ、一冊の書物にまとめて発表するつもりでいる。

 

 

 

密教占星術の秘法 5

範囲の社会事象の予知はし難い。 結局は、個人の吉凶可否の占断にとどまって

とうねんじょう

もっとも、密教の二十八宿暦法には、「当年星」(年の星)がある。

「星供法」(当年星に供養して転禍成福を祈る密教の秘法。俗に、星まつり、 という)に、当年星を定めて、供養をする。 これは、当年所属星という意味 で、その一年間、その人の運命を支配する星をいう。 人の年齢により、九曜の 一つに属当する。だから、これは、人によりみな違うので、わたくしのいう 「歳星」とは違うのである。

わたくしのいう「歳星」とは、たとえば、九星術でいう「中宮」にあたる星 である。 九星術では、今年、五黄土星が中宮に入るので、五黄土星の歳、とい うことになる。この「星」にあたる星が、二十八宿にはない。

なお、この二十八宿の当年星と、九星術との間に、ひとつの関連があるの

 

 

 

で、それを前頁に示すことにする。

るのである。

る。

る。

しかし、これでは、個人個人の当年の星は決まるが、社会全体の、いうな らば、世界全体にわたる) 当年星 (歳星)とはならない。

わたくしは、二十八宿法が持っている社会事象の予言には、どうしても、社 会全体の当年星を把握しなければならぬと考えたのである。

十数年にわたる苦闘がはじまった。

かぞえきれないほどの試行錯誤があった。

過去三〇〇年にさかのぼって、 主な出来事が符合しているかどうかを検証す

十のうち、七まで符合していても、三ちがっていたら、それは採用できな い。 十のうち、八以上、符合していたら注目する価値があろう。

気の遠くなるような作業であった。

そして得たものが「天津三九宿法」であった。

くわしいことは、ここでは書けない。 近く書く予定の「天象三九秘宿法解 説」にゆずるとして、ここでは、結論をのべておこう。

九星術は、星も深い意味を持つが、場所(宮)にさらに深い意味があ

「天象三九秘宿法」では、場所は関係なく、星じたいに深い意味があ

2、二十八宿星を九つのグループに分類した。 つまり、「九道」のグルー プである。「九道」とは、さきにのべた成・盛・安・・・・・ 友・親である。八道”とは異なる)

この九つのグループのそれぞれに、一つの「主星」を選定した。

「この「主星」が「歳星」になるのである。

「歳星」は、特殊な動線によって毎年移動してゆく。

3、最も重要なものは、この「動線」「星の移動の仕方」である。これが、 ここの法の大極秘伝になっている。

以上は、すべて一つの原理・原則にのっとって制定されているが、それは、宿 曜経、摩登伽経、舎頭諫経、宝星経、孔雀経、大集日蔵分星宿品等を参考に

した上で、現実の星座の星の動きをも勘案してできあがった。

いずれ、一冊の書物にまとめて発表するつもりでいる。

密教占星術の秘法 4

「カルマ」と「因縁」と 「運命」を読む

以上の、命宿九星盤・業宿九星盤・胎宿九星盤で、その人の前世からのカル マと因縁、そして現世における運命を読みとってゆくのである。

この三つの盤には、それがはっきりとあらわれているのである。

もちろん、それには熟達した運命学の知識を必要とする。

運命学の知識だけではない。社会一般にわたるひろい常識、高い教養、経 そしてその上に鋭いカンのはたらきが必要である。いうならば、インスピ レーション、である。

ざっと説明すると、まず、九星術の「盤」のそれぞれの「宮」と「星」は、

深い意味をしている。

その一例を示せば、つぎの通りである。

一白水星 定位北方 坎宮

総合象意

水の性を代表する。

ゆえに水に縁のあるものはすべて一白である。

かたちあるものは雨、雪、氷、霜、雲、霧、海、川、 井戸、水道、 泉水、

池、湖沼り水など、かたちなきものは、寒気、冷気、水気等、すべて一 白水星の範疇に入る。

物品でいえば、酒、ビール、ウイスキー、コーヒー、紅茶、インキ、 油、 な どすべての液体。

行動でいえば、洗濯をする、 入浴する、洗面をする等。 人事にとれば、色 情、恋愛、病気、貧窮などをあらわす。

また、一白は、易の「」であり、次は「」であり、「噛み」であり、 「穴」である。ゆえに、くぼんだもの、穴、隠れたもの、潜んだものをすべて 一白とする。 九宮にとれば、北方の坎宮である。 坎宮に入ると、北の気を受け 運勢も冬枯れの態を呈し、樹木のすべて落葉するごとく、人もまた、落 魄、窮乏、沈淪のすがたをあらわす。 艱難苦労の極であり、ゆえに坎を悩みと 苦労とする。しかし、この困難の極を経て、やがて一陽来復の春を迎えるの である。

