不動明王
(ふどうみょうおう、梵: अचलनाथ acalanātha[2])は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。大日如来の化身とも言われる。また、五大明王の中心となる明王でもある。
密教の根本尊である大日如来の化身であると見なされている。「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。
不動明王の真言には以下のようなものがある。 一般には、不動真言の名で知られる、小咒(しょうしゅ)、一字咒(いちじしゅ)とも呼ばれる真言が用いられる。
- 「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」
- (namaḥ samantavajrānāṃ hāṃ)
- (すべての諸金剛に礼拝する。ハーン。)
また、長い真言には、火界咒(かかいしゅ)と呼ばれる真言がある。
- 「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」
- (namaḥ sarvatathāgatebhyaḥ sarvamukhebhyaḥ sarvathā traṭ caṇḍamahāroṣaṇa khaṃ khāhi khāhi sarvavighanaṃ hūṃ traṭ hāṃ māṃ)
その中間に位置する、慈救咒 (じくじゅ)と呼ばれる真言も知られる。
- 「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」[3]
- (namaḥ samantavajrānāṃ caṇḍa-mahāroṣaṇa sphoṭaya hūṃ traṭ hāṃ māṃ. [4])
- (すべての諸金剛に礼拝する。怒れる憤怒尊よ、砕破せよ。フーン、トラット、ハーン、マーン。)
種子(種子字)はカン(हां、hāṃ)、あるいはカンマン(ह्म्मां、hmmāṃ)。
三昧耶形は利剣(倶利伽羅剣)、あるいは羂索。
不動明王
ふどうみょうおう
ヒンドゥー教のシバ神の異名で、アチャラナータAcalanātaといい、漢音で阿遮羅嚢他(あしゃらのうた)とあてる。アチャラは無動尊の意。大日如来(だいにちにょらい)の命を受けて忿怒(ふんぬ)相に化身(けしん)したとされる像で、密教では行者に給仕して菩提(ぼだい)心をおこさせ悪を降(くだ)し、衆生(しゅじょう)を守る。五大明王、八大明王では中央に位置する主尊。709年(中国の景竜3)に訳出された菩提流支(ぼだいるし)訳『不空羂索神変真言経(ふくうけんさくじんべんしんごんきょう)』第9巻によると、右手に剣を持ち、左手に索(縄)を持つ不動使者としての所説を初出とする。しかし図像化の原型となったものは、725年(開元13)の善無畏(ぜんむい)訳『大日経(だいにちきょう)』の所説「不動如来使者は慧刀(えとう)、羂索を持ち、頂髪が左肩に垂れ、〔目は〕一目(いちもく)にして明らかに見、威怒身(いぬしん)で猛炎あり。磐石(ばんじゃく)上に安住し、額に水波の相があり、充満した童子形もある」による。不動明王像は9世紀初め空海によりわが国に伝えられたが、不動信仰が盛んになったのは円珍(えんちん)以降である。円珍自身も金人(きんじん)といわれる黄不動を感得し、また図像も請来(しょうらい)した。不動明王の図像は火生三昧(かしょうざんまい)(火の燃えるような境地)に入った状態を表現したもので、いっさいの罪障を摧破(さいは)し、動揺しないので、姿勢は不動を表す。不動明王を中心に矜迦羅(こんがら)・制吒迦(せいたか)童子を脇侍(わきじ)に配した三尊形式が多く、坐像(ざぞう)・立像とも一面二臂(にひ)像が主流。一面四臂像などの異形も図像(『図像抄』『覚禅(かくぜん)抄』など)として伝わっている。形像については、淳祐(しゅんにゅう)(890―953)の著『要尊道場観』によると、不動明王像には、十九観(十九想観ともいう)が表現されていると説く。(1)大日如来の化身。(2)明(みょう)(真言)のなかにアa、ロro、ハームhām、マームmāmの四字がある。(3)火生三昧に住する。(4)童子形で肥満。(5)頂に七莎髻(しちしゃけい)がある。(6)左に弁髪(べんぱつ)あり。(7)額に皺文(しゅうもん)あり。(8)左目を閉じ、右目を開く。(9)下歯、上の右唇を噛(か)み、下の左唇、外に翻じて生ずる。(10)その口を閉じる。(11)右手に剣をとる。(12)左手に索を持つ。(13)行人の残食を喫す。(14)大磐石に坐(ざ)す。(15)色醜くして青黒い。(16)奮迅忿怒する。(17)遍身に迦楼羅(かるら)炎がある。(18)変じて倶利迦羅(くりから)となり、剣を繞(めぐ)る。(19)変じて二童子となり、行人に給仕する。一を矜迦(こんが)羅、二を制吒迦という。十九観は『大日経』と『大日経疏(しょ)』によってつくられたという。