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第一義空の教え ―― 牛飼いの村にて

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第一義空の教え ―― 牛飼いの村にて

 

 

ある時、世尊は小さな牛飼いの村に滞在されていた。
村の周囲には緑の草原が広がり、牛たちがのどかに草を食んでいる。朝の風は穏やかで、木々の葉を静かに揺らしていた。
その日、多くの比丘たちが世尊のもとに集まり、教えを聞こうとしていた。
世尊は比丘たちを見渡し、静かな声で語り始められた。
「比丘たちよ。これから第一義空の法を説こう。よく聞き、深く考えなさい。」
比丘たちは合掌し、世尊の言葉に耳を傾けた。
世尊は続けられた。
「眼があり、色があり、その二つが縁となって眼識が生じる。耳と音、鼻と香り、舌と味、身と触れ合い、意と法についても同じである。」
比丘たちは静かにうなずいた。
世尊はさらに語られた。
「しかし比丘たちよ。よく観察しなさい。
眼そのものに固定した実体はない。色にも固定した実体はない。眼識にも固定した実体はない。
それらは因と縁によって一時的に現れ、因と縁が離れれば消えてゆく。」
朝の光が木々の間から差し込み、静寂の中に世尊の声だけが響いていた。
「この世のあらゆる現象は同じである。
これがあるから彼がある。 これが起こるから彼が起こる。
無明によって行が生じ、 行によって識が生じ、 識によって名色が生じる。
このようにして生老病死に至るまで、大いなる苦の集まりが現れるのである。」
比丘たちは縁起の法を思い浮かべながら、その言葉を心に刻んだ。
世尊は一本の草を手に取り、静かに示された。
「この草もまた、種と土と水と日光と多くの条件によって生じている。
それ自体で存在しているのではない。
人もまた同じである。」
そして世尊は、さらに深い真理を説かれた。
「無明が滅すれば行は滅し、 行が滅すれば識は滅する。
このように順次滅してゆき、ついには老いと死の苦しみも滅する。」
比丘たちは深い静けさの中で、その意味を味わった。
しばらくして、一人の若い比丘が尋ねた。
「世尊よ。もしすべてが空であるならば、行為をする者は誰なのでしょうか。また、その結果を受ける者は誰なのでしょうか。」
世尊は慈しみに満ちた眼差しで答えられた。
「比丘よ。
業はある。 その報いもある。
しかし、そこに永遠不変の作者を見いだすことはできない。
たとえば灯火の炎は、一瞬ごとに変化しながら燃え続けている。
昨夜の炎と今の炎は同一ではない。 しかし全く別のものでもない。
生命もまたそのようなものである。」
若い比丘は深く頭を下げた。
世尊は最後に語られた。
「眼は生じる時、どこから来るのでもない。
滅する時、どこかへ去るのでもない。
耳も、鼻も、舌も、身も、意もまた同じである。
ただ因と縁によって現れ、 因と縁によって滅する。
これをありのままに観る者は、執着を離れ、解脱へと向かうのである。」
村の上空には白い雲が静かに流れていた。
比丘たちは深い法悦に満たされながら、世尊の教えを受け止めた。
縁によって生じ、 縁によって滅する。
そこには「我」と呼ぶべき固定した実体はなく、ただ流れゆく因果の道理だけがある。
これこそが、世尊の説かれた「第一義空」の教えであった。
比丘たちは世尊の説法を聞き終えると、大いなる歓喜をもってこれを受け持ち、実践しようと心に誓った。

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