大体、水というものがそういう性質を持っている。山間に降った雨の一滴

が、草や木の間をくぐり、あるいは岩にあたりして、々辛、流に流れ こみ、やがて他の川と合して、末ついに大海となるのである。ゆえに、大いに 苦労し艱難困苦を経て大をなす意を持っている。 ゆえに、艱難困苦の星とする のである。

また、流水が他の流れと交わって河となるところから“交わる”という意 が生じ、外交とか、性交などの意も出て来、さらに拡大して、帯、ひも、 糸などを結んだり縫ったりする作用も一白の象意として考えられるのであ

水、穴、凹み、低い所、流動するもの、浸透するもの、溶解するもの、暗 黒、秘密、煩悶、気迷い、憂愁、狡猾、疑惑、失恋、私通、色情、多情、行方

〔人体〕

いんとく

不明、睡眠、飲む、曖昧、不景気、奸智、隠匿、敗北、沈没、塗装、 情交 入 浴、水泳、魚釣、下層社会、下品、下級品、粗悪な品、冷淡、放浪、零落、執

濡れる、遊蕩、等。

中年の男、外交員、智者、悪人、盗人、盲人、婦、淫婦 遊女

中、病人、色情狂死者、服喪者、養子、妊婦、潜行者、亡命者、脱走者、脱 獄者、スパイ、堕胎児、すり、等。

せきずい

腎臓、陰部、子宮、膀胱、脊髄、尿道、肛門、鼻孔、耳、血液、汗、涙、傷

痕、眼球、瞳、精液、等。

〔病気〕

痔疾、等。

[業種と職業〕

〔品物〕

[場所]

腎臓病、性病、酒毒症、耳の病、婦人病、水腫、吹出物、生理異常、冷症、

水産業、醸造業、船舶菜、塗料業、飲料水業、待合、酒屋、クリーニング 業 染物屋、銭湯、魚屋、バー、キャバレー、牛乳屋、僧侶、 尼僧、芸者、売 春婦 水夫、潜水夫、ウェイトレス、等。

船舶 液体すべて、万年筆、釣道具、酒器、帯、紐、袴、 手拭、褌、シワの ある織物、人形、指輪、水晶、毒薬、

海岸、大川、海水浴場 宴会場、 温泉場、水族館、水道局、水源地、待合、 売春宿、地下室、医院、葬儀場、告別式場、通夜の場所、寝室、穴蔵、洞穴、 流し場、洗面所、便所、床下、池、井戸、滝、窪地、漁場、消防署、留置場。

〔食物〕

酒、ビール、洋酒類、飲料水、サイダー、ジュース、ソーダ水牛乳、醤 油、吸物汁、塩、塩漬物、塩辛類、魚肉、豆腐、生魚、蓮根、人参、飴類、海

苔、昆布、等。

〔動物〕

[植物]

[天象〕

豚、馬、狐、もぐら、水鳥、蝙蝠、生魚類、螢、おたまじゃくし、虫類の 卵、主として下級動物、水に関係ある動物一切。

水仙、福寿草、蘭、藻類、 水蓮、 寒椿、寒紅梅、柊、檜、へちま、瓢箪、水 に関係ある植物一切。

冬、月、雨、雨雲、寒気、冷気、雪、霜、霧、雲、水蒸気、満潮 干潮、暗

夜、水害、北風、等、

[雑象〕

〔数〕

色彩〕

〔味]

濡れる、流れる、思う、憂える、愁い、刑、隠れる、藤のこと、法律、毒、 疾、悩む、情愛、交際、災害、敗れる、喪、哀れ、泣く、秘密 情交。 〔時間〕

子の刻、午後十一時から午前一時まで。

と六。 それに関連して、 十一、十六、 二十一、二十六、三十一、四十一、

 

 

 

 

ふつうの人が一、という数字を見れば、それはどこまでも一であるが、九 星の専門家が一という数字を見れば、一瞬のうちに以上のことが頭に浮かぶの である。そして、たちまちのうちに、脳が活動をはじめるのである。

たとえば、ある人物が液体を飲んでいるとして、それは一であらわされる が、それが水なのか、ビールなのか、日本酒なのか、コニャックなのか、ワイ ンか、焼酎かを推測しなければならない場合がある。 そのどれであるかによっ その人物の生活レベルなり、慣習、性格、その他もろもろのものが浮かん でくる。

それを決定するのは、他の宮や星とのからみ合いと、占断者のインスピレー

ションである。だから、古の名人になるのには、少しオーバーにいうと、 ャーロック・ホームズなみの教養 感覚 推理力と、インスピレーションが必 要なのである。

おなじことが、二十八宿についてもいえるのである。

古伝による簡単な例をあげよう。

○黒、翼、斗、壁の各宿を「安重宿」とする。これらの宿にあたる日には、 建築、種まき、収納、入学、 供養、交友、結婚などすべて吉。ただし、旅

いしゆく

行、勝負事は凶。 これらの宿に生まれる人は、安重威粛、福徳すぐれ、名 声を得る因縁にある。

○觜、角、房、奎の四宿を「和善宿」とする。 これらの宿にあたる日は、入

学 結婚、就職等すべて吉。

これらの宿に生まれる人は、温度、かつ聡明の因縁にある。

一九九九年七月が来る

○参、柳、心、尾を「毒害宿」とする。これらの宿にあたる日は、すべて降

伏のことをなすに吉。 他はみな凶である。

ざんどくごうもう

これらの宿に生まれる人は、その性質、惨毒剛猛、悪性の因縁にある。

入学、売買、旅行等吉。

婁を「急速宿」とする。 これらの宿にあたる日には、仏事、

これらの宿に生まれる人は、剛猛捷で、筋力に富む因縁にある。

〇星、張、箕室を「猛悪宿」とする。これらの宿にあたる日は、降伏、

猟、神事等、みな吉。

これらの宿に生まれる人は、にある。 出来ればと なる。

〇井、亢、女、虚を「軽柔宿」とする。 これらの宿にあたる日は、旅 外国に使いし、種まき事などすべて吉。

じつちよくへいおん

これらの宿に生まれる人は、実直平穏の因縁にある。

○昴、氏を「剛柔宿」とする。これらの宿にあたる日は、入宅、葬送、売

買契約等、みな吉。

これらの宿に生まれる人は、寛柔にして猛君子人の因縁にある。

○牛宿、はなはだ吉祥の星で、この宿に生まれる人は、福徳あって、ものご

と、求めざるに成就する。

 

介しよう。

てんしょう

なにか?

さいしよう

一九九九年七月が来る

右は、ごくおおざっぱなもので、本格的に見るならば、二十八宿の一つ一つ に就き、さきの九星象意にまさるとも劣らぬ深い象意があるのである。(これ らについてくわしく解説すると、大部の一冊の書物ができる。大極秘伝であ る)

ほうふつ

これらを、九星術の盤に配置して、その宮と星を照合しつつ見てゆくとき、 まことに、人智を越えた神秘的な、人間の運命、宿命の動きが、彷彿として浮 かんでくるのである。

以上は、個人の占断である。

つぎに、社会事象 ひろく天災地変をもふくむ、おどろくべき法をご紹

天災地変を予言する

神秘の占術

天象三九秘宿法これこそ天災地変をふくむ広範囲の社会事象を予言す

二十八宿法の特長を最大限に生かした占術であった。

二十八宿法には、 占術として大きな欠陥があった。 もちろん、天文学として の二十八宿暦には欠陥などない。 しかし、占術として見るとき、欠陥というよ りほかないものがある。

歳星(年の星)がないのである。

二十八宿は、月と日にはあるが、年にはない。これでは、どうしても、広い

密教占星術の秘法 3

ものになったと、わたくしは自負している。 では、それはどんな法か?

以下にのべることにする。

「カルマ」と「因縁」と

「運命」の表示盤

これから、三九秘宿九星法の極秘伝公開である。

まず、前世からのカルマと因縁、そして、現世における運命の表示盤をつく る。これが、一人の人間のすべてを占断する基本になる。

前世からのカルマと、そこから生ずる因縁、そして現世における運命をこと ごとく知ったら、その人間のすべてを把握することになる。

この表示盤は、それを可能にするのである。こういう占術、運命学は、いま だかつてなかった。

その作製法をのべよう。

さきにのべた

命宿

業宿

胎 宿

の三宿に、「九道」を配置するのである。

九道とは、さきにのべた二十八宿法の「八道」 (八宿)に、「滅」の一道を加

えたものである。

わかりやすくもう一度くり返すと、

命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

業宿とは、前世のカルマをあらわす宿であり、

船宿とは、前世のカルマによって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

図を示そう

九道とは、盛衰・安・・成・壊滅・友・親である。

二十七宿は、昴・畢・觜・参・井・鬼・柳・星・張・翼・軫・角・亢・氏・

房・心・尾・箕・斗・女・虚・危・室・壁・・婁・胃である。

 

 

 

密教占星術の秘法 2

密教占星術の秘法

さて、ここまで読んで来られたあなたは、ここで一つの疑問を持たれたので はなかろうか?

それは、前の章にかかげた九星図と、 ノストラダムスの予言とのかかわりで ある。

つまり、今年からはじまる大破壊を示すという九星図が、どうして、 ノスト ラダムスの大破壊(恐怖の大王) とむすびつくのか、どこに接点があるのかと いう疑問である。

というのは、この九星図は、九年ごとにおなじ配置となってあらわれるはず

である。だから、今から九年前、一九八六年 (昭和六十一年)にも、五黄中宮 で、今年とおなじ配置であった。しかるにこの年、多少の波乱はあったけれど も、破壊というほどのことはなかった。しかるに、今回の九星配置に限り、ノ ストラダムスの予言に通ずる大破壊を起こすことになるというのは、どういう ことか? どこにその根拠があるのか、という疑問である。

まことに頭のよい質問である。

お答えしよう。

わたくしは、あの九星術の占盤だけでノストラダムスの予言とむすびつけた

のではないのである。もっと根拠のある予知法をわたくしは持っており、それ を使ったのである。

じつをいうと、わたくしは、その予知法を明かしたくなかったのである。

 

さきに行って公開するかも知れないが、いまのところ公開するつもりはなか

った。一子相伝という言葉どおり、わが子、わが弟子の限られたもののみに伝 えようと思っていた。

それだけの価値のある秘法であった。

しかし、どう考えても、九星術だけで、 ノストラダムスの恐怖の大王を説明 するのは、十分でないと思わざるを得なかった。

どうしても、この予知法を表に出さなければなるまいと考えたのである。 そこで、これまで、かたく秘していたこの法についてのべることにする。 ただし、本書は、この占星術の解説をすることが目的ではないので、ざっ と、こういう法であるという説明にとどめておきたい。

二十八宿曆法

 

月の一日の行程を測り、朔望(一ヶ月)をへて一周する天空を、二十八に区 分したものを、「二十八宿」という。

この二十八宿をもって一年十二ヶ月の各日に配するのを、二十八宿暦法とい うのである。この二十八宿をもって、吉凶を占う方法が、 宿曜経、超際仙人 九曜秘暦経などに説かれている。

二十八宿というのは、

昴(ぼう)

(ひつ)

(し)

参 (しん)

井(せい)

鬼(き)

柳(りゅう)

星 (せい)

張(ちょう)

翼 (よく)

軫(じん)

角(かく)

(こう)

(てい)

(ぼう)

心(しん)

尾 (び)

箕(き)

斗(と)

牛(ぎゅう)

女(じょ)

虚(きょ)

(き)

室(しつ)

壁(へき)

(けい)

婁(ろう)

(い)

 

である。

三九秘要法

この二十八宿を使っての占断で、古来、専門学者の間で有名な法に、「三九「秘要法」がある。

る。

これは、牛宿を除いた二十七宿を三つに分けて、第一の九宿・第二の九宿・第三の九宿とする。

命宿

業宿

胎宿

とする。

そしてそれぞれの宿を、命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

 

業宿とは、前世の造業を表徴する宿であり、

 

胎宿とは、前世の造業によって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

ある。

栄・・安・・成壞友・親 八宿を配置するのである。

わたくしは、これを、まぎらわしいので、「八道」とよぶことにしている。

そこで、この、三宿に配置する八道とは何であるかというと、本人に力をあ たえて栄えさせるものと、衰萎させて弱体化させるものと、支えとなって安定 させるものと、逆に運気を傾け危地におとしいれるものと、有利な資材を授け 希望を成就しめるものと、不利にして破壊せしめるものと、運気助け合っ 愛親密ならしめるもの、等、相生・相剋の利害関係をあらわしたもので

そこで、三宿の定めかたをいうと、これに、極秘伝となっているものと、ふ つうの基本的方式となっているものとあり、ここでは、ふつうの基本的方式のものをのべよう。極秘伝の方式は、ふつうの方式のものを体得して、その運用法に習熟した上でなければ、理解し難いものだからである。

まず、二十七宿は、さきに記したとおり、

昴、畢、觜、

、 柳、星、 隅

角、亢、 氏、 房、心、

斗、女、虚、危、室、壁、奎、婁、胃

である。

そこで、かりに、もし、第十五番目の房宿が本命宿であるとすると、心 尾・箕・斗・女・虚・・室が、この命宿にたいして、前にのべた相生・相剋 の利害関係を持つ八宿であり、第二十四番目の壁宿は業宿で、奎・婁・胃 昴・畢・・参・井は、これにつながる八宿である。 同様に、第六番目の鬼宿 は胎宿で、柳・星・張・翼・軫・角・亢氏は、また同様、これにつらなるハ宿である。

これをもって、人事百般を占断し、どの宿をえらんでどのように行動したらよいかを判断するのであるが、すぐれた術者が、その運用よろしきを得れば、 百発百中、神秘的としか思えない効果を得るのである。

そういうと、 では、九星術とどちらがすぐれているのかという質問が出るか

どちらがすぐれているのかといわれても、どちらもそれぞれ長所・短所があ るのであるから、いちがいにはいえないが、すくなくとも、三九秘要法のほう には、九星術に見られない大きな特長があるのである。

それは、二点ある。 まず第一に、九星術が、主に、個人的な動きを把握する のにたいし、三九秘要法は、 個人的な動きにとどまらず、 社会事象を広くとり 入れて判断に利している点である。個人の運命的な動きと、社会の動きとを、関連させて判断できることである。これは、他のどの運命学、占術にもないす ぐれた点であると思われる。

もう一つは、密教という仏教の一派が基点となっているだけに、カルマとい う人間の根源的なものを視座に据えて展開している点である。

 

そこに、前世からの業報を明らかにして生きようとする思想がある。こと に、極秘伝になっている三宿の定めかた(これは古伝を補足して、わたくしが 創案したものである)を用いると、 前世・現世・来世にわたってのカルマの展 望が可能になる。

こういう思想と方法を持った運命学・占術は他にほとんどない。

ただ、惜しむらくは、術者、研究者のほとんどが、そのことに全く気がつい ていないのである。 たんなる人事の占断としてしか使われていない。まことに 惜しむべきことである。この法は、神秘的な力を秘めていて、運用のしかたに

よっては、奇蹟としかいいようのない予知力をあらわすのである。 その一端をのべてみよう。

三九秘宿九星法

ここでは、二つの極秘伝を紹介しよう

いずれも、わたくしの創案したもので、その一つを「三九秘宿九星法」という。 この占術は、ひと口でいうと、三元九星術と二十八宿暦法(以下、二十八宿 法という)を併合したものである。つまり、九星術の長所と、二十八宿の長所 をひとつにしたものである。

三元九星術は、人事百般の占断に用いて、適中率が非常に高い。

二十八宿法は、前にのべた通り、人事問題のほかに、ひろく社会事象につい ての予知力を持つ。

例えば、人の性格、運命、 また、職業、建築、縁談、疾病等の吉凶可否のほ か、国家間の外交問題、国内の政治問題、人心の動向 天象として、大雨、干

 

害、台風、蝕、等。 地象としては、地震、山崩れ、等。

たんぱい

多岐にわたって、まことに、端倪すべからざるものがある。

この月、地震あれば

国内大乱たとえば、本年一月は「觜宿星」在泊の月である。とある。

であった。

 

国内大乱

「この月地震あれば、国内大いに乱れ、人心不安」

阪神大震災は一月十七日。月は変わったが地下鉄サリン事件で、社会は混 乱し、人心の不安、その極に達している。

「国内大いに乱れ、人心、安んぜず」

まことにその通り、あの事件は、昔だったら、国家転覆 反逆罪である。 これを、ただたんに、「觜宿泊すれば国内大乱、人心不安」とだけではな 関連の星宿を一定の法則にしたがってならべてゆくと、さらに詳細かつ広 範囲の事象が展開されてゆく。

そこでわたくしが考えたのは、人事百般に精密な占断をくだす三元九星術 と、社会事象にひろく予知の網を張る二十八宿法を併合させ、その両面にわた って告知するあたらしい最高度の運命学ができないものだろうか、ということ

ただ、問題は、それが、木に竹を継いだようなものであったら、なんにもな らないということである。

それが融合して、十分に複合の効果をあらわすものでなくてはならない。一 足す一が二ではなく、四にも六にもアップするものでなくてはならない。もし もバランスを失って、ばらばらなものになるようなものであったら、おはなし にもならない。

どうすればそれが可能になるか?

いったいその可能性があるのかないのか?

十数年以上の年月を、わたくしはそれにそそいだ。そしてついに、それを可 能にする法則を発見した。 一〇〇%とまではいえないまでも、九五%までは到 達したものと自負している。 そしてその数字は、この占術の中率をあらわす

星の動線の秘密

その法則とは、星の動線であった。つまり、星宿の移動の線である。そして それは、同時に、星宿の配置につながる秘法でもあった。

いかなる占星術にもそれはいえるもので、星をどう配置し、どう動かすかと いうことが、占星術の生命であり、神秘なのである。

だから、それが高度のものになればなるほど、占星術家の秘伝となってゆ

星の配置・動線というのは、たとえば、九星術の場合、(基本的には) 図の

ように動き、配置されてゆく。

左の図が、三元九星術における動線である。

九星術の知識のない人にはチンプンカンプンで、まるっきり意味のないもの

つうぎよう

に見えるであろうが、この法術に通暁している者には、この図の中に、 宇宙

 

 

 

 

 

の森羅万象を読みとるのである。

ここで一応、この三元九星術について、それがどのようなものか、ざっとの べておくことにしたい。というのは、さきにわたくしがのべた、わたくしのあ たらしく創案した占術の基盤の一つが、この三元九星術なのである。 そこで、 この三元九星術についての知識のない人には、わたくしの苦心して創案した 術の価値を知っていただくことは愚か、なんの興味もお持ちにならぬであろう と思うからである。(ということは、三元九星術の知識のあるかた、さらに欲 をいえば、その上に、二十八宿法の知識のあるかたならば、このあたらしい 断法が、どんなに価値のあるものか、ご理解いただけるであろうと、わたくし は思っている)

つぎの文章は、わたくしの著書の中からの抜粋である。

運命学の二つの領域

 

運命学には、大きく分けて、二つの領域がある。

一つは、ある方法によって、その人間の存在の構造と本質を明らかにし ようとするもので、その目的は、「運」という名でよばれるその人間の持 人生の形成力と動向を把握しようとするものである。

 

人間が生きるということは、つまるところ、生活の形成ということであ

その人間が生涯にわたって、どのような「場」においてどのような「生活の形成」をなしていくかということを、あらかじめ予測しようとす るのである。

具体的にいうならば、

知能の程度およびその方向性

<「場」の形成力(つまり、環境を動かし、環境をつくり出す力。創造

力、創造性)

<「場」への適応力(つまり、環境に順応し、適応していく適応性と適 応力)

<「運気」とよばれる生活形成の能力と量(つまり、わかりやすくいえ 運”の大小強弱で、その人の可能性)

<「運期」とよばれる生活形成力の消長起伏と変動(盛運期、順運期、 平運期、衰運期、凶運期、 死期、 の六つの種別がある)

など、以上の素因を解明・演繹して、その人間がこれからどのような環 境のなかで、どのような人生の軌道を歩むことになるかを、あらかじめ予知する方法である。

たとえば

これにたいして、もう一つの領域は、人間と、人間にかかわりのある一 切の事物の、あらゆるできごとや変化を、前もって予知する方法である。 それは、人間の構造や本質の追求よりも、一つの事象の動きをとらえるこ とに主眼を置く。

この取り引きは失敗か成功か。 成功するとすれば、いつ、どのような かたちで成就するのか。 また、もしも失敗するとしたら、その原因は なにか?

この立候補者は当選するか、落選か。

この試験に合格するか、落第するか。

密教占星術の秘法

密教占星術の秘法

さて、ここまで読んで来られたあなたは、ここで一つの疑問を持たれたので はなかろうか?

それは、前の章にかかげた九星図と、 ノストラダムスの予言とのかかわりで ある。

つまり、今年からはじまる大破壊を示すという九星図が、どうして、 ノスト ラダムスの大破壊(恐怖の大王) とむすびつくのか、どこに接点があるのかと いう疑問である。

というのは、この九星図は、九年ごとにおなじ配置となってあらわれるはず

である。だから、今から九年前、一九八六年 (昭和六十一年)にも、五黄中宮 で、今年とおなじ配置であった。しかるにこの年、多少の波乱はあったけれど も、破壊というほどのことはなかった。しかるに、今回の九星配置に限り、ノ ストラダムスの予言に通ずる大破壊を起こすことになるというのは、どういう ことか? どこにその根拠があるのか、という疑問である。

まことに頭のよい質問である。

お答えしよう。

わたくしは、あの九星術の占盤だけでノストラダムスの予言とむすびつけた

のではないのである。もっと根拠のある予知法をわたくしは持っており、それ を使ったのである。

じつをいうと、わたくしは、その予知法を明かしたくなかったのである。

 

さきに行って公開するかも知れないが、いまのところ公開するつもりはなか

った。一子相伝という言葉どおり、わが子、わが弟子の限られたもののみに伝 えようと思っていた。

それだけの価値のある秘法であった。

しかし、どう考えても、九星術だけで、 ノストラダムスの恐怖の大王を説明 するのは、十分でないと思わざるを得なかった。

どうしても、この予知法を表に出さなければなるまいと考えたのである。 そこで、これまで、かたく秘していたこの法についてのべることにする。 ただし、本書は、この占星術の解説をすることが目的ではないので、ざっ と、こういう法であるという説明にとどめておきたい。

二十八宿曆法

 

月の一日の行程を測り、朔望(一ヶ月)をへて一周する天空を、二十八に区 分したものを、「二十八宿」という。

この二十八宿をもって一年十二ヶ月の各日に配するのを、二十八宿暦法とい うのである。この二十八宿をもって、吉凶を占う方法が、 宿曜経、超際仙人 九曜秘暦経などに説かれている。

二十八宿というのは、

昴(ぼう)

(ひつ)

(し)

参 (しん)

井(せい)

鬼(き)

柳(りゅう)

星 (せい)

張(ちょう)

翼 (よく)

軫(じん)

角(かく)

(こう)

(てい)

(ぼう)

心(しん)

尾 (び)

箕(き)

斗(と)

牛(ぎゅう)

女(じょ)

虚(きょ)

(き)

室(しつ)

壁(へき)

(けい)

婁(ろう)

(い)

 

である。

三九秘要法

この二十八宿を使っての占断で、古来、専門学者の間で有名な法に、「三九「秘要法」がある。

る。

これは、牛宿を除いた二十七宿を三つに分けて、第一の九宿・第二の九宿・第三の九宿とする。

命宿

業宿

胎宿

とする。

そしてそれぞれの宿を、命宿とは、生日にあたる本命宿であり、

 

業宿とは、前世の造業を表徴する宿であり、

 

胎宿とは、前世の造業によって現世の果報を受ける入胎日にあたる宿であ

○夫の運気を剋害する因縁   ○夫婦縁破れる因縁  ○ Fate that damages husband’s luck ○ Fate that breaks the relationship between husband and wife

ソンディは、その中間にある家族的無意識の層を発見したのである。

つまり、個人と群衆のあいだに「宗族」を発見したのだ。これは、当然、出ずべくして出でたものである。個人

にしても群衆にしても、だれひとりとして「家族」でなかったものはない。とすると、当然そこにひとつの無意識司が存在(または形成)されるはずである。

 では、その無意識層の中に、ゾンデ″はなにを発見したか?

 かれは、「家族的無意識」と名づける無意識層の中に、特殊な抑圧意識を発見したのである。

 それは、ひと口でいうならば、

  「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病および死亡における無意識的選択行動とたって、個人○運命を決定する」

というのである。

 

 ソンディはこういう。

  「恋愛・友情・職業・疾病および死亡における選択の分析にもとづいて、選択の根源はこの家族欲求」

 つまり、ひとの、恋愛、友情、職業、病気、死にかたまで、すべて、それらを決定するのは、そのひとのこころの深奥にひそんでいる祖先の抑圧された意識である、というのである。

 

 これは、個人の運命を形成するこれらの選択行動は、意識的・理性的な考慮の上に立つ決断にょって決定されるのではなく、(もちろん表面的にはそれがなされるが、実際には)選択行動は衝動行為であり、衝動的に選択する無意識的なものによって動かされるのだということである。(ここまではフロイトもほとんどおなじである。フロイトとちがうのは、その衝動が、その宗族-祖先-にふかい関連、かおるというのである

 

 

人はどんな因縁を持つか

 

これから、人の持つ因縁について解説するが、それでは、そういう母縁というものが、どうして人間にあるのか、ここでは、あるからある、というよりほかない。強いて聞かれるならば、それならあなたはどうしてそういう顔をしているのであるか寸9 かれた場合、あなた
は何と答えるか?・ こういう顔をして生まれてきたのだから、こういう顔をしているのである、とでも答えるほかないではないか。原因はともあれ、人間は、それぞれ様々な因縁を持って生まれて来、様々な因縁を持って生きているのである。その因縁という現象を分析、解説
してみよう。理屈は抜きにして、一読するならば、必ず、思いあたることがあろう。卵が先に生じたのか、鶏が先に生じたのか、それを知らなくても、卵を食べ、鶏肉を賞味するにはこと欠かぬのである。詳しくはあとの方で説明する。ここでは、まず、人間が誰でも持っている「因縁」の種類についてのべう。

 

 

夫の運気を剋害する因縁

女性が持つ因縁である。

夫の運気(生命カブを目に見えぬ力で損ね、削る。といっても、必ずしも、日常生活において夫を尻の下に敷いたり、夫を虐待するというのではない。もちろん、そういう場合もないことはないが、前にも書いたように、因縁というものは性格にあらわれる場合と性格にまったくあらわれぬ場合とがある。この因縁の場合もその通りで、むしろこの因縁を持つ女性はマメマメしく夫につかえる良妻賢母型に多いので始末に困る。江戸川柳「次の間で毒が薬を煎じてる」
という句があるが、これは、まさにこの囚縁を持つ女性をズバリと句にしていろものと感心させられる。

この句の意味は、亭主が年中病弱で寝ている、その家をたずねてみると、亭主の寝ている次の部屋で、若い美しい細君が、甲斐々々しく薬を煎じている。しかし実際は、この美しい細君が病身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、細君が薬を煎じているのを、毒が薬を、と皮肉っているわけである。

この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくいかず、年中失敗したり、渋滞しがちとなる。生命力を削られるところから、運が非常に悪くなるのである。いかに才能、手腕があろうとも、必ず何か一つの不運につきまとわれる。細君が∵心につかえればつかえるほど、夫の運気が悪くなるのであるから厄介である。

世間によくあることだが、立派な細君を待った夫が、他に女性を作り、その女性よりも細君のほうがはるかに容色も頭もすぐれているので人が不思議がる例がある。これは、細君のほうに、この、夫の運気を剋害する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、

どんな因縁を持つか中年になってそういうことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕が出来た
り、細君の容色が衰えてきたということも理由の一つにμなるが、根本的には、若いうちは、
夫のほうも生命力がつよいので妻の運気剋害にも平気で耐えられているから、それほど感じ
ないが、年をとるにつれて生命力が弱り、憩いの場が欲しくなってくるのである。
この因縁の強いものをもつ女性が、いわゆる「後家運」と呼ばれるもので、色情の因縁の
ある夫は、前記したように他の女性に逃避し、色情の因縁のない夫は、趣味に逃避したり、
仕事に没頭したりして、冷たい家庭となる。
もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。すなわち、後家運と呼ばれる所以である。女性としてしあわせな家庭を持とうと思ったら、まず切らばならぬ因縁である。

○夫婦縁障害の因縁

夫婦縁、結婚生活に障害が起きる因縁である。なんとなくお互いに性格が合わず、年中不満を持ちあってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭になる。

または、お互いに愛情はあるのだが、どちらかが病気になって別居をよぎなくされる、とか、仕事の関係で別れ別れに住むことになる。シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかぬ、など、とにかく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してしうままうというところまではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしていまう。

 

Fate that damages her husband’s luck

It is a cause that women have.

Husband’s luck (damaging and shaving the life turnip with invisible power, but it does not necessarily mean laying the husband under his hips or abusing him in daily life. Of course, in such cases as well. There is nothing wrong with it, but as I wrote before, there are cases where the fate appears in the character and cases where it does not appear at all in the personality. This is also the case with this fate, and rather the woman with this fate is abusive. It is difficult to get rid of it because there are many good wives and wise mothers who can be used by their husbands. Edogawa Yanagi “Poison is decocting medicine between the next”
There is a phrase, but this impresses me with the phrase “a woman with this prisoner relationship”.

The meaning of this phrase is that the owner is sick and sleeps all year round. When I ask the house, the young beautiful Hosono is brewing medicine in the next room where the owner is sleeping. However, in reality, this beautiful Hosono is poisonous to the sick husband, so it is ironic that Hosono is decocting the medicine and that the poison is the medicine.

Having a woman with this connection as a wife can make her husband sick all year round, or work poorly, failing all year round, and prone to traffic jams. Luck is very bad because of the loss of vitality. No matter how talented or skillful you are, you will always be caught up in one misfortune. The more you can use it in your heart, the worse your husband’s luck will be, which is troublesome.

As is often the case in the world, there are cases where a husband who has been waiting for a fine prince makes another woman, and people are wondering because he is far more brilliant and smarter than that woman. This is because Hosono has a cause to hurt her husband’s luck, so her husband has a vital self-defense instinct.

What kind of connection do you have? Of course, it often happens in middle age that I could afford it economically in the middle age.
One of the reasons is that Hosono’s color has declined, but basically, when he was young,
My husband also has a stronger vitality, so I can tolerate my wife’s luck damage, so I feel so much
No, but as we get older, our vitality weakens and we want a place to relax.
The woman who has this strong connection is the so-called “post-family luck”, which is the cause of sexuality.
One husband escapes to another woman as mentioned above, and a husband who has no sexual relations escapes to a hobby,
Immerse yourself in work and become a cold family.
If you are a husband with weak vitality, you will die. In other words, this is the reason why it is called post-family luck. If you want to have a happy family as a woman, you must first cut it.

○ Fate of marital relationship disorder

It is a cause of disability in marital relationship and marriage. Somehow their personalities don’t match each other, and they are dissatisfied all year round, and they are constantly messing around and becoming a cold family.

Or, although they have a love for each other, one of them gets sick and is forced to live separately, or because of work, they live in a farewell. Anyway, regardless of whether or not you have a love affair, the couple will not get along well because of the relationship such as Shuto. I can’t go to the point where I’m divorced, but anyway, I’m going to get one step closer all year round.